ただ、デライトの場合、あまりにも多量の情報を想定した設計であるため、ページ数が少ないと他のサービスよりも利便性を感じにくいという別の課題があります。これは前々回のスレッドで語った通りです。「すかすか」な感じになってしまうわけです。
{解像度}{無関係}{長さ}{文字列}{短文}{長文}{ページ数}{構造化}{価値}{情報}
(11)
デライト公式

{あれK#9-C7C6/A-60A9}
構造化されていない情報(単純な文字列等)の文字数の多さ(長さ)がその情報の価値と無関係なのは明らかです。長文が短文より常に価値あるものとは言えません。しかし、ここでいうページ数とは構造化された情報の各点の多さです。いわば「解像度」であり、質につながる量の話なのです。
{短文}{数量}{長文}{ページ数}{重要性}{100万ページ}{1万ページ}{価値}{情報}{ツイスト}
(10)
デライト公式

{あれK#9-C7C6/A-94B1}
さて、ここまで散々「ページ数」の差について語ってきていますが、その重要性にピンと来ない人もいるかもしれません。1万ページよりも100万ページ扱えることに価値があると言えるのはなぜでしょうか。一般論として情報の価値は数量では決まりません。もちろん、「質より量」という話ではありません。
{ルネサンス}{レオナルド・ダ・ヴィンチ}{特筆性}{Wikipedia 英語版}{ページ数}{博学者}{ポリマス}{世界}{ツイスト}{個人知識管理サービス}
(12)
デライト公式

{あれK#9-C7C6/A-D9BF}
Wikipedia 英語版の記事数は600万以上だそうです。世界にはそのくらいの特筆性を持った事物があるということです。そのくらいのページを個人知識管理サービスで育てるダ・ヴィンチのような博学者(ポリマス)が現れ、ルネサンスのような文化が花開くことをデライトは期待しています。
{仕様}{不可解}{ページ数}{違い}{実装}{頻度}{説明}{投稿}{サービス}{デライト}
(11)
デライト公式

{あれK#9-C7C6/A-B9F7}
{依存}{粒度}{ページ数}{構造}{単位}{情報}{サービス}
(7)
デライト公式

{あれK#9-C7C6/A-EDC9}
そもそも各サービスにおいて現実的に扱えるページ(相当)数というのは、そのサービスがどのように情報を捉えているか、その粒度と構造に依存します。その違いがページ数の違いになるわけです。従って、単位の違いこそむしろ議論の核心であると言っても過言ではありません。
