第四次宣伝攻勢に入って間もない希哲16年(2022年)5月頃から使い始めた表現(参考:デライトの歩み)。
集客面での伸び悩みという一点を除いてデライトが理想的な状態(→デライトの不完全な成功)に達していることから,それまで使っていた「デライトの成功」という表現に違和感を覚えるようになっていた。
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}{デライト2周年}{難}{一段落}{一編}{研究}{話}{今}{形}(600)デライトは,今年の2月13日に2周年を迎えたばかりの若いサービスだ。しかし,その背景には長い長い歴史がある。詳しく書くと書籍数冊分くらいにはなる話だ。デライトの完全な成功を目前にした良い頃合いなので,駆け足で振り返ってみたい。
技術としてのデライトは,私が17歳の頃,主に哲学と情報学への関心から「輪郭法」を閃いたことに始まる。2002年,もう20年前のことだ。デライトにおける輪郭法の応用については,「デライトの使い方の考え方」で出来るだけ簡単に解説したつもりだが,本来の輪郭法は,“輪郭という概念を中心にした世界の捉え方”であり,哲学用語でいう「弁証法」に近い位置付けの概念だ。
このアイデアが,哲学上の理論に留まらず,極めて実践的で,極めて強大な技術になりうることに気付くのに時間はかからなかった。これを応用することで,計算機科学における長年の最重要課題を解決し,知能増幅(IA)技術の実用化につなげることが出来る(参考)。すでに IT 産業の勢いが明らかだった当時,これは“世界史上最大の成功”と“知識産業革命”への道が開けたことを意味していた。
さらに,アメリカ同時多発テロ事件が起こって間もない頃だ。後の英米政治危機,世界に広がる社会分断,SNS の暴走,そして目下のウクライナ侵攻を予感させる事件だった。
あらゆる争いの背景には,世界の広さに対する人間の視野の狭さと,それによる“心の分断”がある。当時から私はそう考えていた。我々は,世界の一部分をそれぞれの立場から見ているに過ぎない。立場が違えば見える世界も違う。その衝突を回避出来るとすれば,個々人の世界に対する視野を広げるしかない。輪郭法の応用技術にはその可能性があると感じていた。この考え方が現在の KNS という概念につながっている(参考)。
この閃きは止まるところを知らなかった。17歳の少年の人生観も世界観も,何もかもを瞬く間に作り替えてしまった。この閃きをどこまで大きく育てられるか,それだけを考える人生になった。適当に金に換えることも出来たかもしれないが,世界にかつてない平和と豊かさをもたらす鍵を手に入れたようなものだ。中途半端な売り物にすることなど,現実には考えられなかった。能う限り最高の状態で世に出さなくてはならないと思った。
もちろん最初は,とんでもない宝くじに当たったような気分だった。天にも昇る心地とはこのことだろう。どんな人生の喜びも,この喜びには勝るまい。少しばかり時間が経ち,冷静になるにつれ,呪いのような重圧に苦しむようになった。
デライトも2周年を迎えた。希哲14年2月13日24時15分,なんとかデライト正式離立に漕ぎ着けた時の生々しい感覚は今でもよく覚えている。
今日を「デライトの早期成功」の目安としたのは昨年9月7日,金風が起こるわずか11日前のことだ(9月7日の日記)。金風で状況整理が困難になった後は,組計上ほとんど唯一の目印になっていた。
そして今,デライトは非常に評価の難しい状況にある。手放しで成功と言うには収益額が低過ぎるが,不成功と言うにはあまりにも理想的な状況にある。
金風後に「デライト収益目標達成」を「デライト収益乗軌化」に改め,一時的な収益額よりも持続的な成長軌道に乗せることを重視するようになった(11月1日の日記)。その点に限れば成功したと言えなくもない。当時の想定より低過ぎる収益額にもかかわらずそう思えるのは,金風がそれだけの時間稼ぎをしてくれたからでもあり,目先の金銭以外の収穫が想定をはるかに越えて多大だったからでもある。
