{一日一文}{希哲15年6月の一日一文}{霞んで見える}{大きな画期}{新しい社会}{人間社会の縮図}{宗教指導者}{そぐわない}{知の可能性}{知の不可能性}...=}(95)

{超人を越えた凡人への旅 K#F85E/A-E74C-CC47}

私の人生観希哲館事業を貫く「凡人思想」については時々断片的言及してきたが,そろそろしっかり書いておきたい。

私の凡人思想は,ニーチェ超人思想を“克服”するように形成された。

19世紀後半活動現代思想大きな影響を与えた哲学者フリードリヒ・ニーチェが言う「超人」とは,「孤独虚無をも楽しめる創造力を持った人間」のことだ。

私が言う「凡人」とは,「自らの創造力によって“新しい普通の人間”であり続ける人間」のことだ。これを私は「まだ見ぬ凡人」などとも呼んできた。この凡人は,超人を越えたところにいる。“新しい普通の人間”になるということは,万人のためのを創るということでもある。

17歳輪郭法閃きを得た私は,この発明が“知の不可能性”を前提としてきた現代思想を終わらせるものであることにも気付いた知能増幅によって“知の可能性”が異次元に広がり,知識産業隆盛と結び付いて世界あり方を変えうる。この可能性が「新しい物語」の原点だった。

それは同時に,気の遠くなるような,超人を越えた凡人への旅予感させる出来事でもあった。


凡人思想について哲学的なことをあれこれ語り出すと一日一文にはそぐわない内容になりそうなので,具体的に考えてみよう。ちょうど良いがここにある。他でもない,デライトだ。

デライトは,輪郭法に基いた世界初知能増幅メモサービスだ。私は,これを KNS(knowledge networking service)として SNS対峙している。SNS はいわば人間社会の縮図だ。各国首脳宗教指導者,各界の権威著名人を含めた数十億人ともいう人々がひしめき合う世界だ。それでも,たった一人で始めた KNS には,SNS に勝る価値があると私は思っている。

実際の所,私は希哲館事業を始める時に,「全てのと自分以外の全人類を敵に回してもこの事業に尽くせるか」と自問自答した。その決意が出来たから今こうしている。これは超人以外の何者でもない,ニーチェもびっくり精神性だ。

しかし,この程度のことなら私にとって難しいことではなかった。「三つ子の魂百まで」というのは本当で,私のこういう性格は幼い頃からほとんど変わっていない。普通ならどこかで破滅していると思うが,環境のおかげで生きてこれてしまった「超人ネイティブ」なのだ。

本当に難しいのはここからだ。このデライトを多くの人に使ってもらうためには,単なる“超人”でいてはいけない。自分自身が,万人共鳴してもらえる模体モデルとならなければ,新しい技術に基く新しい人間新しい社会を創ることなど出来ない。これ以上に人間としての器量を試されることなどなかった。

新しい凡人」になること。これこそが,17歳の私を絶望させた重圧であり,超人が霞んで見えるほどの価値だった。


たまに,デライト思想臭くてとっつきにくいなどと言われることがある。

ただ,人類知のあり方を変えようという技術新しい思想を伴なわないわけもなく,全て必然であり自然なことなのだろうと思う。

もともと希哲館事業は「テクノロジーとフィロソフィーの結合」を掲げている。デライトの成功は,技術史のみならず,思想史にとっても大きな画期となるだろう。

{重い問題}{優れた記法}{希哲15年5月30日のツイスト}{希哲15年5月30日}{KNS}{Twitter}{ツイスト}{Markdown}{記法}{綺麗}...=}(16)
{一日一文}{希哲15年5月の一日一文}{社会奉仕}{清貧思想}{京円}{モテたい}{共感力}{時々思うこと}{気付いた}{閃き}...=}(80)

{人間への共感 K#F85E/A-E74C-BE3A}

私には,いわゆる「共感力」というものが無い。時々思うことだ。

普段書いていることを見ていれば何となく分かると思うが,私は,あまり多くの人と同じような生活をしていない。これは昨日今日始まったことではない。10代の初め頃からずっと,私はこんな調子で生きて来てしまった。

