{文章のレイアウトが決まってから結論が出る}{Tak., 千葉雅也『書くための名前のない技術 case 3 千葉雅也さん』}{倉下 忠憲「検索結果から操作できないじゃないですか、だから、意味ない」}{メモの集合}{OSS}{稀有な事例}{知識の寿命}{知識の保証}{独り相撲}{空中戦}(68)

{あれ K#EDD2/9967}

Tak.ノートツールなんてそれこそ使い込まないと、ある程度の期間使わないと分からない」
…………
Tak.Logseqって言ってる人、多分多くは去年はObsidianってきっと言ってたよな。そのうちの何割はその前の年はRoam Researchって言ってたよな。でもいいんですけど、ただやっぱり3年4年使わないと分からないことがある。」
倉下 忠憲「でもそれってある種の賭けじゃないですか。このツールで行く。それ以外は使わへん。みたいな。」

 次々に新しいメモアプリ(個人知識管理サービス)が生まれてきている。それらが出る度にどんどんに乗り換えていく、といった状況を見ていると、個人知識管理サービスの相互運用性が問題になるんじゃないかと思う。

 流行りのメタバースではメタバースの相互運用性が議論に上がるが、個人知識管理サービスの方がよほど影響が大きい。メタバースはあくまでエンターテイメントで、そこでできた友達は可搬ほんまか?)だが、膨大な記述を伴う知識を別サービスに人力で書き写すのは並大抵の労力ではない。

 もし記述した知識を個人知識管理サービス間で相互に取り込みができないならば、知識が人質になる。サービスの過剰な値上げに対して対抗できないし、サービス終了に対しても脆弱だ。アカウント凍結に対しても不安がある。
 前例を上げれば、Twitterアカウント凍結解除のために弁護士費用121,000円をかけた事例すらある。それだけ、長期間にわたって書いてきた文章は、書いた本人にとって価値を持つと言えるし、人質としての適性が高いともいえる。

 また、記述した知識を個人知識管理サービス間で取り込むことができれば、「個人知識管理サービスは長時間使わないと真価が分からない」という問題も解決できるかもしれない。他の個人知識管理サービスを使い込んだ後に、新しい個人知識管理サービスに知識を取り込めば、あたかも使い込んだかのような環境が構築される。

 
 しかし、上で上げた話は自分の肩の上に立つようなものだ。
 ある個人知識管理サービスで記述した知識を、ほかの個人知識管理サービスに取り込んだ場合に、それが適合することは少ないと感じる。
 例えば、Workflowyで書いた文章をScrapboxに一切の加工なしに取り込んだとしても、何ら機能するものではない。お互いの良さをつぶし合うだけの結果になる。Workflowyで書いた文章の量にもよるだろうが、なじませるには書き換えが必要になり、相応の労力を要するだろう。
 これについてもうちあわせCastにて議論されている。アウトライナーを使って書かれたと思われるTak.氏のブログをScrapboxに取り込んだ結果、何か違和感のあるものになったという話がされていた。

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{デライターが増えない}{デライトの集客}{Twitterの買収騒動で、Fediverseの利用者増加}{Gictionary}{増井俊之}{Mac純正メモアプリ}{理解が容易}{情報が到達}{自己完結}{自分のメモに深く潜る}(23)

{あれ K#EDD2/B284}

 「この流れに乗じてデライター増加を狙い、上流のTwitterで宣伝する」とかできたらいいのだが、私のTwitterでの発信力が皆無だ。
 そもそも、Twitterに安住していた人たちにとって、デライトが求めるものだろうかという疑問もある。勝手が違いすぎる。Twitterには合わない人。自分のメモに深く潜るような人が合っている気がする。ある種、自己完結した人ともいえる。
 どうすればそういった人たちに情報が到達するだろうか。

 一見、倉下 忠憲氏のような知的生産を生業や関心とする人々に情報が到達すれば良いと思われるが、実のところそういった人たちはN10K 騒動でもうすでにデライトを知っており、そのうえでデライトを選んでいない。彼・彼女らはすでに自らの個人知識管理の手段(ツール・サービス)を有しており、そこから離れることがない。離れることができない。

 星取表的に機能を比較すればNotionが勝つし、Wiki的なものを求めればScrapboxに行きつく。それらと比較すれば、デライトはあたかも機能的に貧弱・不合理に映る。
 全知検索一つとっても、一見不便な検索機能にしか見えないし、自ら索引を作っていくという行為に対してもただただ面倒なことをしているように見える。その実、輪郭法との組み合わせによって、意図通りの検索結果を返す検索エンジンとなってくれることはまだ多くには知られていない。「メモによって索引を作る」という発想に至っている人間でさえごく限られている。デライト以外でこれに似たことをしている事例は、増井俊之氏のGictionary以外に知らない。しかし、このGictionaryでさえも、IMEのための言葉の置き場という以上の物にはなっていない。

 単純にメモを取ることだけを目的にすれば、Google KeepMac純正メモアプリに軍配が上がる。理解が容易だ。

{デライトじゃん}{ping}{倉下 忠憲さんは希哲館訳語に否定的}{この人にデライトを紹介してぇ}{倉下 忠憲「検索結果から操作できないじゃないですか、だから、意味ない」}{デライト(なんでもメモ)}{うちあわせCast}{倉下 忠憲}{N10K 問題}(9)

{うちあわせCastを聞いていると、倉下 忠憲さんにデライトを紹介したくなる K#EDD2/51F0}

 首肯いたすところでございます。
 うちあわせCastを聞いていると、「それ、デライトじゃん……!」となることが度々あって、紹介したいなぁという気持ちがそのたびに発生しています。

 ただ、N10K 問題を通してすでに倉下さんはデライトを認知しており、そのうえで利用していない状況です。倉下 忠憲さんは希哲館訳語に否定的という事例もあり、それを通してデライトに対しても否定的な印象を持っているのではないかと勝手ながら想像してしまい、尻込みしているところです。

 『うちあわせCast』・『アトミック・シンキング』から考えたことの一部にデライトを混ぜ込み、Pingは撃ったので、どう反応するか見ているところでもあります。

{うちあわせCastを聞いていると、倉下 忠憲さんにデライトを紹介したくなる}{希哲館訳語}{倉下 忠憲}(3)

{倉下 忠憲さんは希哲館訳語に否定的 K#EDD2/DAF4}

[rashita.icon]基本的に、知的生産というのは傲慢(ないしはエゴ)がスタートラインだとは思うのですが、たとえば「自分の言葉で練り上げる」でイメージされているものが、
https://dict.kitetu.com/
みたいなものなのかどうかが、ちょっとだけ気になります。こういうのをどんどん追求すると、たしかに完璧な「自分ワールド」はできそうな気がしますが、他の誰にも何もパスできないものにたどり着いちゃう可能性もあって……、という心配。

{デライトじゃん}{検索結果から操作}{『第二十四回:Tak.さんとリストとアウトライナーについて』}{倉下 忠憲}(4)

{倉下 忠憲「検索結果から操作できないじゃないですか、だから、意味ない」 K#EDD2/F57C}

 タグで検索して見つかりましたで終わりって感じがするんですよね。検索結果って、見つけられますけど、検索結果から操作できないじゃないですか。だから、案外意味ないんですよね。
 知的操作ってことを考えた時に#ほげほげがついているものを、集めて、この項目化に再配置するってことができるのであればまたちょっと違うかもしれない

{倉下 忠憲}

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