{希哲15年7月の一日一文}{死ぬまで}{鳴かず飛ばず}{世に出た}{不思議な人}{数学の教科書}{数学塾}{特殊な環境}{助けられる}{特別な力}...=}(139)

{希哲館はなぜ潰れないのか? K#F85E/A-E74C-9EBB}

一日一文という日課再開して3ヶ月経ち,希哲館事業についてもだいぶ伝えやすくなったと感じている。

この希哲館事業も,11月1日14周年を迎える。もっと遡って,17歳の時の「閃き」を原点とするなら,もう20年近い歴史がある。今まさにデライト収益目標達成に向けて大詰めという時期だが,これだけ長い間,まともな収益がなく事業が存続してきたことには,いくつかの理由がある。

覚悟

まず,「日本はどう逆転するか」や「私の政治思想」などを読めば分かるように,希哲館事業構想は,「人類史上最大の事業構想」と言っても過言ではない無謀の極みであり,当然ながらその自覚絶望から始まっている。

希哲館事業の可能性気付いた17歳の私は,その過程にある,あらゆる困難想像し,絶望と戦うことになった。

この前年,アメリカ同時多発テロ事件があった。希哲館事業の根底には,あらゆる宗教,あらゆる思想を越えて世界連帯させうる“新しい価値観”への世界的要請があったように思う。

今となっては笑い話に近いが,そんな世界情勢もあり,私は,イスラム過激派にでも捕まって自分が生きたままを斬られたり,日本を追われて世界放浪したりするのではないか,そんなことまで想像していた。そんな極限状態でもこの事業を育てるために,あらゆることを考えた

閃きから5年後,私はあらゆる困難と戦う覚悟を決め,希哲館事業を始めた。全ての,自分以外の全ての人間敵に回すかもしれない,人生の全てをかけた努力が全く報われないかもしれない。それでも自分はこの事業尽力しよう。そういう覚悟だ。

希哲館館章竜胆蛍」は,この絶望的暗闇に飛び出す一匹を模したものだった。希望儚い光であり,滅びの美学のような,私の人生観覚悟象徴するものでもあった。

それから14年近く経つが,想像していたような貧苦迫害もなく,この日本社会ぬくぬく楽しくやってこれてしまった。稼げなくても大して困らず,あの覚悟のおかげで,むしろぬるま湯のように感じていた。

環境

希哲館事業を始めたばかりの20代の私には,自分の5年先の人生が全く想像出来なかった。20歳ちょっとの時は25歳くらいで死んでいるだろうと思っていたし,25歳くらいの時は30歳まで生きていないだろうな,と思っていた。いま私は36歳だが,健康そのものだ。

家族にも親戚にも見放され……というようなことも覚悟していたが,そんなこともなく,関係は割と良好だ。

もっと若い頃の私は,端的に言って「極度の世間知らず」だった。希哲館事業なんてものを始められる人間は,日本どころか世界を見渡してもまずいない。それが出来るのだから,何か自分には特別な力が宿っているのではないか,などと思っていた。自分は矢吹丈みたいなものだと思っているくらい,環境というものを無視していた。

散々周囲に助けられ世間について知るごとに,そういう考えは出来なくなった。どんなに覚悟があり性格が向いていても,この特殊な環境が無ければここまで来れなかっただろう。

性格

最近,父親と話すことが増え,に似た性格希哲館事業を続けていられる小さくない要因だなと思う。

父は子供の頃から数学が好きで,埼玉大学数学科に入ったものの学生運動ごたごた中退,その後は情技(IT)起業してみたり色々あり,いま70歳を越えているが,画期的数学の教科書を作って数学塾を開こうと奮闘している。

いつまで経っても金を稼ぐのが苦手で,ぼろぼろになりながら夢追い人を続けているような人だ。なけなしの貯金デライト出資してくれるような不思議な人でもある。

そんな父を見ていると,70歳80歳になっても希哲館事業を続けている自分が容易に想像出来てしまう。

私も,もう希哲館事業について考え始めてからの人生の方が長い。デライトで多少世に出た感はあるが,それはつい去年のことだ。仮にデライトがずっと鳴かず飛ばずだったとしても,死ぬまでこんなことを続けているのだと思う。

{大きな喜び}{大き過ぎる収穫}{めきめき上がる}{邪魔が入る}{半月ぶり}{希哲15年7月16日}{デラング文書整備}{朝の輪郭整備}{デラング}{朝の一日一文}...=}(43)

{希哲15年7月16日の日記 K#F85E/A-E74C-3F9E}

ここのところ調子が出るまでに時間がかかることが多いため,今日は午前中から半月ぶり朝の輪郭整備からの朝の一日一文をこなしてみたが,今度は昼食後に調子が落ちてしまった。