反共感としての KNS

思えば,私が KNS なんてものを発明したのも,この共感力の無さによるところが大きい。

私には,主にマイクロブログ系の SNS消極的に使っていた時期がいくつかあり,そういう時期に私を見かけた人なら分かるかもしれない。私の SNS の使い方は,基本的に独り言を延々と垂れ流す,というものだ。しかも,自分で考えた造語翻訳語をちりばめて,だ。

最初からこうだったわけではない。最初に SNS に接したのは20歳そこそこで,その頃は周囲に合わせようとしていた。ところが,使っているうちにある問題に気付いた。同じような年頃の人達が,自分とは全く違う生き方をしているということだ。

例えば当時,よく若者の間で盛り上がっていた話題といえば,就職氷河期下での就活だとか,日本社会への悲観論だったりした。

それが私には全く分からなかった。当時の私は,希哲館事業を始めばかりだった。ろくに学校にも行かず17歳輪郭法いた私は,定職につく気も無く,どうすれば世界史上最大の企業を創り,日本世界史上最大の極大国ハイパーパワーに出来るかということで頭が一杯だった。

「もう日本は駄目だ」「英語勉強して日本を出よう」などという悲観論が渦巻いていた SNS で,ただ一人,「これから自分が日本を世界の中心にする」と希望に満ち溢れていたのが当時の私で,要するにずっと変わっていないのだ。最初はそれがズレていることにも気付いていなかったと思うが,流石にだんだん周囲との空気の違いが分かってくる。

SNS というのは,多くの人にとっては仲間を見つけたり,共感しあったりする場なのだろうと思う。私にとっては,使えば使うほど,自分がいかに世界の中で孤立した精神の持ち主か,ということを思い知らされる場だった。単純に,あまり面白いものではなかった。

共感と商売

共感力の無さというのが現実的問題になるのは,やはり「商売」を考えた時だ。デライトも,多くの人に気に入ってもらい,そこから利益を生み出そうとしている,という意味では立派な商売だ。

ところが私には,人の欲望というのもあまりよく分かっていない。男性で言えば,金が欲しいとか,女性モテたいとか,そういうのが欲望の典型なのだろう。しかし,私はその手の感情を抱いたことがほぼ無い。

厳密に言えば,金が欲しいとは思う。ただそれは事業のためだ。希哲館事業理想実現するためには,「兆円」の単位では足りない。最低でも「京円」の金が動かせるようにしたい。そういうことはよく考える。

その一方で,私的な金銭欲には乏しい。希哲館事業を始めた当初から,私は自身も含めて全執務員給与報酬を「世の中の平均的な水準」にすることを決めている。つまり,どれだけ希哲社利益を上げようが,私は月に数十万円程度の金しか受け取らない。

別に我慢をしてそうするわけではない。それが清貧思想とか社会奉仕パフォーマンスなら,アメリカ企業がよくやるように1円の報酬でいい。私は別にそういう“思想”で金が要らないわけではない。本当に,人並程度の収入で十分満足に暮らしていけると思っているのだ。

しかし,商売をする上で,人の欲望の流れを感じることが出来ない,というのは致命的かもしれない,と思うこともある。金が欲しいという人の気持ちも,女性に囲まれて嬉しい人の気持ちも分からないのだから,少なくともそれで釣るような商売には全く向いていない。

人間そのものへの共感

ではどうすればいいのか。これまでの生き方はいまさら変えられない。

でも,私にも共感出来ることはある。それは,枝葉ではなくて,人間として誰もが持つ普遍的な部分への共感だ。例えば,人が転んでいるのを見れば痛そうだと思うし,泣いているのを見れば可哀そうだと思う。幸せそうにしていれば何となく嬉しい気持ちにもなる。

人間のどこかではなく,人間そのものへの共感を深めていく,そんなことに希望を見出したい。

{一日一文}{希哲館訳語}{希哲15年5月の一日一文}{珍しさ}{ネット献典}{湯水}{珍しいもの}{伝わっていない}{同質性}{伝えやすくなった}...=}(86)

