18時過ぎ,ギリシャヨーグルト,鶏皮の唐揚げ,キャラメルパイ。
20時頃,極め納豆(生卵入り),トマトアボカドサラダ。最近,食べ過ぎ気味なので控え目にした。
昨晩は興奮気味で久しぶりの短時間睡眠だったが,一日一文「私の成功観」を書き上げ,デライト開発も捗り出し,快調だった。
一日一文に書いた通り,あと1年かかるとしても奇跡を越えた出来事になるデライトの完全な成功だが,夢は楽しい方が良いので,とりあえずは年内達成を緩く目指すことにした。
最近,花の様子がおかしく,ちょくちょく動物病院に行っているが,今日も診てもらってきたようだ。抜け毛と皮膚の赤みがひどくなってきて,妙にふらふらしている。直ちに命にかかわるような状態ではないものの,明確な治療法もなく様子見らしい。
死を想像して落ち込みかけたが,花の晩年にちょうど長期安定体制が完成しゆとりが出来たことを前向きにとらえることにした。4匹目の飼い犬の死で後悔だけはしたくないので,少しでも穏やかに長生きするように,出来る限りのことをする。
まただいぶ間をあけてしまった一日一文だが,少しゆとりも出来てきたのでぼちぼち再開したい。継続性について考えてしまうといつまでも再開出来ないので,停止したり再開したりは今後も繰り返しながら,あまり気負わずやっていく。
半年ほど前から,デライト市場戦略にも大きな変化が生じている。個人知識管理サービス市場での競争よりも SNS 市場での競争という意識の変化だ。
当初から次世代の個人知識管理サービス(高機能メモサービス)としての売り込みを考えてきたデライトだが,2年以上の市場活動を通して,“時期尚早”の感が拭えなくなってきていた。
「デライトは従来の個人知識管理サービスとは桁違いの情報を扱える」という趣旨の発言をしたところ,その意図を全く理解出来なかった一部界隈から怒られるという,今となっては笑い話のような出来事(N10K 騒動)もあったが,最近,Notion の小さな流行にも考えさせられることが多かった。
綺麗で仕組み作りが楽しいと評判の Notion は,個人知識管理においてはどちらかというと初心者向けのツールだ。
よく,「勉強が出来る人のノートは意外と汚い」などと言われるが,個人差はあれど,その傾向があることに不思議はない。優れた記録術というのは,自分にとって必要な情報を的確かつ効率的に記録して取り出せる技術であって,それは他人から見て綺麗なものではないことが多い。それどころか,自分の理性に反するものであったりもする。
激化する SNS 戦国時代の中で,サービス文化について考えさせられることが多い。今日はちょっと面白い発見もあった。
以前にも SNS におけるオタク文化について考えたことがあるが(3月1日の日記),依然としてその影響力は強いと感じる。例えば,Misskey の猫耳機能などは私の価値観からすると完全にありえないものだが,そういう部分があることでオタク層からの信頼を得ている面はあるだろう。誰かにとっての「居心地の良さ」を提供することは SNS の核心であって,Misskey はまだ小規模ながら興味深い事例ではある。
最近でいえば,Threads の急速な台頭によって,キラキラした Instagram 的な場に対する「ドブ川」としての Twitter に,想像以上に多くの Twitter 用者が想像以上に強い愛着を持っていることが分かってきた。「陽キャ」に対する「陰キャ」のコミュニティであるという意識もやはり根強いようだ。それは単なる自虐というより,昔から言う「明るい人気者ほどつまらない」とか「面白い奴には根暗が多い」とか,その種の含みがある。
確かに,自分が好きだったお笑い芸人なんかを振り返ってみても,根暗でひねくれていた人ばかりだ。そういう人が,業界で一定の地位を築いて妙に社交的な「明るい人」になったりして,つまらないことで笑うようになり,かつての面白さを失っていく,という哀しい現象もよく見てきた。
明るい人というのは箸が転んでもおかしいという人なので,日常にそこまでひねりの効いた刺激は求めていないのだ。Twitter 用者が Instagram 的な SNS に感じるつまらなさとは,こういうことなのだと思う。
幼稚なデマに煽られやすいなど,全体としては知的脆弱さが目立つ Twitter ではあるが,役立つ投稿や面白い投稿が比較的多いことは認めざるをえない。学問も文芸も,多少ひねくれていたり,オタク気質だったりするくらいが丁度良いからだろう。その点で,Twitter 文化にはマイクロブログ型 SNS における確かな優位性がある。
そういう観点からデライト文化について考えてみたら,対 Twitter 戦略なんて無理筋じゃないかと一瞬思いかけた。というのも,デライト文化の種子たる私自身が,人間の限りない可能性と限りない成功に対して限りなく楽天的な性格であって,その実現のためにデライトを開発してきたからだ。サービス名を〈delight〉(歓喜)にかけているくらいなので,そもそもデライトはこの上なく明るい気分から生まれている。そういう意味では,インスタグラマーも真っ青なキラキラ志向なのだ。
単純な話,Twitter が陰キャ寄り,オタク寄りの SNS だとして,デライトがそうでないとすると,どうやって用者を移行させるのかという問題がある。ここまでのデライト運営の実感としても,Twitter をはじめとするマイクロブログ型 SNS からの訪問者は,明らかにデライト文化に引いている。
生活習慣改善の甲斐あって,顔付きが一段と良くなってきた。過去最高の状態を100点とするなら85点くらいにはなった。3年以上前に撮った今のアイコン写真が良くも悪くも80点くらいの状態なので,だいぶ取り戻した感がある。このまま100点,欲を言えば120点を目指したい。
デライト開発生活ではなかなか難しかった睡眠改善と食事改善が大きな課題だ。
最近の生活習慣改善を正式に「第五次生活習慣改善」と呼ぶことにした。
輪郭整備をしながらこれまでの生活習慣改善について振り返ったりもしたが,やはり,生活習慣改善・黄金状態とデライトのあいだには切っても切れないものがある。第一次生活習慣改善はデライト開発への助走のようなものだった。最近,デライトの完全な成功への期待が高まる中にあって開発にブレーキをかける格好になったのも,心身の状態が釣り合っていないと感じていたからだ。
私にとって,二つの夢を同時に叶える唯一の希望がデライトの完全な成功であり,黄金状態とデライトは車の両輪だ。これからの長期安定体制を活用し,最高の状態で釣り合うようにじっくり調整していく。