概ね良好。
調子は良かったが,顔にやや疲れが見えた。寝不足の影響が残っている上,蒸し暑さにかなり体力を奪われた感がある。
まただいぶ間をあけてしまった一日一文だが,少しゆとりも出来てきたのでぼちぼち再開したい。継続性について考えてしまうといつまでも再開出来ないので,停止したり再開したりは今後も繰り返しながら,あまり気負わずやっていく。
半年ほど前から,デライト市場戦略にも大きな変化が生じている。個人知識管理サービス市場での競争よりも SNS 市場での競争という意識の変化だ。
当初から次世代の個人知識管理サービス(高機能メモサービス)としての売り込みを考えてきたデライトだが,2年以上の市場活動を通して,“時期尚早”の感が拭えなくなってきていた。
「デライトは従来の個人知識管理サービスとは桁違いの情報を扱える」という趣旨の発言をしたところ,その意図を全く理解出来なかった一部界隈から怒られるという,今となっては笑い話のような出来事(N10K 騒動)もあったが,最近,Notion の小さな流行にも考えさせられることが多かった。
綺麗で仕組み作りが楽しいと評判の Notion は,個人知識管理においてはどちらかというと初心者向けのツールだ。
よく,「勉強が出来る人のノートは意外と汚い」などと言われるが,個人差はあれど,その傾向があることに不思議はない。優れた記録術というのは,自分にとって必要な情報を的確かつ効率的に記録して取り出せる技術であって,それは他人から見て綺麗なものではないことが多い。それどころか,自分の理性に反するものであったりもする。
激化する SNS 戦国時代の中で,サービス文化について考えさせられることが多い。今日はちょっと面白い発見もあった。
以前にも SNS におけるオタク文化について考えたことがあるが(3月1日の日記),依然としてその影響力は強いと感じる。例えば,Misskey の猫耳機能などは私の価値観からすると完全にありえないものだが,そういう部分があることでオタク層からの信頼を得ている面はあるだろう。誰かにとっての「居心地の良さ」を提供することは SNS の核心であって,Misskey はまだ小規模ながら興味深い事例ではある。
最近でいえば,Threads の急速な台頭によって,キラキラした Instagram 的な場に対する「ドブ川」としての Twitter に,想像以上に多くの Twitter 用者が想像以上に強い愛着を持っていることが分かってきた。「陽キャ」に対する「陰キャ」のコミュニティであるという意識もやはり根強いようだ。それは単なる自虐というより,昔から言う「明るい人気者ほどつまらない」とか「面白い奴には根暗が多い」とか,その種の含みがある。
確かに,自分が好きだったお笑い芸人なんかを振り返ってみても,根暗でひねくれていた人ばかりだ。そういう人が,業界で一定の地位を築いて妙に社交的な「明るい人」になったりして,つまらないことで笑うようになり,かつての面白さを失っていく,という哀しい現象もよく見てきた。
明るい人というのは箸が転んでもおかしいという人なので,日常にそこまでひねりの効いた刺激は求めていないのだ。Twitter 用者が Instagram 的な SNS に感じるつまらなさとは,こういうことなのだと思う。
幼稚なデマに煽られやすいなど,全体としては知的脆弱さが目立つ Twitter ではあるが,役立つ投稿や面白い投稿が比較的多いことは認めざるをえない。学問も文芸も,多少ひねくれていたり,オタク気質だったりするくらいが丁度良いからだろう。その点で,Twitter 文化にはマイクロブログ型 SNS における確かな優位性がある。
そういう観点からデライト文化について考えてみたら,対 Twitter 戦略なんて無理筋じゃないかと一瞬思いかけた。というのも,デライト文化の種子たる私自身が,人間の限りない可能性と限りない成功に対して限りなく楽天的な性格であって,その実現のためにデライトを開発してきたからだ。サービス名を〈delight〉(歓喜)にかけているくらいなので,そもそもデライトはこの上なく明るい気分から生まれている。そういう意味では,インスタグラマーも真っ青なキラキラ志向なのだ。
単純な話,Twitter が陰キャ寄り,オタク寄りの SNS だとして,デライトがそうでないとすると,どうやって用者を移行させるのかという問題がある。ここまでのデライト運営の実感としても,Twitter をはじめとするマイクロブログ型 SNS からの訪問者は,明らかにデライト文化に引いている。
引き続き半休にして,臨海公園を長めにぶらぶらしたり,頭の中を整理したりしながらのんびり過ごせた。
最近,またちょくちょく新規用者が入ってきてくれるようになった。昨年もこのくらいの時期に新規用者が増えたので季節的なものもありそうだが,t_w 氏を筆頭に用者の積極的な協力に大きく助けられている。
実は以前から薄々感じていたことだが,デライトの集客上の問題は,分かりにくさでも使いにくさでも市場戦略でもなく,ごくごく単純に「宣伝不足」なのではないかという思いが日に日に強まっている。一通りの試行錯誤をして,デライト市場戦略も大きな節目を迎えた時期なので,残ったこの問題を直視するゆとりも必要性も出来てきた。
これまで,SEO や SNS で金も時間も使わずに集客することにこだわっていた。金と時間のほとんどを開発に費していたのでそれしかなかったとはいえ,ただでさえ分かりやすいとは言えないデライトを代償なく広めようというのもかなり夢想的な筋書きではあった。せめて並の広告費をかけてからでなければ本当の集客上の問題点は浮かび上がってこないだろう。
このまま長期安定体制に落ち着けば多少の広告予算は確保出来るので,外部媒体にデライトの広告を打つことも考えていきたい。
transform
}{background-image
}{希哲17年4月23日}{希哲17年4月23日の副日記}{ずっと大きい}{使い回せる}{element()
}{CSS アイコン化}(57)いくつか試作もしてみたが,やはりほとんどの用合いアイコンは CSS アイコン化出来そうだ。記号的な単純性と整合性を重視してきたことが功を奏した。上手く整理すればかなり利素が集約出来,高速化と保守性の向上が見込める。
background-image
などで容易に装体として使い回せる画像と違って,DOM に要素を追加する必要があることだけが惜しい。疑似要素にも限界がある。element()
が普及してくれればいいが,当面はスクリプトで補完することになりそうだ。総合的には利点の方がずっと大きい。
最小限の画像を filter
や transform
などの組み合わせで使うということも考えたが,細かい調整が煩雑になる。
dg_xpt()
}{輪括情報}{希哲17年4月12日}{希哲17年4月の開発}{設定ページ整備}{エクスポート機能実装}(23)