(にっき)
{希哲18年3月18日の日記 K#F85E/0758-1DF5}
宇田川浩行白銀日。
煌き以後,初めて体調を崩してしまった感はあったものの,新生デライト導入文の完成という極めて意義深い収穫があり,大きな達成感と充実感,そして,半開きの扉を開け放ったような解放感があった。
後回しにし続けてきただけあって,デライトにおける導入部中の導入部で,文書整備はもちろん,デライトの当努の中でも最も気重な作業だった。11日から勢いで書き直し始め,およそ一週間,変化の大きい最初は楽しさで夢中になっていたが,時間が経つにつれ,基本的な言葉選びはもちろん,微細なてにをはから約物の使い方にいたるまで,神経をすり減らすような作業になっていった。なかなか出口が見えないことに多少の焦りもあったが,なんとか自分で納得できる導入文が出来た。この4年間のデライトと自分自身の成長の大きさを感じることも出来た。
しっかり重たさを感じながらも十分な早さで仕上がったので,早過ぎず遅過ぎず,やはり文書整備には今が最善の時期だということだろう。文書整備の大きな一歩であり,これに比べれば残ったデライトの当努の道程は平坦なものなので,だいぶ気楽になった。
こうしてみると,世界一大胆なサービスをよくここまで人語で綺麗にまとめたなと思う。旧デライトの「はじめに」も,書いた当時は同じことを思ったし,実際,不十分だったとはいえデライトの新規性と構想規模を考えれば相当な労作ではあったな,と書き直しながら感じていた。
- 18日
- 殴り書き
{希哲18年3月17日の日記 K#F85E/0758-D346}
宇田川浩行{希哲18年3月16日の日記 K#F85E/0758-5CF7}
宇田川浩行{副日記 K#F85E/5B28-5CC0}
宇田川浩行{『希哲日記』 K#F85E/4686-E8CF}
宇田川浩行(きてつにっき)
希哲12年8月17日から可能な限り毎日付けることにした。
希哲13年7月17日の日記から,「(日付)の日記」という知名で記録することにした。これまでは日付のみの知名で書いていたが,何かと混同の恐れがあった。例えば,後からその日の出来事などについて加えたい記録と,当時の日記として残しておきたい記録の区別がしにくい。