{世界一“面白い”ネット献典コンテンツを……という誤算 K#F85E/A-E74C-1B48}

一日一文習慣再開したことで,私がどういう人間で,どういうことやってきたか,だいぶ伝えやすくなったと感じている。

ブログでもウィキでもない“デルン”という全く新しい情報媒体開発,自らそれを9年も使って SNS でもなく“KNS”だと言う。“希哲館事業”で日本世界史上最大の極大国ハイパーパワーにすると言い放ち,“希哲紀元”や“希哲館訳語”なんてものまで造ってしまう。

ほとんど環境おかげなので威張れたことではないが,世界を見渡しても,ここまで風変わりネット用者ユーザーはいないだろう。それも,実名顔出し同質性が高いなどと言われる日本生まれ日本育ち日本人であることまで考えると,自分でも驚異的事実だなと思ったりする。

希哲館は燃えていない

しかし,良くも悪くも希哲館事業には話題性が無い。良い意味で注目されたことも無いし,炎上したこともほとんど無い。良い悪い好き嫌い以前に,「伝わっていない」のだ。これは誤算と言えば誤算だった。

昔の希哲館事業には秘密主義的な部分があったので,むしろ注目されては困るとすら思っていた。これから事業について知ってもらおうという段階になって,はじめてその伝わらなさを実感した。

ネットの変化

この誤算がなぜ生じたのかと考えてみると,私自身が200X年代前半くらいまでのインターネット文化に染まっていた,ということがありそうだ。

当時のネットの中心にいたのは研究者好事家,あるいは「暇人」と呼ばれる人達だった。彼らは,世界中の珍しいもの刺激的なものを常に探していた。私もその一人で,湯水のように持て余した時間を,「より面白いもの」探しに費していた。

そんなネット献典コンテンツも,あまりに時間があるとほとんど見尽くしてしまう。その退屈をしのぐために,自分で誰もやらないことをやってみたくなる。どうせなら,「世界一“面白い”ネット献典」を自分で作ってやろう……思えば,希哲館事業にはそんな側面があったかもしれない。

時代は変わった。いまやネット用者ユーザーの大多数が「普通の人」だ。普通に学校会社に通い,わずかな自由時間ネットを覗く。

ネットにおける「面白さ」も変わった。それは珍しさ刺激ではなく,気軽楽しめることであったり,皆でイジって遊べることであったりする。一人で PC に向き合うのではなく,「共有」が重要になったことも大きいのだろう。

これは何だろう,この人はどういう人だろう,という所で少しでも時間がかかると,あっという間に埋もれてしまう。自分が面白いと思えても,みんなに面白がってもらえることが期待出来ないと広がらない。「文脈」も邪魔で,話題一口サイズでなければならなくなった。Twitter強力なわけだ。

嘆いていても仕方ないので,希哲館事業もこの時代の変化に合わせなくてはならない。デライトはそんな意識から始めた望事プロジェクトでもあったが,多くの人に楽しんでもらえるものにするには,まだまだ努力必要だ。

{一日一文}{希哲15年5月の一日一文}{希哲15年5月11日の日記}{個人知識管理サービスの課題}{SNS の課題}{中核事業}{成功模体}{二大純インターネット企業}{産業全体}{純インターネット企業}...=}(105)

{KNS について K#F85E/A-E74C-0184}

昨日の一日一文では,デライトにおける対 Google 戦略一環とも言える「全知検索」について書いた。今日は,対 Facebook 戦略の一環「KNS(knowledge networking service)について少し書いてみたい。

と言っても,KNS 自体について説明することはそれほど多くない。Twitter のように日常的気軽投稿をしながら,投稿を柔軟関連付け保存したり,利用者同士で参照し合うことが出来る知的交流サービスのことだ。百聞は一見に如かずで,デライトを実際に見て回るのが一番早いだろう。


デライトの対 Notion 戦略」でも書いたように,デライト目先目標達成する上で最重要視しているのは対 Notion 戦略だが,それはあくまでも通過点に過ぎない。

