{希哲19年1月28日の整清 K#F85E/0758-341A}
{希哲19年1月26日の日記 K#F85E/0758-E564}
黄金日。
今日も嬉しい顔の輝きだった。顔色,顔付き,肌,どれをとっても限りなく理想に近い。第二次外見黄金期も,目を見張るというより,目を疑う水準に達しつつある。その楽しさと嬉しさ,他人の反応の面白さで生活習慣改善への意識も高まるという理想的な好循環に入り,新露出戦略への自信は揺るぎないものとなった。これが1月最大の収穫になりそうだ。
3週間足らずの緩やかな砂糖断ちによって明らかな肌質の改善が見られるが,その波及効果も大きい。
明るく透明感が増した肌との対比で余計目元が疲れたように見え,22日から疲れ目対策に本腰を入れた。以来,一日を通してずいぶん表情が明るくなった。瞼の形はまだ不安定だが,この調子なら安定化も時間の問題だろう。当然,視力回復も期待できる。眼鏡を使わない生活に戻ってからも念のため眼鏡を持ち歩くことが多かったが,少し前からそれも減ってきていた。このまま健康な目を取り戻したい。
痩せて頬がこけたことで輪郭が気になりだし,姿勢改善と咀嚼改善にも本腰が入った。骨格の歪みと筋肉の偏りが矯正されたか,輪郭もすっきり整ってきた。このあたりは第一次生活習慣改善での経験があったので思惑通りだった。姿勢改善と咀嚼改善はそのまま食事改善にもなり,食事の満足感まで上がっている。最近,食事中に身体の芯からじんわり温まってくる感覚があり気持ち良い。
痩せたことで首から下の身体をよく観察するようにもなった。よく見ると,少し腹筋が割れている。時期的に陶練の再開前からだろう。割れ方が若干左右非対称なので自然に出来たらしい。全体的に悪くはないが,肋骨が目立ってしまっているので食事量を少し増やすようにしている。あとは筋力陶練次第で理想に手が届くだろう。
外務で個人的に気にかけていた人が,多くの人に惜しまれながら笑顔で去っていくのを見送った。
今の外務に戻った頃から何かと気がかりだったが,結果的には良い感じで辞められたのではないかと思う。また一つ肩の荷が下りた。
{希哲18年9月3日の日記 K#F85E/0758-C2C3}
まとめ作業,久しぶりの書類整理と作業場清掃をした後は開発作業も少し進められた。この調子で生活の全要素をばら成し良く整えながら轟きへと歩を進めていきたい。
Google 検索のコアアップデートに関してはまだ良い変化が見られないものの,今回の変更の性質上,デライトにとって大きな追い風になる可能性も小さくない。展開完了からの影響がある程度明らかになるのは今月終わり頃,ちょうど轟きの弱努力期限に向かっての絶妙な時期だ。好機を逃さないように万全の態勢を整えておきたい。
しばらく温眼を忘れていたことに気付いた。いつ頃からやらなくなったのかもはっきり覚えていないが,今年になってばたばたするようになったのが3月頃からなので,恐らくはそのあたりからだろう。
これを機に,毎日の温眼についても記録することにした。どこに書くかがちょっと難しかったが,昨年9月の再開からは就床時にするようになっていたため,睡眠記録に書いておく。
{希哲18年8月6日の日記 K#F85E/0758-B1D3}
{希哲18年8月2日の日記 K#F85E/0758-EB01}
{希哲18年7月25日の日記 K#F85E/0758-1192}
{希哲18年7月21日の日記 K#F85E/0758-7765}
{希哲18年7月16日の日記 K#F85E/0758-4BA0}
{『友人・鈴木仁大の想い出』 K#F85E/0758-F431}
知り合ってからかれこれ20年になる友人,「鈴木さん」こと鈴木仁大が長年の夢を叶えたという知らせが先日あり,色々なことを思い出していた。なにせ私が20歳頃の出会いなので,大人になってからの人生の想い出にずっと関わっている人物だ。
20歳の誕生日を迎えようかという頃,私は奈良県にある某宗教の施設にいた。閃きによって17歳で希哲館事業の青写真を得ていた私は,この事業の絶望的な道程に絶望していた。自殺未遂騒動まで起こし,親戚一同を巻き込んで,「更生」のためあちこち連れ出されていた。その一つが,某宗教の体験ツアー的な行事だった。これについては色々と面白い話があるが,長くなるので端折る。とにかく,その合宿所のようなところで,相部屋だったのが鈴木さんだ。
第一印象は最悪だった。外見は,明るく染めた髪を逆立て,カラフルな古着にふざけた小物をごちゃごちゃ引っ提げ,アメカジなんだかパンクファッションなんだかよく分からない格好をした,当時22歳か23歳の若い男だ。いかにもろくな教育を受けていなさそうで,クスリでもやっていそうな雰囲気だった。当然ながら,この時,この人物から人生で一番大きな影響を受けることは知る由もない。
こんな男とはいえ相部屋なので,多少は打ち解けてくる。というより,この男,外見の割に礼儀正しく,気さくな良い兄ちゃんだった。勉強とはあまり縁が無さそうだったが,地頭が良いのか,話していても面白い。ある日,オールディーズが好きということで意気投合してからは一気に仲良くなってしまい,それからはよく行動を共にするようになった。この頃の私は,希哲館事業への絶望を,夢に酔ったような昔のアメリカ音楽で紛らわしていたのだった。
私も鈴木さんも,この宗教の信者でもなければ信者になるつもりもなく,この非日常的な体験を,ある種のテーマパークのように楽しんでいた。それでいいという気楽な一般向けの行事でもあったので,そこには老若男女いろいろな人がいた。そして,鈴木さんはあっという間にそこで一番の人気者になっていた。若い女の子達から強面の老人まで,鈴木さんが好きだった。お洒落で面白くて,誰にでも誠実で優しい人だ。中肉中背だが,顔は若い頃の塚本高史に少し似ていて,お世辞抜きにいわゆるイケメンだった。
聞けば,国内外あちこち旅をしながら,自分なりの生き方を模索しているという。ここに来たのもその一環らしい。旅先での面白い話もよく聞かせてくれた。色々な所で色々な人と触れ合って,ドタバタしている喜劇的な生活が楽しそうだった。むしろ,鈴木さんより人生を楽しんでいる人はいないのではないかとすら思えた。言ってみれば,今風の寅さんだ。