{希哲16年2月8日の日記 K#F85E/E74C-3D0A}
宇田川浩行この日も少し疲労感が強く調子が出るまでに時間がかかったが,一昨日から続くこの疲労感の正体は分かった。
やはり,身内に関するわだかまりがまだ残っている。昔からずっと引きずっていることではあるが,久しぶりに叔父の顔を見てからまた再燃したのだろう。今朝,それがはっきり分かる夢で目覚めて確信した。
いずれにせよデライト収益乗軌化を果すことが必要だが,この問題の解消に向けて行動することを決意した。最近の成功体験もある。祖父母もそれを望んでいるに違いない。
最近,デラング整備を中心とした黄金循環が出来ているように感じる。全知検索を中心としていた黄金循環を「第一次黄金循環」として,これを「第二次黄金状態」とすべきか考え始めた。「第二次快調期」とも被りそうだ。
実質的に休養が取れていないことが分かったので,少し利楽して早めに休むかと思ったが,寝支度をする頃に脳爆発が起きてしまった。
{希哲15年6月2日の飲食 K#F85E/E74C-D91A}
宇田川浩行{希哲14年11月の月記 K#F85E/E74C-4E4C}
宇田川浩行1日に希哲館創立13周年を迎え,希哲館事業の歩みを振り返った。まだまだ苦労が足りないと実感,もっと泥臭く頑張ろうと思った。
5日には10月までの短期集中生活で負った諸問題に解決の見通しが立つ。
6日,米大統領選挙の大勢が伝わり始め,ドナルド・トランプ落選をほぼ確信。希哲館事業にとっても重要だったこの4年についてよく考えた。
10日,第一次総括から2年あまりの歩みをまとめる「第二次総括」を始めることにした(後にこれを兼ねることになる「メカソクラテスの弁明」まで停滞)。
少し気分が弛緩していた中,叔父についての悪い報せを受け,希哲館事業の成功を急ぐ理由を思い出した。白熊作戦は短期決戦路線を維持し,デライトの成功は翌年11月1日まで見ておくことを考え始める。
12日,今度は姉が実家に来ているうちに調子を崩した(1週間ほどで復調する)。
13日,正式にデライト収益化の期限を翌年11月1日に延長することを決めた。
20日頃から自分でデライト宣伝に変化を感じるようになった。ツイストに重点が移る。
24日,この1ヶ月ほどの生活の変化と待欄調整による自制の結果として自身の描出量が激減していることもあり,デライトが高頻度利用に最適化され過ぎていることを問題として認識した。
25日,この問題を意識して書いたスレッド(デライトの特性について)中のあるツイストが一部で話題を集める(N10K 騒動)。
以後,「メカソクラテスの弁明」と呼ぶことになるツイスト群を練りながら今後のデライト市場戦略について再考し始める。
{希哲14年11月10日の日記 K#F85E/E74C-7B7B}
宇田川浩行諸々整理して一息つけるようになってきたため,今日は一日じっくり、ここ数日の諸記録を埋めながら今後について考えることにした。デライト宣伝も全く出来ない日が続いてしまったため,今日から毎日1歩分でも必ず時間を割くことにした。
また,今後の正しい計画策定のため,第一次総括から2年あまりの歩みをまとめ,これを「第二次総括」と呼ぶことにした。第一次総括同様,何日かかるか分からないが納得行くまで続ける。
そんなことを考えていた正午頃,叔父について悪い報せを受けた。ここ数年,妙に自分や周囲にとって都合の良いことばかり起きるので,そろそろ不幸が訪れるのではないかとかえって不安だったが,いよいよ来たか,と思った。それと同時に,デライトの成功,ひいては希哲館事業の成功を急がなければならないもう一つの理由を思い出した。
ここ最近,希哲館創立13周年を過ぎ,米大統領選挙も誰が勝ったとも言えないまま一応終わり,デライトの成功を急がなければならない理由を見失っていた。
用合い改良の山場を越えたことで太く短く時間を投入しなければならない作業はほぼ無くなり,細く長く継続していくことが重要な段階に入ったという感覚もあった。
普通,事業が収益化を急ぐのは存続に関わるからだが,デライトの超高効率運用なら十年でも五十年でも,私が生きている限り存続させることは難しくない。そういう意味で,デライトの成功も時間の問題には違いなかった。
それにもかかわらず,短期決戦から持久戦への移行を決断することは出来なかった。何か忘れているような,引っかかりがあった。件の報せを受けたとき,それが何だったのか突き付けられたような気分だった。私が成功を急いでいたのは,大義名分のためばかりではない。その前に死んでほしくない人が多い。
今のデライトの状況なら,目標期限を短かく設定すれば早期成功の可能性は高まるが,その代わり確実性は低くなる。一年後を見据えるか十年後を見据えるかで時間の使い方も変わってくる。健康上直ちに問題にならない程度に睡眠時間を調整するだけでも一日あたり数時間変わるだろう。
デライトの成功が十分な確実性と早さで期待出来る期限を考えた時,あと1年,キリのいいところで希哲館創立14周年となる希哲15年11月1日が最も妥当な線として思い浮かんだ。
離立から2年以内なら「ダーウィンの海短期攻略作戦」という白熊作戦の趣旨も辛うじて保てる。とりあえずはこれで短期決戦路線を維持することにした。