私は,個人知識管理サービス検索演心エンジンSNS を越えるネットサービスになると考えている。しかし,現状,流行りNotion も,それに追われている業界最大手 Evernote も,産業全体の中では小さな存在だ。企業規模も,いわゆる GAFAM には遠く及ばない。

デライトの対 Notion 戦略というのは,そんな小さな世界飛び越えて,世界の頂点目指すための足掛かりなのだ。

GAFAM の中でとりわけ GoogleFacebook を重視するのは,この二社が世界の「二大純インターネット企業」だからだ。ネットサービスは,資金力ではるかに劣る日本企業アイデア一つで世界の頂点に挑戦出来る唯一の分野であり,この二社は乗り越えるべき成功模体モデルだと考えている。

(ちなみに,AppleAmazonMSインターネット活用する企業ではあるが,その中核事業がインターネットで完結するものではないため「純インターネット企業」とは言えない。なぜそこが重要なのかは上述の通り参入障壁問題による)

乗り越えるためには,明確武器必要になる。その一つが昨日簡単に説明した全知検索であり,もう一つが KNS というわけだ。


SNS の課題”という視点から見れば,情報瞬間的共有には向いているが蓄積に向かない,感情優先社会分断助長する性質がある,デマヘイトのような低質悪質情報氾濫しやすい……といった問題への解決策KNS は持っている。

また,“個人知識管理サービスの課題”という視点から見れば,ツイートのような知識材料となる情報を十分に拾えていない,という問題への解決策となる。

いま,Notion がどんなに流行っていようが,その話題知見はほとんど Twitter などで刹那的に流れていくだけ,という現状を,私はいつも「もったいない」と思いながら眺めている。日常のささやかな気付きは,知識極めて重要源泉だ。

それに気付いて,自分で適当なサービスにツイートを保存している人は昔からいるが,SNS の機能を組み込んだデライト以外の個人知識管理サービスというのは寡聞にして知らない。両者が調和するサービスの設計が意外に難しいのだ。

個人知識管理サービスに関する話題が主に SNS で共有されているうちは,まだ驚異的なサービスではないのだろう,と思う。“本命”は恐らく,SNS の機能すら取り込んでしまうだろう。私はこれを KNS と呼ぶ。

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{一日一文}{希哲15年5月の一日一文}{Qt: デライトは見出しが無くても困らない}{検索品質}{気に入った}{全てを知る}{名付けた}{検索手法}{デライトの成長戦略}{遅かった}...=}(113)

{全知検索について K#F85E/A-E74C-4287}

個人知識管理(PKM)サービスを「知能増幅(IA)サービス」に発展させ,まずは Google に代表される検索演心エンジンと,Facebook に代表される SNS からいわゆる GAFAM切り崩す……これがデライトの成長戦略だ。

既存の SNS に対する「KNS(knowledge networking service)という概念については比較的よく語ってきたが,既存の検索演心に対する「全知検索(full-knowledge search)については十分に語ってこなかった。デライトを使い始めた人がまず戸惑う部分でもあるので,考え方だけ簡単説明しておきたい。

全知検索というのは,各輪郭に付けられる知名輪郭名対象とする検索のことだ。一般に「ページ名」などと呼ばれる部分を主な検索対象とするわけで,一見不便なようにも思えるだろう。

ただ,輪郭同士の関連付け柔軟性利用することで,慣れてしまえばさほど問題なく,面白い検索体験が出来るようになっている。検索語から繋がる情報手作りしているような感覚とでも言えばいいのか,これは開発者である私にとっても意外なことだった。


実は,デライト基礎になっているデルンという CMS実用化した当初,当たり前のように全文検索(full-text search)基本にしていた。しかし,使い込んでいるうちに,これはこれで問題があることに気付いた

デルンは,これまでに無い手軽さ大量情報を相互に結び付けられるように設計された。頭の中にある情報を,輪郭同士の立体的入れ子関係で表現する。その関係をひたすら作っていくことが使い方基本だ。

