歴史
- 希哲12年(2018年)11月23日,名称として正式採用。
- 希哲14年(2020年)2月13日,正式離立。
今月に入ったあたりから,ぼんやり考え事をしてしまう時間が増え,進捗はそこまで悪くないものの,思うように集中力が高まらなかった。上手く言い表せないが,「迫り来る何か」に揺さぶられている感覚がずっとある。
まず考えられる原因は,1月の脳爆発の反動と疲労だ。1月だけで半年分の仕事はしてしまった感がある。その後の雑務が上手く片付いた解放感も手伝って,ちょっと気が抜けてしまったのかもしれない。そういう意味では,必要な休息でもあったのだろう。
もう一つは,新生デライト開発における「マラソン終盤効果」とでもいうべき心理だ。1月の脳爆発以降,予定になかった当努を多数挿入してしまったとはいえ,それを差し引いても新生デライトの完成が遠く感じる。ここ数ヶ月だけでも明らかに多くのことを実現しているのに,もう少しだという意識が高まれば高まるほど残りの当努が重く感じる。
加えて,「デライトの完全な成功」が意味するものの微妙ながら小さくない変化がある。イーロン・マスクによる Twitter 買収以降の SNS 戦国時代で,デライトが一気に大舞台に引っ張り出されてしまった。
ほとんどの競合が「次の SNS」に留まる中,KNS として「SNS の次」のビジョンを明確に提示出来る世界で唯一のサービスがデライトだ。それを世の中に伝えることが出来れば,世界一の大富豪を制し,世界情勢をも左右するネット文化の大革新を果せる。
希哲館事業が長年目指してきたことが,ここ数ヶ月ほどのあいだに急速に,目前に迫ってきている。昨年の日記にも似たようなことを書いているが,その時の「デライトの完全な成功」と「世界史上最大の成功」が定義上の,やや観念的な結び付きだったのに比べて,今のそれはずっと生々しい,世俗的な現実感を伴っている。いまデライトの完全な成功を果すことと,世界中の注目を集めること,莫大な利益を得ることが直結しているからだ。これも当努と同じで,もう少しだと思えば思うほど時間が長く感じる。
この難しい状況で平常心を保つために,とりあえず,目の前の当努と輪郭整備を極力強く意識することにした。考えても疲れるだけのことは考えないようにする。
今年に入ってから,新生デライトの完成への意識が高まったこともあり輪郭整備にほとんど時間を割けなかった。今日は開発作業の合間にちょこちょこ輪郭整備をしてみたが,やはり精神衛生上の効果が大きいと感じた。
ライトテーマ・ダークテーマを使い分けるようにした甲斐あってか昨晩は久しぶりによく眠れたものの,考え事が多く作業はいまいち捗らなかった。
Mastodon, Hive Social, Nostr, Misskey, Bluesky 等々と,定期的にポスト Twitter 新興 SNS が話題になっている。しかし,まだ決め手に欠けている。「次の SNS」への世間の目移りが一巡し,「SNS の次」に目をやる人が増えてきた頃が KNS としてのデライトの売り込み時なのだろう。
さらに,人工知能や個人知識管理の浸透と新生デライト開発が急速に同時進行している。SNS の次,人工知能の次,そして次の個人知識管理(知能増幅)が交差したところにデライトがある。かつてない機運の高まりに,否でも緊張感が高まってくる。
最近,SNS 戦国時代を観察しながら「オタク文化」についてよく考えていたが,これまでオタクというものを漠然としか理解していなかったことに気付いた。
同時に,自分がオタクではないということにも気付いてしまった。昔から,オタク文化には抵抗が無いのにネットのオタク交鳴体がやたら苦手だった。それはオタク嫌いだからではなく,元々,子供時代から特定の集団に属することが苦手だったからだ。
教室の隅で漫画を描いているような子,勉強好きな子,スポーツ少年,不良少年……誰とでも遊びたいし,なんでも知りたい,なんでもやりたい,そういう子供だったよな,なんてことを思い出していた。私にとって,それが「自由」の原体験だった。やがてそれは人生観・世界観となり,希哲館事業にもデライトにも繋がっている。「なんでもメモ」の真意は,分野にとらわれず,この世界について網羅した百科全書を自分の中で育てようということだ。
