「ウェブログ」(weblog)はジョーン・バージャーの造語(1997年)。
「ブログ」と呼び始めたのはピーター・マーホールズ(1999年)。
Blogger も1999年にサービスを開始している。
マーティン・ファウラーは,「ブログは医者に取り除いてもらうべき何かみたいだ」(https://martinfowler.com/bliki/WhatIsaBliki.html)と同僚の言を引用しつつその名前の不気味さを指摘している。
「ウェブログ」(weblog)はジョーン・バージャーの造語(1997年)。
「ブログ」と呼び始めたのはピーター・マーホールズ(1999年)。
Blogger も1999年にサービスを開始している。
マーティン・ファウラーは,「ブログは医者に取り除いてもらうべき何かみたいだ」(https://martinfowler.com/bliki/WhatIsaBliki.html)と同僚の言を引用しつつその名前の不気味さを指摘している。
先日「希哲館」の由来について書いたので,命名に関する思い出話ついでに,今度は「デルン」(deln)の由来について書いてみよう。
デライトで採用している CMS としてしばしば言及するこのデルンだが,「ブログ」や「ウィキ」に相当するものだと思ってもらうのが一番分かりやすいだろう。例えば,Wikipedia がウィキを利用していたり,アメーバブログがブログを利用しているように,デライトはデルンを利用しているわけだ。
これだけで,デライトの独自性が常軌を逸していることはお分かりだと思う。長年インターネットで広く使われてきたブログでもなくウィキでもなく,全く新しい CMS の形態から考案し,サービス化したのがデライトだ。ちなみに,「デライト」(Delite)の由来は「ライト(簡易)版デルン」(Deln Lite)だ。
そのデルンの名は,基礎理論である「輪郭法」に由来している。輪郭法は英語でデリノグラフィー(delinography)という。デリノグラフィーはデリニエーション(delineation)という英単語に由来している。輪郭を描くこと,描写,などを意味する言葉だ。こう辿っていくとややこしい話だが,それだけ長い文脈があるということだ。
さて,デリノグラフィーを縮めたのがデルンだが,この名前を考えたのは希哲6(2012)年頃で,デルンの実用化直前だったのでさほど詳しい記録も残っていない。
ただ,当時はブログやウィキの代替を強く意識し,名前もそれらの特徴を踏まえようとしていたことはよく覚えている。つまり,ラテン文字で4文字,カタカナで3文字,一見不思議な呪文のような響きだが,由来はちゃんと説明出来るという名前だ。ブログ(blog),ウィキ(wiki),デルン(deln)と並べてみれば分かりやすい。
特にデルンという言葉の何とも言えない響きには,命名から9年ほど経った今でもまだ慣れない。何度口にしてもすっきりしない。もっと良い名前があるんじゃないかと,何度思ったか分からない。
ただ,この微妙な語感こそ記憶に残りやすい言葉の特徴で,ブログやウィキが普及した理由も実はここにあるのではないかと思っている。何かよく分からない言葉を最近よく聞くなと思えば,それについて知ってみたくなるのが人の性だ。
一方で,「デライト」はごく簡単に,すっきり飲み込みやすい名前にすることを意識した。よく使われるカタカナ英語なので,それ自体に印迫は無い。この対照的な「デルン」と「デライト」を上手く使い分けて市場活動に活かしたいところだ。
広く読んでもらうための文章を毎日一つ書く習慣「一日一文」を,今日からデライトで再開することにした。
文章訓練も兼ねた献典拡充のため,希哲8(2014)年頃から断続的にやってきたことだが,昨年のデライト正式離立以後はまともに出来なかった。単純にデライト開発に追われてそんな余裕が無かったということもあるし,多少なりとも時間を費す以上は効果的に発信したい,という気持ちに応えられるデライトでもなかった。
最近,開発が自分でも信じられないような快調ぶりで,デライトは日々着実に進歩している。発信媒体としても十分な信頼性と機能性を有するようになってきた。機運が熟したということだろう。
一日一文は1時間以内を目安に書くことにしているので,あまり凝ったものにはならないと思うが,デライトや希哲館事業について知ってもらうための文章を少しずつ書いていきたい。書いた文章は,よほどまずくなければ『道草録』という随筆集に収録していくことにした。
『道草録』はもともと,希哲元(2007)年の希哲館事業発足と同時に始めたブログの名前だった。途方もなく巨大な事業構想を前に,全てが手探りで,何でも試してみるしかなかった当時の私の心境をよく表している。初心を思い出すという意味でも良いのではないかと思った。
さて,デライトは,快調な開発状況を背景として収益目標達成の必達期限を11月1日から5月1日に早めた。つまり,今月は勝負の月だ。個人知識管理に大革新を起こそうというデライトの挑戦をぜひ一緒に楽しんでほしい。
WordPress も,希哲元(2007)年から使ってたものだと思うとなんか凄いな。当時はまだ Movable Type も有力視されていた。まさか,ブログがここまで WordPress 一辺倒になるとは思っていなかった。
少し気持ちも落ち着いてきたため,利楽しながら作業を進めた。それでも並程度の進捗ぶりではあった。