ある言葉について検索した時,その言葉について何を考え,それが何と結び付いているのか,これがまずデルンの検索で得たい情報になる。ところが,全文検索では余計な情報が引っかかり過ぎてしまう。少し言及しただけの輪郭も引っかかるので,それを一覧でざっと見てからその検索語について新しく描出投稿するかどうか考える必要がある。これは,デルンの使い方を考えると明らかに遅かった

そこで,いったん知名だけを対象にしてみた。すると,最初にイメージした検索語を打ち込んで,それが有るのか無いのか,瞬時分かるようになった。その知名を持つ輪郭に関連する輪郭を関連付けていく,というデルンにとって本質的作業と非常に相性が良いことにも気付いた。

これを用者ユーザー認知に基いた全く新しい検索手法として「全知検索」と名付けたわけだ。「全てを知る」と見せかけて,実は無知自覚させるという「無知の知」的な皮肉を感じさせるところも気に入った

全文検索は本文にある情報検索出来るが,逆に言うと,本文に無い情報は検索出来ない。

例えば,画像のようにそもそも文字情報を持たない献典コンテンツのようにあえて直接的表現を避けた文章,内容を書き換えたくないがこの検索語で引かっかって欲しいという古い文章……こういったものにも,全知検索であれば検索の道筋を作ることが出来る。

Google 検索ですら長年解決していない検索ノイズ問題にも有効手段となりうる。

これまでの検索というと,機械が抽出した情報から,人間が要らないものを指定していくという,いわば「ブラック リスト検索」だった。全知検索では,最初から人間が結び付けたい情報を指定しておく。いわば「ホワイト リスト検索」だ。


……全知検索の考え方は大体こんなものだ。

ただ,デライトでも全文検索実装しないと決めているわけではない。補助的にあれば便利なのは間違いないので,何らかの手段で全文検索も出来るようにはするつもりだが,あまり優先順位は高くない。

結局,慣れてしまうと全知検索でも十分引っかかりやすいように書くようになるし,現状,誰よりもデライトを使い込んでいる開発者があまり必要を感じていないのだ。

全文検索に無い利点がある上,全文検索と比べてはるかに低負荷で動き,慣れてしまえば全文検索が無くても困らない実用性がある。これはもう検索においてページランク級の一大発明と言っていいのではないかと思っている。

ウェブ検索という分野では,Google ですらページランク以上の革新を生み出せず,継ぎ接ぎ対策検索品質を保っているのが現状だ。

全知検索には,かつてページランクがそうしたように,ウェブ検索を原理からひっくり返す可能性がある。

{Trello 経由情報流出騒動}{隠さない}{描出公開原則}{Trello}{Notion}{情報模体}{個人知識管理サービス}{個人知識管理}{粒度}{デライト正式離立}...=}(76)

{Trello 騒動で考えるネットと「秘密」の今後 K#F85E/A-E74C-0F66}

先日の Trello 経由情報流出騒動は,隣接分野である個人知識管理サービス界隈にも少なからず衝撃を与えたようだ。自分の使っているサービスは大丈夫なのだろうか,といった発言散見された。

古くは Evernote から最近なら Notion まで,ネットサービスに自分の知識一元化出来たらいいなという願望は多くの人が持っているが,その安全性について十分考えられているとは言い難い。あまりにも無邪気サービス信用している人が多い。

他人に知られて死活問題になるような情報を何の心配もなく預けられるサービス企業はこの世に存在しない。まずはここから出発する必要がある。権限があれば内部の人間は利用者情報をいくらでも閲覧出来る。その情報が貴重であればあるほど,世界中から狙われる。どんな対策をしていると言っても,その信頼性確認する術は利用者に無い。

要するに,ネットサービスを使う以上,最悪,誰かに見られているつもりで情報入力しなければならない。これは,個人知識管理サービス未来にとっても重要なところだ。


デライトは見ての通り,「描出公開原則」と言って,全ての投稿公開している。「なんでもメモ」を謳うサービスなので,この点に違和感を覚えた方も多いようだ。しかし,これは「なんでもメモ」だからこその制約と言える。

