行為に付与される背景情報の一種であるらしい
{あれ K#7D71/9120}
人間以外(たとえば政治団体)に目的が存在することにできるのは直感的には不可解だったのだけれど、そもそも人間に目的が存在することにできるのも充分に不可解かつ便宜的なことだから、これといってどうということもないか。
{自然言語とポケットナイフのアナロジー K#7D71/7A03}
カルナップ、エスペラント、言語工学の p.12 から。原文は未確認(Replies and Systematic Expositions の pp. 938-939 にあるらしい)
「自然言語は粗雑で原始的なポケットナイフのようなものであり、無数の異なった目的のために非常に有用である。しかし、ある特定の目的のためには特殊な道具(彫刻刀や裁断機、とことんまでいけばミクロトームなど)の方がより有効である。もし、ポケットナイフが与えられた目的に対してあまりにも粗雑であり、欠陥のある成果を生み出してしまうことが分かった場合には、われわれは失敗の原因を調べて、そのナイフをもっとうまく使用するか、その特定の目的のためにより適切な道具に持ち替えるか、あるいは新しい道具を発明するかすべきであろう。[…]細菌学者がミクロトームを使うことを誰が非難するだろうか?」
{あれ K#7D71/0981}
{あれ K#7D71/B37B}
生きる意味はないし目的もないし何かを後世に残してもそれもまたこわれていくし、この世界は単なる肉と物質で、尊ばれているものすべては単なる幻想であることくらい、小学生くらいの頃には薄々気がついていたはずなのに、自分も、他の人たちも、正気みたいな顔で生きていられることの意味が分からない
{あれ K#7D71/B2E6}
自分の仕事が全ての人にとって目的であって、手段ではないと考えるのは驕りでしょう。自分にとっては目的であっても誰かにとっては手段に過ぎないものはいくらでもある。逆も然り、あなたが“手段”として行う、翻訳も検索も運転も、他の誰かにとっては目的だったのだ
だから自分にとっての“手段”の自動化を歓迎しておいて、自分の生業は、超越的な“目的”だから自動化されるべきではない、と言う立場は本当に傲慢だと思う
備考:AI画像生成を受けての反応?