{コメント記法}{注意補足記法}{コメント}(3)

{あれ K#EDD2/1E7F}

注意補足記法の書き方がなんか覚えられないなと思っていたのだけど、「コメント記法」の知名を見て、HTMLのコメントに似ていることに気づいた。

{}{コメント}(2)
{「読書メモは自分の言葉で書こう」}{自分の言葉で書く}{読書メモ}{書き写す}{理解が深まる}{引用}{コメント}{難しい}(8)

{読書メモを自分の言葉で書くのは難しい K#EDD2/6082}

読書メモは、ただ書き写す方が楽なのでそちらに偏ってしまう。
また正確な引用をするためにも、正確な言葉で書き残しておきたくなる。

もちろん自分の言葉で書くことの有用性はわかる。自分の頭を一度通すことによって、より理解が深まるためだ。

せめて、それを読んで、何を考えたのか、何に惹かれたのかについて、自分の言葉コメントをつけるようにはしたい。

{統括}{書き上げる}{切り替えコスト}{校閲}{分ける}{文章の整形}{『フリーライティングではインデントをいじるな』}{無力感}{自己批判}{文章を書く}(13)

{「フリーライティングと、できあがった文章の整形は、しっかり分ける」 K#EDD2/B77E}

『フリーライティングではインデントをいじるな』 より

感覚的には似たものを感じることがある。
文章を書く作業と、校閲する作業を分離するほうが良いと感じる。

  • 書きあがってから校閲すると早くかける。
  • 校閲は赤入れと簡単なコメントだけに集中する
    • 一度批判を吐き出した後に、全体を統括して修正する
      • 都度都度修正すると全体のバランスが崩れる
(1){あれ}
{『t_wの輪郭』}{なすーん}{連合宇宙}{嬉しくなった}{苦労したものを褒められると嬉しくなる}{2022年7月16日日記}{努力した結果をほめると喜ぶ}{コメント}{感想}(10)

{『t_wの輪郭』についてもらった感想 K#EDD2/3786}

 2022年7月16日日記のURLを連合宇宙に投稿したらコメント、というか感想をもらった。

わっ!!!!なんか自作のページなのかなこれ、よく出来てるし哲学の本メチャクチャ読んでる。何者なのか

 よく出来てると言われてめちゃくちゃ嬉しくなった。やっぱり苦労したものを褒められると嬉しくなる。

 何者なのかと言われたが、こう聞かれると答えに窮する。答えられる問なのだろうかこれは。

{}{本棚}{再利用}{軍事}{コメント}{読書}{本の処理}{読書手控え}{あれ}{情報の再利用}(13)

{デライトで読書 K#EDD2/05AD}

本の引用やコメントをデライトに書いておくと、後で必要になったときに浮き出てくるので便利そう
Twitterに書くよりも、情報の再利用性が高い
 
物理的な本を持ち続けるのは難しいため、積極的にやっていきたい

  • 100冊の本すらも所有することができない
  • 本棚すら持ってない
  • 空間を確保するために、物理本の読書手控えを優先する
  • 現状では電子書籍が頼みの綱

 
Scrapboxのほうにも転記して、冗長化しておきたい
→転記スクリプトを作った:デライトからScrapboxへ転記するスクリプトのジェネレータ

{Scrapbox}{総和}{知識の創発的性質}{組織知}{個人知}{リポスト}{知識が資本}{知識を供出}{知識労働者}{承認欲求}(20)

{あれ K#EDD2/CF9A}

 知識労働者にとっては知識が資本なので、知識を供出させることは難しい。特に個々の成果で評価する場合は尚更だろう。
 その一方でインターネット上には知識が溢れている。その理由は承認欲求によるものだとみられる。
 もし企業内に知識の供出に対する承認があれば、つまりWiki的なものに、承認欲求を充足させるSNS的な機能(タイムラインいいねリポストコメント)を組み合わせれば、企業内であっても個人知から組織知への変換が活性化するのではないだろうか。
 簡易的な実装として考えられるのは、Wiki(Scrapbox)に変更があれば、チャットSlackTeams)のタイムラインに掲載されるような仕組みだろう。

 知識の創発的性質を活用するのも手だろう。人一人の知識でできることはたかが知れているが、複数人の知識をより合わせれば、その総和よりも遥かに複雑なことが可能になる。チームとしてそれを評価することができれば良い。

(1){あれ}
{コメント}{ブログ}(2)
{大衆}{自転車置き場の議論}{コメント}{記事}(4)

{つまらないコメントをつけられてしまうというのは、記事が大衆向けすぎる K#EDD2/8FB3}

そもそも脊髄反射的なつまらないコメントをつけられてしまうというのは、記事が大衆向けすぎるということなのかもしれない。自転車置き場の議論に供されるようなことしか書いていないのかも。高度な記事を書けば、しょうもないコメントはつかないのかもしれない。

{コメント}

{}