デライトは,人間のに限りなく近い情報模体モデル採用し,とにかく何でも,あらゆる粒度情報結び付けることが出来る。この技術を使って秘密情報を蓄えられたら,GAFA 級の企業でも手に負えないものになる。原発管理するようなもの,と言えば分かりやすいだろうか。

正式離立リリース直前になってこの問題に気付いた私は,急遽デライト公開前提の設計に切り替え,個人知識管理サービスSNS融合した KNS(knowledge networking service)というコンセプトを打ち出した。

私自身は,そんなデライト上で実際に「なんでもメモ」を実践している。実名顔出しで,毎日考えていること,やったこと,いつ寝起きしたか,何を食べたか,体調はどうか,何から何まで書いている。もちろん,それによって不利益危険があるかもしれない,ということは常に考えている。10代の頃からこんなこともするだろうなとは思っていて,「人体実験」の覚悟は出来ていた。

最近よく思うのは,「隠さない」ことこそ最強個人知識管理なのではないか,ということだ。別の言い方をすれば,個人知識管理サービス最適化された人生観人生設計を持つことが考えられてもいい時代になってきているのではないか,と思う。

誰しも秘密にしたいことはあると思うが,それは本当に秘密にする意味がある情報なのか,ちょっと考えてみた方がいいかもしれない。「恥ずかしい」程度のことなら,開き直った方が個人知識管理サービスの類は活用しやすくなったりする。

私も最初は,体調記録にいつ下痢をしたとかまで書くのはどうかと思ったが,それも慣れてしまうと面白い気がしてくる。むしろ,自分の全てが世界と繋がっているということは,ある種の神秘体験にすら思えてくるものだ。

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{論理共感覚}{あれ}{寝る準備}{希哲15年2月3日}{閃き}{立ち上がり}{目を温める}{蒸しタオル}{小休憩時間}{進捗時限法}...=}(31)

{希哲15年2月3日の日記 K#F85E/A-E74C-E2A7}

デライト開発本格的再開した。

昨日,閃きについて考えたことで論理共感覚論理実装主義についての考え事もあったものの,立ち上がりにしては良い調子だった。

手定めで初めて自分のアイコンを使ってみた。新鮮面白かった。KNS としてのイメージがより明確になり,持ち辺が上がった。

少し眼精疲労全身凝りを感じていたが,しっかり小休憩時間を取り,蒸しタオル目を温めるとみるみる改善した。昨年10月頃から生活律動が乱れ進捗時限法適当になっていたせいだろう。

調子が上がりきったところで,夜更かししないように早く寝る準備をした。明日以降もこの調子を保ちたい。

{あれ}{思想臭さ}{大金脈}{時間が解決する}{百聞は一見に如かず}{新しい技術}{デライトの使い道}{黄金循環}{機が熟する}{アクティブユーザー}...=}(134)

{ご意見ありがとうございます K#F85E/A-E74C-FF6E}

率直真摯ご意見,本当にありがとうございます。今のデライトでは読みにくい長文になりますが,折角思いを込めて書いて頂いたので,こちらも相応の気持ちを込めて書かせて頂きます。

いまデライトをよくご利用頂いているユーザーの方々も,皆さん例外なく,最初はもとあじさん同様「半信半疑」で,初期の投稿もどちらかというと苦言に近いものでした。様々な問題点について率直に指摘して頂いたことで改善出来たことも多々あります。今回ご意見を頂いたことも色々反省しながら考えをまとめる良い機会になっています。

何より,デライトは,普及どころか開発成功するかどうかも分からない,という無謀プロジェクトとして始まり18年以上になります。開発者を殺しでもしない限りは折れようがないので,ご意見・ご批判に遠慮必要は全くありません。から始まった物が人様に少しでも気にして頂けるようになったわけですから,全てありがたく受け止めています。

