私はよく「希哲〜年」と書いている。例えば今年(2021年)なら希哲15年となる。これは「希哲紀元」という希哲館独自の紀年法だ。希哲館事業発足の2007年を希哲元年とし,そこから希哲2年,希哲3年と数えていく。
この希哲紀元を私的に使い始めたのが希哲8(2014)年頃だから,もう7年ほど経つ。
希哲館訳語からも分かる通り,希哲館では日本語を最重要視している。日本語の力を活かして知識産業革命を成し遂げ,日本語を世界中に広めたいと思っている。
ところがここで一つの問題があった。日本語で使える普遍的かつ合理的な紀年法が無かったのだ。
我々日本人は元号に慣れているし,愛着を持つ人も多いだろうが,元号はあくまでも天皇の権威に由来するものであり,外国人に押し付けられるものではない。紀年法としての分かりやすさを犠牲にする代わりに時代感を共有しやすいなどと言われるが,それも国内の問題に過ぎない。
それでも日本人は元号を使うんだ,と言えるほど元号にこだわりがあるのかと言えば,実態はそうでもない。西暦も当たり前のように使われており,面倒だから西暦だけにしてくれという人もまた多い。ではその西暦に問題が無いのかと言えば,キリスト教の価値観に基く紀年法が中立なわけはない。
キリスト教徒の少ない日本で,元号を捨てて西暦だけを使うようになった日本人というのも奇妙だろう。かといって,元号のみを使うのも皇紀を使うのも現実的ではない。併用している現状が良いのかと言うと,やはり面倒なことが多々ある。
残念ながら,日本語の現状として,気持ち良く使える紀年法は無い。この気持ち悪さに自分なりに決着を付けたかった。希哲紀元を使い始めた動機はそんなところだ。