{一日一文}{デライト}{17歳}{}{〈宇田川 浩行「非言語思考と論理実装主義」(希哲館)〉}{デライト開発}{論組}{希哲15年6月の一日一文}{論理共感覚}{高度非言語思考}...=}(86)

{非言語思考と論理実装主義 K#F85E/E74C-A114}

昨日の一日一文で「高度非言語思考」という言葉久しぶりに使ったので,今日はこれについて少し書いてみよう。

人間にとって,言語思考切り分けることは難しい。ある程度高度な概念を扱う思考をする時,言語自然に伴なうものだ。

他方,言語が無ければ思考出来ないのかといえば,そうではないのも明らかだ。言語獲得以前の幼児にもにも思考能力はある。こうした,言語を必要としない程度の非言語思考を「原始非言語思考」と私は呼んでいる。

通常は言語によって為されているような高度な概念を扱う非言語思考,これがつまり「高度非言語思考」だ。


私は,デライト基礎理論である輪郭法と,それを中核とした希哲館事業構想17歳くが,この時に実践していたのが高度非言語思考だ。

なぜそんなことを始めたのかと言えば,言語の制約を越えたかったからだ。当時の私は,技術以上に哲学関心がある少年で,様々な思想の対立や現代思想停滞乗り越えるには,「言語思考」の速度遅過ぎると思っていた。

つまり,概念名前を付けたり,文章的に整理するのではなく,直感に従って,手で組み立てるように思考を組み立て,言語表現については概ね形が出来上がってから後付けすればいい,と考えた。その結果が「閃き」だったわけだ。

デライト使い方理解している人なら,この思考法がデライトにそのまま反映されていることに気付くだろう。この頃の私は,まさに「あれ」だけで思考していた。


私にはもともと,「論理共感覚」と呼ぶ不思議な能力があった。論理視覚触覚連動しているような共感覚(異種連動感覚だ。子供の頃から,論理というものを,目の前にあるモノを目で見て,手で触るように扱えた。つまり,頭で考えるというより,感じるように思考を組み立てることが出来た。

論理共感覚は,高度非言語思考可能にすると同時に,論組プログラミングと強く結び付くことになった。ごく直感的論組プログラムを組み立てることが出来たからだ。「論組」という翻訳語自体,プログラム本質論理にあるという感覚に基いて造ったものだ。

そして,論組による実装最良知の裏付けとする考え方を「論理実装主義論理実証主義もじりと呼ぶようになった。デライト開発はまさにその実践と言える。

私は,高度非言語思考,論理実装主義から極めて独特な思想体系構築することになるが,当然ながら一文で書き切れることではないので,折に触れて少しずつ書いていこうと思う。

{思考能力}{支離滅裂}{希哲14年6月30日}{希哲14年6月30日のツイスト}{ツイスト}{常軌}{正常}{怖い}{文章}{論理}=}(10)

{あれ K#F85E/5B28-142E}

たまに,わざと支離滅裂文章を書いて「キ○ガイ」を演じているような人がいるが,そういう人は割と気軽に見てもらえる。私の場合,文章も一見まともだし,論理は通っているし,どう考えても正常思考能力を持っているのに,よくよく内容を見ると常軌を逸し過ぎている。こういう所が怖いんだろうな。

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{論理共感覚}{あれ}{希哲14年5月12日のツイスト}{希哲14年5月12日}{ツイスト}{触覚}{共感覚}{視覚}{感覚}{思考}...=}(11)
{文化的背景}{希哲14年2月8日}{希哲14年2月8日のツイスト}{語りの文化}{ツイスト}{交流}{西洋思想}{論理}=}(8)
{選り人}{希哲14年1月24日のツイスト}{希哲14年1月24日}{ツイスト}{エリート}{議論}{人間}{論理}=}(8)
{希哲館訳語}{論組}{希哲14年1月21日}{希哲14年1月21日のツイスト}{ツイスト}{計算}{算譜}{プログラマー}{論理}{プログラミング}=}(10)
{論組}{希哲14年1月19日のツイスト}{希哲14年1月19日}{ツイスト}{訓練}{整理}{機械}{教師}{プログラマー}{思考}...=}(12)
{論理}

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