そもそもこんなことを考え始めたのは,オタク交鳴体を味方に付けられると SNS の地盤作りには有利だなと感じることがあったからだ。人を選ぶ側面もあるが,デライトが今直面しているキャズムの早さと深さを考えると,隣の芝生的に羨ましいと思わなくもない。
結局,私自身は,オタク文化をつまみ食いするのは好きでも,オタク文化に囲まれるのは嫌いな人間であって,いわゆるオタクとは言えないのだということに気付いてしまうと,何かを期待していたことも滑稽に思えてくる。
巨大なオタク交鳴体を味方に付けても SNS の立ち上げには長い年月と大きな苦労が伴うというのに,デライトの文化を一から広めるってどれだけ無茶な話なんだ,という気重な気付きでもあった。前向きに考えれば,長年のもやもやが晴れてすっきりした部分もあるので,精神の最適化が進んだとも言えるか。
ping
}{高速化し過ぎる}{縮小した}...Google のクロール統計で平均応答時間が異常な値になっている問題についての調査で終了。
Googlebot が稼動している捌き手の問題であることが判明したため,しばらく様子見することにした。
1月上旬から平均応答時間とクロール頻度が不自然に悪化した状態が続いていた。決して速くない自宅回線からでも大半のページが300ms前後で応答しているにもかかわらず,クロール統計ではほとんど600ms前後で高止まりしている。
1月上旬といえばデライト高速化が快調に進み,理論上も体感上も満足出来るようになってきた頃なので,明らかにおかしかった。Googlebot が握接しているページに Googlebot の用影で握接しても遅いということはなく,Applebot や bingbot はむしろ活発化している。
こうなると Google 側の問題か,と考え始めた。Googlebot は主に米国内から握接しているので,日本国内からの握接と多少の差があってもおかしくはない。ただ,これ以前にここまでの差を感じたことがなく,クロール統計上で1月上旬から悪化しているので,Google 側で何かがあったことになる。
ちょうど Alphabet が経営的にごたごたしていた時期でもあり,保守人員が不足しているとか設備を縮小したということはありそうだ。条件は不明ながら米国外の捌き手を使うこともあるそうなので,これまで近場の捌き手を使っていたのにデライトが高速化し過ぎて米国内からの握接で十分と判断された,なんて皮肉な話も考えられなくはない。
ここまで考えたところで ping
に200ms以上かかる Googlebot の IP アドレスを見つけ,原因は判明した。
こちらではどうしようもないことだが,不気味な現象だったので気分的にはすっきりした。むしろ,問題が解消した時が楽しみになってきた。
filter
}{ダークテーマの様子・輪郭選り手}{ダークテーマの様子・輪郭小窓}{ダークテーマの様子・Mermaid}{ダークテーマの様子・注意補足部区}{ダークテーマの様子・引用部区}{ダークテーマの様子・検索ページ}{ダークテーマの様子・文書ページ}{ダークテーマの様子・設定ページ}{ライトテーマの様子・設定ページ}...出振るいと一通りの手定め・調整を終え,ダークテーマ実装が一段落した(22歩)。実質的な機能公開は設定ページのテーマ切り替えボタンを解放した24時45分頃。
元々持ち辺が高くなかったこともあり,早くて機能公開は一週間後,満足出来る品質に達するのは数ヶ月後かという感覚でいたが,昨日「暗いデライト」の真価に気付いて集中的に調整を進め,ほとんど理想的なダークテーマが出来てしまった。今後は実際に使いながらの微調整程度で十分だろう。
ダークテーマの有用性については個人差・環境差が大きいが,それだけに選択肢が出来た意義はデライトにとって大きい。装体整理兼ダークテーマ実装を通して装体書の全体的な見直しが進んだことも大きな収穫だった。