今日も調子は良かったが,とりとめのない考え事が広がり作業は進まなかった。そのまま久しぶりにひどい夜更かしをしてしまった。元気が有り余っている時にはよくあることなので,長期安定体制にも慣れてきたということなのだろう。
今やっていることは,私にとってどんな大作映画よりも重要な役作りなのだと改めて思ったりした。もう出し惜しみしている場合ではないし,自分の全てを使ってデライトの完全な成功を果すしかない。
希哲館事業は,5月から“長期安定体制”への転換を始め,この7月で新体制を完成させた。
長期安定体制の完成は,「デライトの完全な成功」を果すため質・量ともに十分な時間を確保出来たということを意味する。この体制で,デライトの改良,コンテンツ整備,宣伝はもちろん,希哲館事業全体にかかわる環境整備,私自身の生活の質改善など,あらゆる要素の改善をじっくり,バランス良く進めていきたい。
サービス開発・運営の経験を積んでみてつくづく思うのは,サービスは生き物だということだ。複製されたスタンドアローン型のソフトウェアと違って,サービスは常に生きていなければならない。健全で活力あるサービスは健全で活力ある人間にしか維持出来ない。私はデライトを名実ともに世界最高のサービスとして成功させたいので,私自身がそれに見合う人間でなければならないと思っている。
何より,ここまでデライト開発を成功させ,この SNS 戦国時代 に KNS という唯一無二の構想を持って立っている奇跡にお腹いっぱいだ。宝くじを何百回と当てては宝くじに注ぎ込むような綱渡りをしてきたが,すでに得たものが大き過ぎて,それを賭けるに値する博打もなくなってきた。流石にそろそろ堅実に生きるべきではないか。そんな心境の変化と,この期に及んで安定を取り戻す選択肢があった幸運ぶりを象徴する出来事になりそうだ。
昨日の日記にも書いたように,ほとんど世界史上最大の成功と言える「デライトの完全な成功」を果すには環境がぬるま湯過ぎるのかもしれない,とちょっとだけ考えていたところで,Twitter では閲覧制限を巡って大騒動になっていた。騒動の大きさは過去最大級かもしれない。
Twitter 危機は,サービス開発の難しさを非業界人にも分かりやすくしてくれたという点でやはり意義深いものがある。なぜデライトが「完全な成功」と「不完全な成功」を概念化しているのか,ぐっと理解してもらいやすくなった。
Twitter のように人気は集めていても問題を山ほど抱えていて,経営者に「地獄」と形容されるようなサービスもあれば,デライトのように閑散としていてもほぼ完全に理想的な状態にあって開発者・経営者にとっては天国そのものというサービスもある。考えてみれば,「完全な成功」と言えるサービスなんて一つも思い浮かばないし,それに限りなく接近しているデライトの到達点がいかに高いかということでもある。
ほとんどのサービスは集客の代償として様々な問題を抱え込んでしまうわけで,集客をここまで後回しにしてこれた,それだけ環境に恵まれていた,というのがデライト経営の特異性であり,優位性なのだろう。
今月に入ったあたりから,ぼんやり考え事をしてしまう時間が増え,進捗はそこまで悪くないものの,思うように集中力が高まらなかった。上手く言い表せないが,「迫り来る何か」に揺さぶられている感覚がずっとある。
まず考えられる原因は,1月の脳爆発の反動と疲労だ。1月だけで半年分の仕事はしてしまった感がある。その後の雑務が上手く片付いた解放感も手伝って,ちょっと気が抜けてしまったのかもしれない。そういう意味では,必要な休息でもあったのだろう。
もう一つは,新生デライト開発における「マラソン終盤効果」とでもいうべき心理だ。1月の脳爆発以降,予定になかった当努を多数挿入してしまったとはいえ,それを差し引いても新生デライトの完成が遠く感じる。ここ数ヶ月だけでも明らかに多くのことを実現しているのに,もう少しだという意識が高まれば高まるほど残りの当努が重く感じる。
加えて,「デライトの完全な成功」が意味するものの微妙ながら小さくない変化がある。イーロン・マスクによる Twitter 買収以降の SNS 戦国時代で,デライトが一気に大舞台に引っ張り出されてしまった。
ほとんどの競合が「次の SNS」に留まる中,KNS として「SNS の次」のビジョンを明確に提示出来る世界で唯一のサービスがデライトだ。それを世の中に伝えることが出来れば,世界一の大富豪を制し,世界情勢をも左右するネット文化の大革新を果せる。
希哲館事業が長年目指してきたことが,ここ数ヶ月ほどのあいだに急速に,目前に迫ってきている。昨年の日記にも似たようなことを書いているが,その時の「デライトの完全な成功」と「世界史上最大の成功」が定義上の,やや観念的な結び付きだったのに比べて,今のそれはずっと生々しい,世俗的な現実感を伴っている。いまデライトの完全な成功を果すことと,世界中の注目を集めること,莫大な利益を得ることが直結しているからだ。これも当努と同じで,もう少しだと思えば思うほど時間が長く感じる。
この難しい状況で平常心を保つために,とりあえず,目の前の当努と輪郭整備を極力強く意識することにした。考えても疲れるだけのことは考えないようにする。
今年に入ってから,新生デライトの完成への意識が高まったこともあり輪郭整備にほとんど時間を割けなかった。今日は開発作業の合間にちょこちょこ輪郭整備をしてみたが,やはり精神衛生上の効果が大きいと感じた。
少し作業方針を見直し,実作業もまた捗り出した。ここから新生デライトの完成に向けて加速させたい。
まずは新生デライトの「成立」を果し,デライト3周年までの完全な成功を目指すというのが現行方針だったが,6日頃からの脳爆発で新生デライト開発が一変し,気付けば「成立」も「完成」も大差ない距離感になっている。
「完成」の遠さから生み出した現行方針であることを考えると,もう無理にデライト3周年を意識すべきではないのかもしれない。例えば,春には良い結果が出せるように,2月中の「完成」を目指す,というのも良いかもしれないと考え始めた。
とりあえず,中旬はこのまま全力疾走し,20日までには方針を決めることにした。
これから作業だという昼頃,トイレで用を足して立ち上がったら,ウォシュレットに水をかけられてしまった。誤操作なのか誤作動なのか分からないほど考え事でぼんやりしていた。
まさに「ひょんなこと」かつ初めての経験で面食らい,水道水とはいえ気持ち悪いので,射雨を浴び,洗濯したり周辺を掃除したりしているうちに,最近の脳爆発で過熱が止まらなかった頭が少し冷やされてきた。