{開発}{研究}{探究}{}{日本語}{一日一文}{デライト}{10代}{希哲館事業}{希哲15年6月の一日一文}(123)

{自分自身についての研究 K#F85E/E74C-7BFB}

この一日一文という日課再開してから改めて強く感じることは,私にとって最大の関心事は私自身だということだ。

確かに,釈迦孔子ソクラテスキリスト……その他高名歴史上思想家達の思想生涯よりも,自分自身が体験した「閃き」の方が私には気になる。あの閃きの起源真の可能性探究することが生涯の仕事になるのだろうと思う。

10代の頃から世界中思想について情報収集してきたが,ほとんど自分自身の体験だけを元にここまで思想展開し,独自の技術まで開発している人間なんて他には思いつかない。「独創的」という日本語賞賛に近い響きを持っているので自分で言うのはすこし憚られるが,「世界で最も独自的な思想家」くらいのことは言っても許されるだろう。

もっとも,“独自性オリジナリティ”というのもここまで来ると実際病気に近いものがあり,一概に褒められたものではない。この独自性のせいで自殺を考えるほど悩んだこともあるし,この独自性から生み出したデライトはその独自性ゆえに苦労しているわけだ。私が希哲館事業を「精神の癌」と呼んできた所以だ。


それでも,私がこの極端なまでの独自性に希望を見出しているのは,しばしば「独自性の欠乏」を指摘される日本で,閉塞感突破口を一つでも多く作りたい,という思いがあるからだ。

日本は紛れもなく“個性的な”だ。外国人は,お世辞もあるだろうが「日本人ユニークだ」などと言ってくれる。ただ,日本人自身は,その個性の大半が,個人によるものではなく,みんなで同じことをやっていたら世界的には珍奇なことになっていた,という類のものであることを知っている。ガラパゴスというやつだ。

思想哲学分野で昔からありがちな日本人批判に,外国思想思想家についての研究者は多いが,独自の思想を持つ日本人がほとんどいない,というものがある。日本人がやっているのは「哲学」ではなく「哲学学」に過ぎないのではないか,というわけだ。

これはいまだに重い問いだと思う。「日本の個性的な思想家」というと,武士道やらやら外国人東洋趣味に訴えるような人であったり,サブカルのような「隙間」で活躍する人ばかりが思い浮かぶ。世界史ど真ん中で,例えば,ルソーカントマルクスなどと肩を並べられる日本人思想家が一人でもいるか,という話なのだ。

私は,10代の頃から哲学情報技術の両方に関心を持っていたので,日本の情技(IT)業界にも同じような「日本病」があることに,割と早く気付いた。

読み込み中...
{英語}{一日一文}{KNS}{デライト}{SNS}{20歳}{17歳}{10代}{希哲館事業}{希哲15年5月の一日一文}(80)

{人間への共感 K#F85E/E74C-BE3A}

私には,いわゆる「共感力」というものが無い。時々思うことだ。

普段書いていることを見ていれば何となく分かると思うが,私は,あまり多くの人と同じような生活をしていない。これは昨日今日始まったことではない。10代の初め頃からずっと,私はこんな調子で生きて来てしまった。

反共感としての KNS

思えば,私が KNS なんてものを発明したのも,この共感力の無さによるところが大きい。

私には,主にマイクロブログ系の SNS消極的に使っていた時期がいくつかあり,そういう時期に私を見かけた人なら分かるかもしれない。私の SNS の使い方は,基本的に独り言を延々と垂れ流す,というものだ。しかも,自分で考えた造語翻訳語をちりばめて,だ。

最初からこうだったわけではない。最初に SNS に接したのは20歳そこそこで,その頃は周囲に合わせようとしていた。ところが,使っているうちにある問題に気付いた。同じような年頃の人達が,自分とは全く違う生き方をしているということだ。

例えば当時,よく若者の間で盛り上がっていた話題といえば,就職氷河期下での就活だとか,日本社会への悲観論だったりした。

それが私には全く分からなかった。当時の私は,希哲館事業を始めばかりだった。ろくに学校にも行かず17歳輪郭法いた私は,定職につく気も無く,どうすれば世界史上最大の企業を創り,日本世界史上最大の極大国ハイパーパワーに出来るかということで頭が一杯だった。

「もう日本は駄目だ」「英語勉強して日本を出よう」などという悲観論が渦巻いていた SNS で,ただ一人,「これから自分が日本を世界の中心にする」と希望に満ち溢れていたのが当時の私で,要するにずっと変わっていないのだ。最初はそれがズレていることにも気付いていなかったと思うが,流石にだんだん周囲との空気の違いが分かってくる。

SNS というのは,多くの人にとっては仲間を見つけたり,共感しあったりする場なのだろうと思う。私にとっては,使えば使うほど,自分がいかに世界の中で孤立した精神の持ち主か,ということを思い知らされる場だった。単純に,あまり面白いものではなかった。

読み込み中...
{希哲14年5月10日のツイスト}{希哲14年5月10日}{日本の情技業界}{ツイスト}{重役}{アメリカ企業}{駄目}{出世}{日本人}(9)
{HarmonyOS}{希哲13年8月9日}{希哲13年8月9日のツイスト}{コバンザメ}{ツイスト}{アメリカ企業}{日本}(7)
{希哲13年6月26日}{希哲13年6月26日のツイスト}{日本の情技業界}{二流}{ツイスト}{後追い}{アメリカ企業}(7)

{あれ K#F85E/5B28-B93F}

それでは,価値を作っているアメリカ企業に勝てないのは当たり前。万年後追い,万年二流。それでは駄目だ。もっと駄目なのは,それが駄目だと言える人間がいないところ。内輪ノリで細々と食いつないでいければいい,という根性。

{希哲13年6月6日}{希哲13年6月6日のツイスト}{ツイスト}{アメリカ企業}{極大国}{日本}(6)
{希哲13年4月24日}{日本型 SIer}{希哲13年4月24日のツイスト}{日本の情技業界}{ツイスト}{アメリカ企業}{納品のない受託開発}(7)
{アメリカ企業}

{}