どんな世界であれ,作った物を知ってもらう,買ってもらう,使ってもらう,というのは難しいものだ。
実は私も,こういう市場活動についてよく勉強していた時期がある。効果的な語体や獲句,唱願の作り方が知りたくて,片っ端から実例に目を通して考察を重ねたりした。「デライトの“掴み”の良さ」でも書いたように,デライトが一定の関心を得ることに成功しているのは,そんな勉強の成果かもしれない。
とはいえ,市場活動の実践はデライトが初めてで,それも正味半年足らずという経験の浅さだ。まだまだ素人に毛が生えたようなものだろう。
世の中で売れているもの,流行っているものを観察してみれば,市場活動というものがいかに一筋縄ではいかないものか,よく分かる。
綺麗で整ったものが売れるのかというとそうではない。引っかかりがなく,つるんと飲み込みやすいだけのものは,またつるんと忘れられてしまう。完成度が高ければいいのかというとそうでもない。愛嬌も必要だという。
いわゆる炎上商法は比較的確実に知名度を上げられる方法だが,それはとてつもない汚名と引き換えに手に入れるものだ。それでもその手を使う者が後を絶たないのは,認知されることがいかに難しく,価値あることかをよく示している。
デライトをどう売り込み,知ってもらうべきか,これは開発者である私自身も含めて,まだ誰にも確かなことは分からない。
よく頂く感想に,「風変わり過ぎてとっつきにくい」というものがある。これも,考えよう・使いようで,実は強力な武器になりうる特徴でもある。
印迫を残しつつ,どうやって多くの人に使ってもらえるものになるか。色々な反応を頂きながら毎日学んでいる。しばらく試行錯誤が続きそうだが,これも幸せなことだと思う。