デライトの使い道についてですが,これは最近私自身よく考えているところです。

デライトは,もともと「具体的限定的に,とりあえずこういう風に使う」ことを提示するために開発が始まったサービスです。

デライト採用している CMSデルン(deln)といいます。これはデライトよりもっと汎用的といいますか,「工夫次第で何にでも使える情報管理ツール」でした。さあこれを売り込もうと考えた時,あまりにも漠然としていて掴み所がないという問題直面しました。そこで,まずは気軽に使えるメモサービスにしてみようと始まったのがライト版デルン,つまりデライト(Delite)の開発でした。

ただ,メモサービスにしただけではまだ利用イメージがわかないという方も多いだろうと思いました。かといって,枚挙に暇がない利用例を列挙してもかえって本質がぼやけてノイズになってしまいます。概要実例を見てピンと来ない人が,だらだら長ったらしい利用例のリストを見る気になるかというと疑問です。もし具体的な利用例を提示するのであれば,訴求力の高いものを厳選する必要があります。それも,理想を言えば一つです。

そこで目を付けたのが SNS(厳密にはマイクロブログ)と個人知識管理サービス結合した KNS というアイデアでした。「とりあえず使い始めてもらう」ことを考えるのであれば,マイクロブログ以上の入り口はないでしょう。Twitter中心宣伝しているのもここに理由があります。

ここまでしてもまだ使い道が分からない,という方が多くいらっしゃるのも事実です。文書実装改善余地も多々あると思いますが,根本的なことを言ってしまうと,新しい技術について言葉説明するのは本来難しいことでもあります。百聞は一見に如かず概要を読んで分からなければ実際に使っている所を見てもらう,それでも分からなければ,その人にとってまだ機が熟していない,ということなのかもしれません。

個人的経験から言えば,私は最初期の Twitter使い道がよく分かりませんでした。最近,Googleゴミのようなページがよく引っかかるな,というくらいの感想でした。少しずつ話題や様々な使い方を目にすることが増え,ある時突然,今やりたいことにあれが使えるんじゃないか?と気付いた瞬間がありました。当時そういう人は多かったと思いますし,新しい技術に人が触れ始める時というのは得てしてそんなものではないでしょうか。

ある程度は時間が解決する問題なのであれば,今のデライトは非常に良い状況にあると思います。これが,ご指摘の中にもある「黄金循環」です。

実は,最近のデライトには右肩上がりトラフィックが集まっています。アクティブユーザー描出量や検索流入が増えていることに加え,もとあじさんのように様子見で読むだけの方も増えているのだろうと思います。

ご覧の通り,デライトは Twitter のようなマイクロブログよりも微細情報を扱うことが出来ます。Twitter なら書き手にとっても読み手にとってもノイズにしかならない本当の思いつきを問題なく垂れ流せるように設計されているからです。それでいて,知番という識別子によるリンクは,ウィキキーワードリンクよりも強力でまず切れません。更に,アウトライナー的に既存の情報がまとめられていきます。全てリアルタイム公開状態で,大小無数のページ意味的な結び付きとまとまりをもって増殖し続ける仕組みです。

デライト上で完成しつつある情報蓄積発信集客・(広告収益開発理想的好循環,これを「黄金循環」と呼んでいます。これがこのまま加速し続ければ,知的活動に直接根差した知識産業大金脈です。手前味噌ながら,昨今の SNS世界的影響力も踏まえれば,その社会的文化的可能性は計り知れません。

加えて,デライトは極めて効率的開発運営体制構築成功しており,全く収益が無い状態でも開発者が生きている限り,あと50年くらいは潰れようがありません。

要するに,デライトが多くの人の目に触れるようになるのは時間の問題だろう,と私は考えています。そして,人々の中でデライトについて意識する時間が増えることは,デライトの使い道について気付く機会が増えることでもあるのだろうと思います。

こうしたことは,ご指摘の思想臭さ難解さを隠さなくなった理由でもあります。目先集客にとらわれず,長い目で見て,しっかりとデライト理解して頂くための活動注力出来るようになったわけです。

だいぶ長くなってしまったので,これについては新しい輪郭(以下)で書きます。

造語について
思想について

{KNS}
{}