今のところ,デライトにも希哲館事業にも不安はない。とっくに収益面以外では理想的な状態にあったのだから,まさに「鬼に金棒」だ。
今は黄金状態を極力維持し,黄金循環を加速させ続けることくらいしか新しい目標も思い付かない。もう人類の限界というか物理的な限界に近い気がするので,これ以上無理をしても早死にするだけだろう。
成功したのかどうか,頭で考えようとすると訳が分からなくなってくるが,とりあえず気分は最高だ。
それを象徴するかのように,今日は“空を飛ぶ夢”から目覚めた。人間が腕をばたばたさせると鳥のように飛べる世界で,仲間に混じって自分もやっと飛べた,という新鮮な夢だった。
昔から,希哲館事業を背負う自分は飛べそうで飛べない幼鳥みたいなものだと思っていた。それはもどかしさでもあり,嬉しさでもあった。何せ,希望を持つことすら絶望的な事業として始まったのだから,飛び立つ希望を持てるだけで奇跡のようだった。
それが本当に飛べるようになるというのは,奇跡の先の奇跡,夢のまた夢が現実になるようなことだ。今は訳が分からなくて当然なのだろう。
昨日の一日一文では高度経済成長期以後の日本の盛衰について分析してみたが,今日は,そんな日本がどうやって中国を抜き返し,アメリカをも凌ぐ世界史上最大の極大国となりうるのかについて書いてみよう。
アメリカは脱工業化に成功し繁栄を極め,日本は工業にしがみつき凋落した……物語はここで終わったわけではない。ジパング計画という“新しい物語”が始まるのはここからだ。
私は,これまでの世界で起きた脱工業化という現象を「あての無い家出」と表現したことがある。とりあえず工業中心から脱してはみたものの,落ち着ける先が見えていないからだ。脱工業化は世界にとって時期尚早だったかもしれない,という雰囲気は実際に広がりつつある。
それを象徴するような二つの出来事が同じ2016年に起きた。イギリスにおけるブレグジット決定,アメリカ大統領選挙におけるドナルド・トランプ当選だ。私はこれらに象徴される英米政治の混迷を「英米政治危機」と呼んできた。
そしてその背景にあったのが,情技(IT)産業をはじめとする知識産業の隆盛に伴う工業の衰退,格差拡大,国民分断だった。世界経済と脱工業化の先頭を走っていたアメリカ,そのアメリカを生み出したかつての超大国であるイギリスが同時に似たような危機に陥ったことは偶然ではないだろう。
産業革命から近現代を牽引してきた両国の産業構造はもちろん,政治や文化にも通底する何かの限界が,ここに来て露呈したのだ。
トランプ政権下のアメリカでは,まさに脱工業化の煽りを受けたラスト・ベルトに支持され“再工業化”の動きすら見られた。それは,あてのない家出から“出戻り”してきた少年少女のような,心細いアメリカの姿だった。
一般に,国民国家や間接民主主義・資本主義といった現代社会の標準的な体制が形作られた,18世紀頃から20世紀頃までの時代を「近代」という。
今日も快調に仕事が進んだ。
昨日深夜,なぜポモドーロ法が自分に有効だったのか考えた。むかし限られた時間の中で限られた仕事をこなすのが妙に得意だったことを思い出すと,希哲館事業乗軌化後に見つけるべくして見つけたものという気がする。
4月の勉強期が終わり執務長意識改革が始まってから間もないことを考えると,これ以上早く適切な時期に見つけることも不可能に近かっただろう。いまや「鬼に金棒」であるし,今月はもう「歓喜の月」と言えるかもしれない。
今日は特に捌き手 sss-1 で最新のイチが稼動したのが大きく,これから実装も献典も積極的に更新していける。
今日も一日一文を書いたが,やはり1歩に収めようとするとオチの付け方が課題になる。
ランニングも始めた。あまりにも久しぶりなので散歩半分で軽く走ったが,気持ち良かった。
だから要するに鬼に金棒なのだ。人類史上最大の事業構想を完成させた上で抜群の集中力を発揮出来る。これは夢か?