邪魔が入ったこともあるだろうが,疲労のせいかという気もした。日曜日休みが取れない可能性があるため,急遽半休にして利楽しながら開発を進めた。

デラング文書整備中断しているが,そもそも KNEST 隠し実装作業方針への迷いからデライト高速化中断して入ったのがデラング整備だったので,本来の足場復帰したことになる。今のデラング寄り道にしては大き過ぎる収穫で,錯覚しそうになる。

デライト高速化前の現状整理の通り,高速化デライトの価値確実向上させる手段なので,少しでもった時は高速化しておけば間違いないだろう。

実際,デライト高速化再開してからのここ数日だけでも,デライトの品質めきめき上がっていることに大きな喜びを感じている。

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{一日一文}{頭を切り替える}{極端な例}{書きたいこと}{書こうとする}{避けようがない}{熱が入る}{こだわらない}{書き終えられる}{厳密に守る}...=}(71)

{希哲15年6月16日の日記 K#F85E/A-E74C-90D6}

第三次黄金状態での過熱抑制も兼ね,久しぶり定時執務再開した。前日反省から,一日一文書き方見直したこともあり,ここ数日感じていた揺らぎ払拭安定感取り戻したばら成し良く,メリハリのある気持ち良い一日だった。

21時過ぎには眠り,5時過ぎには目が覚めるような生活にも大分慣れたが,進捗を落としたくなかったことと時間帯を決めているデライト宣伝都合もありなかなか定時執務に入れなかった。

しかし,ここ数日の経験で,やはり連日20歩前後の進捗という生活危険だと思うようになった。休日を取ってしまうと高速道路で急ブレーキをかけるような危なっかしさがあるし,かといって無休心身が持つとも思えない。

調子に乗って欲が出てしまったが,もともと10歩台後半維持理想としていたのだし,8時間執務で最低16歩になれば十分だろう。

デライト宣伝はまだ低頻度なので,宣伝攻勢までに執務時間をどう調整するか考えておく。


一日一文については,1日2時間という時間制限厳密に守ることにした。これまでは「目安」だったため,あと少しで書き終えられるとなると延長してしまうことが多かった。

これと同時に,あまり文章を書き上げることにこだわらないことにした。これまで,書き上げてはじめてその日の一日一文ということにしていたが,一つの文章に数日かかったらその数日も一日一文が出来たことにする。つまり,「○○日の一日一文」だけではなく「○○日〜○○日の一日一文」があってもいい。重要なのは内容であり,毎日なにかしら書こうとすることだ。

これまでの経験からいって,書いているうちに熱が入って長くなってしまうということは避けようがない。最近,頭の片隅に書きたいことを溜めておけるようになり,題材困ることは無くなったが,代わりに詰め込みがちになっている。前日はその極端な例だった。

残りわずかでも2時間に達したら中断し,それなりに読める内容であれば「書きかけ」として公開し,翌日に続きを書き,時間が余ったらもう一つ書くようにすればいい。

この日はこれを実践して上手く頭を切り替えられた。

17日振り返り日記

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{一日一文}{希哲15年6月の一日一文}{歴然たる差}{彼我}{日本人思想家}{東洋趣味}{哲学学}{日本人批判}{悩んだ}{許される}...=}(123)

{自分自身についての研究 K#F85E/A-E74C-7BFB}

この一日一文という日課再開してから改めて強く感じることは,私にとって最大の関心事は私自身だということだ。

確かに,釈迦孔子ソクラテスキリスト……その他高名歴史上思想家達の思想生涯よりも,自分自身が体験した「閃き」の方が私には気になる。あの閃きの起源真の可能性探究することが生涯の仕事になるのだろうと思う。

10代の頃から世界中思想について情報収集してきたが,ほとんど自分自身の体験だけを元にここまで思想展開し,独自の技術まで開発している人間なんて他には思いつかない。「独創的」という日本語賞賛に近い響きを持っているので自分で言うのはすこし憚られるが,「世界で最も独自的な思想家」くらいのことは言っても許されるだろう。

もっとも,“独自性オリジナリティ”というのもここまで来ると実際病気に近いものがあり,一概に褒められたものではない。この独自性のせいで自殺を考えるほど悩んだこともあるし,この独自性から生み出したデライトはその独自性ゆえに苦労しているわけだ。私が希哲館事業を「精神の癌」と呼んできた所以だ。


それでも,私がこの極端なまでの独自性に希望を見出しているのは,しばしば「独自性の欠乏」を指摘される日本で,閉塞感突破口を一つでも多く作りたい,という思いがあるからだ。

