少し身体を動かすようになってからすぐ,顔色が妙に良くなった。表情も楽しそうで生き生きしている。脳爆発中も特に悪かったわけではないのだが,鏡を見るとちょっとびっくりするくらい段違いに良い。寝不足も続いているし,もう少し疲れた顔を想像していた。
やはり,運動不足に弱い体質らしい。あの規模の脳爆発を健康的に維持するのはまだ無理なのだろう。抑制して正解だった。
ランニング,サイクリングと運動の機会を増やした甲斐もあって,生き生き,きりっとした良い顔付きが戻ってきた。生活の律動感も少しずつ戻ってきた感覚があり,気持ちよく過ごせた。
13日で色々なことがいったん落ち着いてみると,鏡に映る自分がやけに老け込んだように見えた。このままでは老化が加速していく一方だという危機感から生活習慣改善を最優先にしていたが,それが正しかったことを強く実感した日だった。
特に運動の重要性を再認識した。健康上の課題だった睡眠の質も少しずつ改善している。
ランニングもしっかり継続するため,ランニングシューズを買ってきた。適当なスニーカーではアスファルトを蹴った時の衝撃が強く,足への負担が気になっていた。これで快適に走れるようになった。
ここで健康状態を総点検した。現時点での問題意識は大体こんなところか。
まず,睡眠の質については,深い眠りを得られることが多くなってきたものの,まだ中途覚醒が多い。ここ数ヶ月ほど,就寝中に尿意で覚醒してしまうことがまた増えていたが,運動量が増えたここ一週間ほどは劇的に減った。どうも運動不足による血流の滞りが原因だったようだ。しかし,尿意やかゆみのような身体的な不快感がなくなっても,なぜか何度も中途覚醒してしまう。大抵夢を見ているので,眠りの深さに波があるようだ。
こればかりは,精神的な問題以外考えにくい。心当たりもないわけではない。金風以後,それまで抱えていたある種の問題は一気に解消したものの,ゆとりが出来た分,より重い問題について考える時間が増えた。全体としての精神的負荷はむしろ高まっている。その点では雑務に追われている方がまだマシだった。ただ,これもランニングやサイクリングなどで発散する時間が増え,改善の兆しがある。
この頃,透明性についてよく考える。直接意識してきたわけではないが,結果的に私自身も希哲館事業も限りなく透明化しつつある。これも可知性ということか。
今日は開発も快調で,自我アイコン設定機能実装の区切り付けを終えた。本番環境でも手定めに自分とデライト公式の独自アイコンを設定してみた。それだけのことなのだが,妙に胸が熱くなり,感無量だった。
画竜点睛というべきか魂が入ったというべきか,小さなことのようで想像していたよりずっとデライトが生き生きとして見える。
竜胆蛍がいかに私と希哲館の精神の象徴といっても,やはりどこか覆面をしているような感覚があった。
本当に鏡のようになったデライトに映る自分を見ていると,ここまでのわがままを許してくれた周囲の愛情と幸運の多大なことに感謝の念を抱かざるをえない。
最近,自分の境遇について考えさせられるような,ちょっとしたことが立て続けに起こっているせいで余計感傷的になっているのかもしれない。今こうしていられるのも,環境と偶然のおかげだったんだな,と改めて実感させられることが多い。
もうデライトの成功なんか無くても,『パーフェクト・ワールド』のごとく明日のたれ死んでも贅沢なくらいじゃないかと思うくらい既に幸福な気がするが,これはやはり克服すべき自己中心性なのだろう。
閃き以来のこの自己中心性こそデライトをここまでの形にした創造性の核だった。しかし,それだけでは「奉仕」としてのサービスは成立しない。この喜び(delight)を広く共有出来るものにしなければならない。そのためには,お題目ではなく心から思いやりが生じなければならない。
別に今初めて思ったことではないが,一つ峠を越えた後で,自然にこういう感情が湧き出てくるということがデライトの成功にとっては希望だ。