生活も体型も顔付きもほとんど4,5年前くらいの状態に戻っている。デライト開発に踏み出した時はもう戻れないだろうと思っていたが,デライトをはじめ多大な土産を持って帰れた。まったく夢のようだ。
ここ数日,寝苦しいわけでもないのに睡眠の質が良くない。Threads の登場で SNS 市場に地殻変動が起こりつつあることや,そろそろ長期安定体制の完成後を考えなくてはならない時期に来ていることで,ちょっとそわそわしているのかもしれない。
最近,良い意味で雑念が増えてきた。この4年余り,デライトの完全な成功以外のことはほとんど考えられなかったが,張り詰めていたものが一気に弛緩した感じで,懐かしさも感じる。
デライト以後の身体の変化という点では,デライト開発が本格的に始まった4年前には数えられる程度だった白髪がだいぶ増えたことが一番気になっている。全体的に見ればまだ黒々としているが,やはり健康面での消耗はそれなりにあったのだろう。これも長期安定体制への切り替えを考えるようになった理由の一つだった。理想状態を取り戻せるギリギリのところだ。
無理をする必要はなくなったので,7月いっぱいまではちょっと早い夏休みだと思って心穏やかに過ごすことにした。
領下手定め環境でも Let's Encrypt 証明書を導入した。
希哲14年から HTTPS 統一の一環で領下では自己証明書を利用していた。初回握接時の舞覧の警告は,一つの舞覧なら大した問題ではないが,舞覧や端末を切り替えながらの手定めは煩雑だった(最近は dnsmasq の導入でその機会も増えていた)。また,開発者通類の梱装で制危関連の警告が多量に出力されたり,PWA など厳格な制危を要求される手定めが出来ないなどの問題があった。
更新と,なんとなく認証も面倒臭そうだと思っていたが,希哲12年から使っている via 迂回と DNS 認証の相性が良いことに気付いた。実際,いつもの DNS 認証であっさり取得出来た。まさか4年前の発明がこんなところに活きてくるとは思わなかった。更新の問題はあるが,警告などの煩わしさに比べればあってないような手間だ。
体調に波が出てきた。寒いかと思えば暑い,暑いかと思えば寒い,という季節だからということもあるだろうが,やはりこのあたりが追い込みの限界か。3日にいったん冷静になれたのはやはり幸運だったらしい。
開発では長らく懸案だった下装書の整理が大きく進展した。デルンの実用化から,かれこれ8年間継ぎ接ぎしてきた下装書なので,領当て崩れや不具合の温床だった。
たびたび整理の必要は感じてきたが,なかなか優先順位が上がらず,技術的完済後のデライトにとっていわば「最後の闇」になっていた。デライトの徹案・設計がほぼ固まり,デライト集約の環境も整った今,ようやく着手すべき時期が来たという感じだ。
デルンからの試行錯誤の歴史でもあり,手を入れながら色々な思いが込み上げてきた。
もう一つ,ホワイトハウスまで新型コロナウイルスに蝕まれていくアメリカを眺めながら,運命の不思議さについてしみじみ感じたりもした。酔っ払い運転のようなものでいずれ大事故を起こすだろうと漠然とは思っていたが,まさか本物のウイルスと人間の愚かさが合体するとは想像していなかった。
4年前,英米政治危機を受けて新近代化事業としての希哲館事業構想が急速にまとまり,インターネット衆愚政治に対抗すべくデルンを世に出すことを決めた。だから次の米大統領選挙は希哲館事業にとっても節目だった。
この状況をどう考えればいいのか,まだ気持ちの整理はついていない。