日本は紛れもなく“個性的な”だ。外国人は,お世辞もあるだろうが「日本人ユニークだ」などと言ってくれる。ただ,日本人自身は,その個性の大半が,個人によるものではなく,みんなで同じことをやっていたら世界的には珍奇なことになっていた,という類のものであることを知っている。ガラパゴスというやつだ。

思想哲学分野で昔からありがちな日本人批判に,外国思想思想家についての研究者は多いが,独自の思想を持つ日本人がほとんどいない,というものがある。日本人がやっているのは「哲学」ではなく「哲学学」に過ぎないのではないか,というわけだ。

これはいまだに重い問いだと思う。「日本の個性的な思想家」というと,武士道やらやら外国人東洋趣味に訴えるような人であったり,サブカルのような「隙間」で活躍する人ばかりが思い浮かぶ。世界史ど真ん中で,例えば,ルソーカントマルクスなどと肩を並べられる日本人思想家が一人でもいるか,という話なのだ。

私は,10代の頃から哲学情報技術の両方に関心を持っていたので,日本の情技(IT)業界にも同じような「日本病」があることに,割と早く気付いた。

情技業界でも,やはり外国から来た技術流行について日本人敏感で,非常に勉強熱心だ。知識量では決してアメリカ人に負けていないだろう。ではなぜアメリカにここまで水をあけられているのか。外国人が作ったものを勉強することは出来ても,世界中で勉強されるようなものをなかなか作り出せないのだ。

こんなことを言うと,特定分野で一応世界的に名の知られた日本人を引き合いに出して反論したくなるかもしれない。しかし,これも先の思想家についての問題と同じで,ではジョブズゲイツのような経営者ドナルド・クヌースケン・トンプソンのような技術者と並び称される日本人が一人でもいるだろうか,と考えてしまうと,残念な結論しか出ない。

あの凄いアメリカ企業出世した,あの凄いアメリカ人知り合いだ,この業界での「凄い日本人」の話は大抵こんなものだ。気休めを言ったところで,彼我歴然たる差は認めるしかない。


ただの日本人批判をするつもりはない。

私は,個人性格にも,いわゆる国民性にも,一概に優劣をつけることは出来ないと思っている。実際,日本人は,この日本人らしさで,一番ではないにしても十分な成功を収めてきた。しかし,向き不向きはある。今の日本人は,明らかに知識産業には向いていない。これからの知識産業時代適応出来ない。ではどうすればいいのか。

やはり,日本人自身が,日本から世界に向けて,「誰も投じたことのない一石」を投じなくてはならない。成功するにせよ失敗するにせよ,希哲館事業もその一石には違いない。だから,少なくとも希哲館事業が日本にある限り,日本にはまだ可能性がある,と私は思えるのだ。

アメリカ人は,ぼろぼろ吊り橋を平気で渡っていく。日本人は,それをずっと後ろの方で様子見して,石橋が出来てからそれを叩いて渡る。これでは勝てないのが情技産業知識産業だ。

世界のど真ん中で,誰もやらなかったこと,誰もやれないことを誰よりも先にやり,誰も見たことがないものを誰よりも先に見る。いま日本が必要としている“独自性”というのは,突き詰めればそういうことなのだと思う。

{希哲15年6月12日}{入浴記録}{全身浴}{射雨}{20時30分}{諸事情}{再開}{入浴}=}(8)
{舞覧環境}{希哲15年6月6日}{21時就床}{輪郭整備}{朝の一日一文}{迷った}{快調期}{中途覚醒}{第三次生活習慣改善}{握接遮断}...=}(45)

{希哲15年6月6日の日記 K#F85E/A-E74C-A44F}

理想的21時就床生活律動にもだいぶ慣れ昨日までに組計スケジュール環境万端い,これで万全の態勢が出来た,と意気揚々に一日を始めたものの,いまひとつ進捗は伸びなかった。とはいえ,これだけ状態が良いので流石に「上の下」ではある。

急速気分緩和した時に起こりがちなことだが,やや思考散漫だった。

快調期に入りあまり必要性を感じなくなったことと舞覧環境更新3月15日7歩したことでいったん解除していた握接遮断を明日から再開してみることにした。明日から朝の一日一文前に輪郭整備も始めることにしたので少し迷ったが,情報収集必要時間帯作業集中したい時間帯で切り替えるなどしてメリハリを付ける。

その他,良い兆候としては,ここ数日で睡眠の質改善が見られる。中途覚醒が減り,熟睡感が得られるようになってきた。第三次生活習慣改善後もなかなか改善せず課題と感じていた。

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{再開}
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