短期集中生活とはいえ小休養の必要は感じながらも,連日興奮気味でまともに睡眠も取れないということが続いていた。ここで少し呼吸を整えたい。
一日一文の歴史を遡っていて,久しぶりにブログ『道草録』を思い出した。希哲館事業最初期から WordPress で運営していたブログで,ある面でデルンの前身と言えなくもない。この「道草」という言葉は,希哲館事業の途方もない大きさを前に全てが手探りだった当時の心境をよく表している。色々な想い出が蘇えり,少し涙ぐんでしまった。
題名も気に入っていたので,希哲8年頃に私の随筆集として『道草録』を再始動させようと考えたこともあったが,何となく立ち消えになっていた。一日一章を始めて間もない頃だったので,いずれ関連させようとは思っていたのだろう。
ここで,一日一文を『道草録』の素材にすることを思い付いた。これも一つの希哲館累新だ。
考えてみれば,月庭・デライト転送の開始以後,kitetu.com から窓口になるような献典が無くなっていた。ほぼ毎日書いている文章といえば『希哲日記』だが,これは当時の心境や事実を記録することに主眼を置いたもので,人に読ませることを意識したものではない。『希哲日記』に書き切れないことを書いておく所としても『道草録』という題名は好ましい。
読み手を意識した文章として,メリハリを付けるためにも一日一文には敬体を使おうかと思ったが,気を使い過ぎて書きにくくなってしまう恐れがある。多少ぶっきら棒なくらいが良さそうなので,まずは常体で書き始めることにした。
続けるのが難しかった最大の理由は,書き始めるとついつい凝り過ぎてしまうということにあった。1時間以内で書こうと思っていても,結局数時間かけてしまうことが多かった。それが普通になると書き始めるのにも気力が必要になってしまう。
デライト収益模体で最後の課題とも言える握接急増対策について,一応の方針が定まった。
デライトの収益化は決して困難なことではないと考えていたが,それには,制御可能な安定拡大を続ける限り,という条件が隠れていた。そもそも人が集まらない場合,あるいは,人が集まり過ぎた場合には予測不能としか言えない。もっとも,いずれにせよ集客の努力はこれからすることなので,今から心配しても仕方ない。今から考えておくべき問題は,その努力の結果,手に負えない握接が集まったらどうするか,ということだ。
そんなことを考えながら,以前にも同じ問題について考えていたことを思い出した。その時から,クラウドの自動拡張等に頼らず,流量制御で対応するつもりだった。
そもそも,希哲社の経営方針からして,投資や貸付に依存した先行投資はやりようがない。手動であれ自動であれ,自力で賄える範囲でサービス拡大を続けるしかない。そのためには,何より支出を抑制することが重要になる。必然といえば必然の結論だ。
そして,幸運にも,希哲社にはそれを可能にする環境がある。13年近くの研究開発の成果を手にしながら,莫大な借金を背負っているわけでもなければ,投資家に急かされているわけでもない。輪郭法はもはや事実上の特許であり,競争上有意な模倣は不可能だろう。
現状,毎月数十万円の収益でもあれば,とりあえずは大成功というくらいデライトも超高効率運用だ。これは下層のブログ生活者程度の収益水準であり,むしろ本気でやって出来ないわけがない。サービス拡大に焦る理由もない。
改めて,デライトの「安定拡大戦略」を明確にして,デライト収益模体は一応の完成をみた。
天気の悪い日が続くものの,まだ調子は保っている。天気予報を見る限りしばらくはこんな日が続きそうだが,晴耕雨読で謂うところの読が重要な時期なので丁度良かったかもしれない。
しかし,こう天気が不安定だと生活律動は狂いそうだ。今日も,どうせ雨か曇りだろうと思って作業の時間を多めに取るつもりだったが,夕方頃からあっさり晴れていたので急遽散歩に出た。これならずっと雨の方がまだ落ち着く。
その散歩で,何気なく書店に立ち寄ってみた。世相を感じ取るため,書店に並んでいる本をざっと眺めてみる,ということをたまにしていたが,そうしてあまり良かった記憶が無いこともあり久しぶりだった。
相変わらず,日本の書店には,日本を変えようとか世界を変えようとかいう本は少なく,そこそこの金持ちやそこそこの有名人になって楽しく暮らそう,変化する世の中に合わせて賢く立ち回ろう,というような本ばかりが目立っている。インターネットに革新を起こしてやろうという本は見当たらないが,ブログだの YouTube だので上手く金を稼ごうという本はたくさんある。
こういう光景を目にして,昔の私はまさに怒髪天を衝くという勢いで怒り狂っていたのを思い出す。なぜ日本人はこんなに志が低いのか,どうせ持つならもっと大きな夢を持て,お前らのせいで日本は衰退していくばかりじゃないか,というわけだ。こういう本を書く人間のことも読む人間のことも,おぞましいものを見るような目で軽蔑していた。
しかし,いまや「普通の人」の人生ほど苛酷なものはなく,大志など贅沢品なのだ,ということを流石に私もこの歳になって悟りつつある。SNS での金配りに「ギブ・ミー・チョコレート」同然に群がる日本人も,この手の本に救いを求める日本人も,みな希望に飢えている。日本は今,精神において焼け野原だ。
大志を抱くほどの余裕もないが,平凡でもいられない,という人々の苦しみを理解出来ず,寄り添えない者にも世の中を変えることは出来ないだろう,と思えたことに自分の成長を感じた。