目的を巧みに実現するために形式化・体系化された方法のこと。
「何をするためにどうするか」ということであり,「なぜするのか」という理由や,「何をすべきか」という価値観からは独立している。
目的を巧みに実現するために形式化・体系化された方法のこと。
「何をするためにどうするか」ということであり,「なぜするのか」という理由や,「何をすべきか」という価値観からは独立している。
まただいぶ間をあけてしまった一日一文だが,少しゆとりも出来てきたのでぼちぼち再開したい。継続性について考えてしまうといつまでも再開出来ないので,停止したり再開したりは今後も繰り返しながら,あまり気負わずやっていく。
半年ほど前から,デライト市場戦略にも大きな変化が生じている。個人知識管理サービス市場での競争よりも SNS 市場での競争という意識の変化だ。
当初から次世代の個人知識管理サービス(高機能メモサービス)としての売り込みを考えてきたデライトだが,2年以上の市場活動を通して,“時期尚早”の感が拭えなくなってきていた。
「デライトは従来の個人知識管理サービスとは桁違いの情報を扱える」という趣旨の発言をしたところ,その意図を全く理解出来なかった一部界隈から怒られるという,今となっては笑い話のような出来事(N10K 騒動)もあったが,最近,Notion の小さな流行にも考えさせられることが多かった。
綺麗で仕組み作りが楽しいと評判の Notion は,個人知識管理においてはどちらかというと初心者向けのツールだ。
よく,「勉強が出来る人のノートは意外と汚い」などと言われるが,個人差はあれど,その傾向があることに不思議はない。優れた記録術というのは,自分にとって必要な情報を的確かつ効率的に記録して取り出せる技術であって,それは他人から見て綺麗なものではないことが多い。それどころか,自分の理性に反するものであったりもする。
デライトも公開から2年半ほど経ち,色々な人が興味を持ってくれたり,使ってみてくれたりした。遠くから眺めているだけの人,登録してみただけの人,たまに使う人,いつも使っている人……風変わりなデライトでも,出会った人の多様性は他のサービスとさして変わらない。
私は,そんな全ての“デライター”とデライターの卵達に深く感謝している。付き合いの長さも深さも関係ない。デライトに否定的な人ですら,知ってくれただけでありがたいと思う。
これがよくある社交辞令ではないということは,前回の一日一文,「デライトの歩み」を読めば分かるだろう。そもそも全く無謀な挑戦として始まったのがデライトだ。成功どころか,誰にも認められず終わるかもしれない。それならまだいい。弾圧や暗殺で命を失うかもしれない。10代の内にそこまで想像して葛藤を乗り越え,20年かけてここまで来た。
たとえるなら,デライトの歩みとは,真っ暗な巨大洞窟を一人で彷徨うようなものだった。どこかに新しい世界につながる出口がある。生きている内に辿り着けるかどうかは分からない。そんな洞窟を歩き続けていた時に見えた光,聞こえた人の声。それが私にとってのデライト利用者であり,デライトへの声だ。
そして今,デライトは「完全な成功」一歩手前と言えるところまで来ている。すでに夢のようなことだ。感謝せずにいられるだろうか。
SVG スプライトの手法を取り入れ,SVG アイコンの定義は icn.svg
に集約することにした。
SVG 出与えも Aejs に組み込んで直接挿入してしまうことを考えていたが,舞覧隠しの適切な分離が出来なくなる,要素の再利用に必要な id
属性が使いにくい,といった問題があった。外部 SVG を <use>
で利用すれば Shadow DOM になるので,id 属性の衝突などを気にせず要素を整理しやすくなる。
スプライト画像として background-image
で利用しやすいというのも大きい。:target
とフラグメント識別子を利用して表示要素を変化させる技術があることを知ったが,舞覧によっては効率的に隠し出来ないことがあるらしく,今回は見送った。<view>
が使えればいいが,Safari の対応に難がある。当面は古典的な座標指定で行くことにした。
アイコン制作では,アイコンを並べて全体のばら成しを見ながら調整することが多いため,見本を兼ねられるのも便利だ。
SVG スプライトだけで十分かもしれないと思いかけたが,<use>
1つでも若干冗長な上に,1つのアイコンの要素を細かく制御したい場合に <use>
が複数必要になるため,やはりスクリプトでの補完は欲しい。
一つ一つ課題を解決しながら進めているので時間はかかっているが,何かと知見を深めることが出来ている。やはり総合的に CSS アイコンの利点は大きいので採用方針は変わらないが,割り切りと誤魔化しの技術が肝だなと感じている。そこを抑えられれば強力な武器になる。
CSS アイコンの欠点として,拡縮時に歪みやすいということが理解出来てきた。スマートフォンだと再現しないので,サブピクセルのレンダリング問題なのかもしれない。拡大時に1px程度のずれが生じることがあるのはともかく,縮小時に細い線が消えたりもする。これは有名な CSS アイコン集でも同様なので,そういうものなのだろう。
もっとも,ラスター画像の主要な問題である高精細画面でのぼやけに対応出来れば十分とも言える。舞覧のズーム機能を使うような人にとって多少の表示の乱れは想定内だろう。あとは歪みにくい書き方・デザインの問題か。
すぐに終わるだろうという当初想定に反してもう少し時間がかかりそうなので,明日からは別の作業にも多めに時間を割くことにした。
無理をしないと書いたそばから,調子が良いを通り越して過熱気味で,また寝るのが遅くなってしまった。
開発では輪郭選り手の改良に熱中し,輪郭整備もまたお預けとなった。ただ,描出効率の大きな向上が見込める改良となり,今後の輪郭整備を考えればむしろ良かった。きっかけは昨日の開発での不具合修正で,これも怪我の功名だった。
輪郭選り手改良に意識が向いたのは,最近,執筆環境としてのデライトへの期待が高まっていたからかもしれない。もちろん,デライト文書整備が念頭にある。
デライトの完全な成功までの「最後の壁」だと思っていたものを突破しては次の壁にぶつかるということを繰り返してきたので,“その時”が来るまで,結局何が「最後の壁」なのかは分からないだろう。
用者が大きく増えないままデライトが進歩し,洗練されるたびに不思議な感覚を覚えてきた。こんなに凄いものをこんなに少人数で使っていることに,罪悪感に近いものを覚える。隠しているわけでもないのに独占しているみたいだ。事実,デライトほど構想的・技術的に高度で,高品質で,なおかつ無名なサービスは他に無いだろう。
現在のデライトを俯瞰した時,明らかに欠けている大きな部分はもはや一つしかない。それが“文書”だ。
正式離立から適当な状態のまま,ほとんど手を入れていないデライト文書の整備を遅らせてきたことには,修正回数を最小限に抑えるという戦略的な理由があった。実際,ここまでのデライトの急激な変化にいちいち文書を追随させていたら,デライト開発自体がここまでの速さで進んでいないだろう。第二次快調期と第四次宣伝攻勢を経て,安定感が出てきた今が一番効率的・効果的に文書整備を進められる時期なのは間違いない。