希哲14年2月13日にデライト正式離立を達成したものの,品質上の課題から宣伝は控えていた。
離立補完終結の翌日,8月14日から準備し,まともに開始したのは9月8日,16日には用合い改良のため一時停止(第一次宣伝攻勢)。
希哲15年1月29日,第二次宣伝攻勢を終了(日記)。
最近気が乗らなくなっていたツイストだが,重い腰を上げ一つ書いてみて,面白い心境の変化に気付いた。もう,宣伝目的ですら Twitter を使い続ける意味を見失っている。かといって,Mastodon をまた使う気にもなれない。想像以上に気持ちが冷めていたことに少し驚いた。
輪郭整備の生産性と重要性が上がったことで,ツイストも役割を終えたのかもしれない。世の中の状況も,いま必要なことは把握し切った感があり,情報収集という点でもあまり必要性を感じない。
主観的情報価値の集積場だったデライトを客観的情報価値に繋げることを強く意識するようになり,献典拡充のことを考えると,とにかく時間が足りない。Twitter を開いている暇もないし,開いたら開いたで低質な情報が今まで以上に気になって精神衛生上良くない。
今はデライト開発と輪郭整備をひたすら進めるのみだ。出来れば一日一文も再開したい。
というわけで,時期尚早かと思っていた Twitter アカウントの削除に急速に傾いている。告知してから少し時間を置いてとか,更新停止だけにするとかも考えていたが,それでずるずる引きずってしまうのも良くない。ここまでのデライト宣伝で本当にデライトに興味を持った人が Twitter しか見ていないということも考えにくい。
一度,ツイストを Mastodon で始める前に戻ってみるのも良さそうだ。最新のデライトというこの上ない土産もある。
詰め込んだ雑務もなんとか片付き,今月も結局上手く乗り切れてしまった。これで来月からは時間的なゆとりも出来る。
デライト宣伝については,まず「ツイスト回帰」で様子を見ることにした。デライトの蓄積にならないことを極力避ける。
最近,他人に対する興味の無さについてよく考えている。つくづく,自分は他人に興味が無いのだと感じさせられることが増えた。例えば,デラングの引用記法にしても,自分であまりにも使わないので,他用者の使用頻度に驚くことがある。世間の話題は一応追っているが,共感出来ることがあまりにも少ない。どうしても退屈さを感じてしまう。
Twitter 買収騒動にしても,10年以上前から KNS を構想していた私からすれば,まだ Twitter で時間が止まっているのか,という感想だったが,現実に世間が注目するのも大金が動くのもそんな Twitter だ。はるかに革新的なデライトの方ではない。いま世間が求めているのは Twitter 程度のものなのだと思うと時代の壁を感じざるをえない。
この性格は,新しいものを作ることには向いていても,新しいものを広めるとか,広まるように作るということにはやはり向いていないのかもしれない。自分と世間の関心が重ならないのだから。もちろん,なんとかするしかないのだが。
イーロン・マスクによる Twitter 買収を機に,Twitter でのデライト宣伝を本格的に見直すことにした。状況は依然として流動的ではあるが,そんな不安定なものに依存するわけにもいかない。
第四次宣伝攻勢以後,デライト宣伝におけるツイストの割合が低下していた。情報収集を兼ねた暗黙宣伝を主にしていたものの,最近,収穫に乏しいと感じるようになった。新しい情報が少なくなったことに加えて,描出熱の再燃による相対的な魅力低下があり,非常に「眠たい作業」になってしまっている。同じ時間を使うなら輪郭整備をしていたい。
Mastodon への移行,Twitter アカウントの削除の可能性も含めて,デライト宣伝における Twitter への依存度を下げる方向で検討を進める。
休み休みデライト宣伝と開発をして過ごした。ついに公開設定機能も実現間近だ。
この上旬は,先月の目まぐるしさの反動もあってデライト以外の考え事も多かったが,それはそれで,希哲館事業全体の認識を更新したり気分を一新したり出来た。調子は取り戻しているので,状況は概ね良い。
中旬で一通りの機能実装を終え,下旬で文書整備を一段落させたい。結果は来月一杯まで待ってもいい。現時点でこの組計に現実感があれば大丈夫だろう。
暑さで外出を控えがちで,運動不足が続いているのは気になる。涼しい時間帯の散歩くらいはするように心掛けたい。気分転換なら休止中の一日一文を再開したり,文書整備を早めに進めるのも良さそうだ。
第26回参議院議員通常選挙の投票日だったので,白票原則に基き白票を投じてきた。