姪。
{希哲16年5月4日の睡眠 K#F85E/E74C-C3CA}
宇田川浩行{希哲15年11月29日の日記 K#F85E/E74C-2A3B}
宇田川浩行{希哲15年11月3日の日記 K#F85E/E74C-20D2}
宇田川浩行{希哲15年10月16日の日記 K#F85E/E74C-9EB6}
宇田川浩行{希哲15年9月19日の日記 K#F85E/E74C-8EF8}
宇田川浩行一昨日は一昨日で,久しぶりによく身体を動かして気持ち良かったもののまだ筋肉痛が残り,昨日は昨日でくらくらするような環境の激変があり,肉体的にも精神的にもかなりの消耗を感じた。今日も定休通りに休んだが,まだ回復した気がしない。
この変化でデライトも希哲館事業も盤石,安泰かという心境になりかけ,律動的集中生活を終えることも考えた。しかし,それもこれまでの適度な緊張感があってのことなので,収益目標達成までは引き続き新生デライト開発に極力集中する生活を続けることにした。もう油断さえしなければいくらでも粘れる。
つい一週間前の日記には,否が応でも気分が重苦しくなる状況だから意識的に利楽しようと書いていた。わずか一週間後には否が応でも気が緩む状況になっているのだから,まだ頭が混乱している。
本来なら喜ぶべきことのはずが,なぜか明るい気分というわけでもない。半分くらいは疲れのせいかもしれないが,希哲館事業が安定してしまうことに対する複雑な心境もある。
そもそも,希哲館事業は,「どう頑張っても万に一つも成功しない仕事」として始めたものだ。楽しかった破滅前提の大冒険が,千に一つ,百に一つ,十に一つと成功に近付くにつれ,つまらない事務処理になっていくような気が薄々していた。いまやデライトも希哲館事業も,手堅くやってさえいれば成功は約束されたも同然だ。
もっと若い頃の自分なら,あえて踏み外すようなことをしたかもしれないが,もうそれが許される年齢でもない。失敗して自滅するだけなら何のことはない。周囲に対する責任が重過ぎる。老い先短い両親,家庭を持った姉,姪達,散々世話をかけたり世話してやれなかったりした親戚達の顔がいちいち浮かんでしまうことなんて昔は無かった。友人にもデライト用者にも社会にも恩がある。何より,希哲館事業がそこまでの冒険を必要としていない以上,もはや冒険に“物語”が無い。
この冒険の終わりの寂しさを乗り越え,つまらなさを背負っていくことが大人になるということなのか,などとぼんやり考えたり,KNEST 隠し実装の小手調べをしたりして過ごした一日だった。