子供のころ、六法全書なんて普通の人が読める量ではなく時折改正されるのに大体の人が感覚で犯罪か犯罪じゃないか判断しているのが怖いと思っていた
{あれ K#7D71/1951}
法律は、大勢の感覚の平均を取って、基準としたもの
例えば日本では、多数派の人間に「猫と犬はかわいい。殺しちゃダメ。でもゴキブリは殺していいと思う」という感情があるから、一部の動物だけ動物愛護法が適用されている
これが勢力均衡になると困ったことになる
「核を使われるのが怖い」から「核を使ってもいい」という、一見逆転した法律が生まれてるのよね
{あれ K#7D71/FD91}
“大抵の人間はさして面白くない”
ワタシ・チャンさんから見てさして面白くない大抵の人間は、ワタシ・チャンさんとは面白さの感覚が違い、そのことがワタシ・チャンから見た面白さの欠如につながっている。
でも(?)、大抵の人間が面白くないことは、たとえば、一部の面白い人に注目が集まる(メディアに露出する、本が売れるなど)状況から明らかじゃないですか?
こちらについてはどうですか?
「人間たちはお互いに何を言っているのか分かっていないということが分かっていない」のだと思っています。
でも、体験? としては会話? からポジティブな効果を得ているという感じですよね。
{あれ K#7D71/48B1}
倫理的に問題ないと導出できたラインで生活してるけど、一般的な感覚ラインとはかなりズレてそう(だいたい私がやたらマージン取ってるみたいになるけど)なのでいつかなんかやらかしそうで怖いのある
人々って絶対に導出過程を説明させてくれないし
そもそももし周りの人の7割と違う文化集団に影響されてるみたいな状態になったらエミュレーションも不能にになって詰みそ〜
{感覚単位 K#7D71/A335}
[…]音圧を表す単位 NOFY (ノーフィ)を定義してみた。[…]1NOFYは「1年ぶりの再会だとしたら我慢できる会話の声量」と同等の音圧である。[…]
もちろん、人が許せる声量というのは個人差があるし、たとえ同じ人間であっても場所や状況だとかその日の機嫌や体調によって大きく変わる。[…]
こういう少し込み入っていて、あまつさえ正確に計量することを目的としていない単位を、 感覚単位 と呼ぶことにしよう。
{あれ K#7D71/5DA4}
言語理解が高い人が説明下手なのは「言語に偏りすぎると現実感を失い、現場感覚を知らない妄想世界の住人になりやすい」からではないかと思います。
説明は言語と感覚を繋ぐことが肝要で、人間社会を嫌う人は感覚を喪失していくからより一層言語の世界に埋没しかねないわけですねー。