{希哲館はなぜ潰れないのか? K#F85E/E74C-9EBB}
宇田川浩行一日一文という日課を再開して3ヶ月経ち,希哲館事業についてもだいぶ伝えやすくなったと感じている。
この希哲館事業も,11月1日に14周年を迎える。もっと遡って,17歳の時の「閃き」を原点とするなら,もう20年近い歴史がある。今まさにデライト収益目標達成に向けて大詰めという時期だが,これだけ長い間,まともな収益がなく事業が存続してきたことには,いくつかの理由がある。
覚悟
まず,「日本はどう逆転するか」や「私の政治思想」などを読めば分かるように,希哲館事業構想は,「人類史上最大の事業構想」と言っても過言ではない無謀の極みであり,当然ながらその自覚と絶望から始まっている。
希哲館事業の可能性に気付いた17歳の私は,その過程にある,あらゆる困難を想像し,絶望と戦うことになった。
この前年,アメリカ同時多発テロ事件があった。希哲館事業の根底には,あらゆる宗教,あらゆる思想を越えて世界を連帯させうる“新しい価値観”への世界的な要請があったように思う。
今となっては笑い話に近いが,そんな世界情勢もあり,私は,イスラム過激派にでも捕まって自分が生きたまま首を斬られたり,日本を追われて世界を放浪したりするのではないか,そんなことまで想像していた。そんな極限状態でもこの事業を育てるために,あらゆることを考えた。
閃きから5年後,私はあらゆる困難と戦う覚悟を決め,希哲館事業を始めた。全ての神,自分以外の全ての人間を敵に回すかもしれない,人生の全てをかけた努力が全く報われないかもしれない。それでも自分はこの事業に尽力しよう。そういう覚悟だ。
希哲館館章「竜胆蛍」は,この絶望的な暗闇に飛び出す一匹の蛍を模したものだった。希望と知の儚い光であり,滅びの美学のような,私の人生観と覚悟を象徴するものでもあった。
{希哲15年4月29日の日記 K#F85E/E74C-0257}
宇田川浩行昨日から妙に気分がぐらぐらしているというか,気持ちに身体が付いてきていないような感覚があった。この日も急に気分が高揚したと思ったら急にぐったりするなどして,明らかに呼吸が乱れている様子だった。
昨晩の就寝中,軽い胸痛を覚えて少し寝苦しかった。一昨日「デライトは数ヶ月以内に成功確実」などと喜んでいたのだから,体調が良くなる心当たりはあっても悪くなる心当たりはなく,珍しいことだが気のせいだろうと最初は思っていた。
結局,日中もいまいち調子が出なかったため,作業はほどほどに,じっくり状況と気持ちを整理することにした。
すでにデライト開発は十分な持続性を確保し,仮にずっと収益目標達成が出来なくても死活問題にはならない,という状況にあった。
しかし,デライトの成功ではなく“希哲館事業の成功”を考えれば悠長なことはしていられない。多少のリスクを負っても早期に収益目標を達成しなくてはならない。その思いから11月1日としていた必達期限を5月1日に繰り上げ,短期集中生活に入ったのが先月28日だった。
この短期間に多くの成果を得て,さあこれから正念場だという時に,負っていたはずのリスクが消し飛んだ。6月末あたりまで,あと2ヶ月はこのままの態勢で問題なくデライト開発を続けられることになった。一昨日,27日に起きたのはそういうことだった。
多少の不安はありつつ,5月1日までの収益目標達成にもそれなりの勝算があった。その猶予が2ヶ月近く延びれば,達成出来ないことを想定する方が難しい。必達期限を繰り上げる前より4ヶ月以上早い達成見込みが出来たことにもなる。
安全・着実に歩を進めていては達成出来るのが数年後になるかもしれない,という見込みだったから多少の無理にも意味があった。その数年が2ヶ月以内になるなら,この数日にデライトの成功を賭ける意味は全く無い。
1日までは既定路線で頑張ろうという気持ちに反して,妙に脱力感が強いと思ったが,なるほど勝手に肩の力を抜いた身体の方が正しい。
{希哲14年5月5日の日記 K#F85E/5B28-4F46}
宇田川浩行今日は朝から非常に心身の調子が良く,顔色も久しぶりに黄金状態と言えそうな輝きだった。
生活習慣再改善の甲斐あって,極限状態に近い日々が続いたデライト正式離立までの乱れ・消耗からようやく完全回復しつつあるようだ。
外出自粛で少し健康への影響が心配だったが,規則的な日光浴と陶練のおかげか今のところ特に問題ない。
何はともあれ,この5月という勝負の月の序盤にここまで調子を整えられたのは幸いだった。ここから安定を保って超黄金状態に入ることが出来れば理想的だ。
最近,水分摂取の方針について考えていたが,自分の食生活や諸説を考慮し,水1リットルを基本として,飲料全体で2リットルの水分摂取を意識することにした。