私も含めて OSS 愛好者達が間違えがちなのは,我々が思っているほど「自由」を求めている人は多くない,ということ。ほとんどの人は「そこそこの自由」で満足で,政府や企業からの完全な自由なんて求めていない。そんな自由のためにややこしいものは使わない。

{あれK#F85E/E74C-8683}
letter-spacing
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{希哲15年6月19日の開発 K#F85E/E74C-A3FD}
とりあえず細かい記法実装から済ませてしまうことにし,かねてから考えていたダッシュ記法と出典記法を実装,概ね満足出来るものになった。当初はそれほど期待していなかったが,想像以上に表現の幅が広がりそうだ(公式解説)。
ダッシュ記法
ダッシュ記法は,特に扱いにくい倍角ダッシュが簡単に扱えるようになったのが想像以上に大きい。
この問題は,昔,『道草録』で記事名に使おうとしてから認識していた(「Org-Mode の機能、組み込み LaTeX — その1」)が,いまだにこれといった解決策が無く,日本語電子文書の課題になっているので,それなりの宣伝効果もありそうだ。
最初,エムダッシュ(U+2014,—)を2つ繋げて,CSS で何とか調整しようと考えたが,フォントによって太さや長さに統一感がなく,負の letter-spacing で間が開かないようにすると短過ぎて倍角ダッシュに見えなかったりした。しかも,環境によっては重なった部分が濃く見えて結局綺麗な倍角ダッシュにならないという問題に気付き,これは断念した。
最終的に,罫線素片(U+2500,─)を使うことにした。罫線を作るための文字である性質上,letter-spacing が 0 であれば隙間が出来ないことはほぼ保証されている。SLFS,Android,Windows,macOS,iOS で確認した。
罫線素片による倍角ダッシュの表現はよく見られるものだが,同時によく指摘される問題点として,これがダッシュであるという意図が表現出来ないというものがある。例えば,縦書きで表示した時に横棒のままになってしまうことがある。
これを踏まえて最初にエムダッシュを利用しようとしたのだが,よく考えると,デラングであれば,ダッシュ記法という仕様によって意図を保存しつつ,表示上の最適化に徹することが出来る。
出典記法
ダッシュ記法と引用記法の組み合わせとも言える出典記法も実装出来た。
複数段落引用記法の終了記号との兼ね合いをどうするかと思っていたが,これは単純に,出典記法を終了記号としても扱うことで上手く解決した。
ここも意外に他の軽標記言語では面倒だったりするので,デラングの小さな売りになりそうだ。
その他
成果も想像以上だったが,これらを実装するのに想像以上に多くの障害があった。
特に,正規表現周りで躓くことが多く,正規表現の扱い方について見直す良い機会にもなった。

{人間への共感 K#F85E/E74C-BE3A}
私には,いわゆる「共感力」というものが無い。時々思うことだ。
普段書いていることを見ていれば何となく分かると思うが,私は,あまり多くの人と同じような生活をしていない。これは昨日今日始まったことではない。10代の初め頃からずっと,私はこんな調子で生きて来てしまった。
反共感としての KNS
思えば,私が KNS なんてものを発明したのも,この共感力の無さによるところが大きい。
私には,主にマイクロブログ系の SNS を消極的に使っていた時期がいくつかあり,そういう時期に私を見かけた人なら分かるかもしれない。私の SNS の使い方は,基本的に独り言を延々と垂れ流す,というものだ。しかも,自分で考えた造語や翻訳語をちりばめて,だ。
最初からこうだったわけではない。最初に SNS に接したのは20歳そこそこで,その頃は周囲に合わせようとしていた。ところが,使っているうちにある問題に気付いた。同じような年頃の人達が,自分とは全く違う生き方をしているということだ。
例えば当時,よく若者の間で盛り上がっていた話題といえば,就職氷河期下での就活だとか,日本社会への悲観論だったりした。
それが私には全く分からなかった。当時の私は,希哲館事業を始めばかりだった。ろくに学校にも行かず17歳で輪郭法を閃いた私は,定職につく気も無く,どうすれば世界史上最大の企業を創り,日本を世界史上最大の極大国に出来るかということで頭が一杯だった。
「もう日本は駄目だ」「英語を勉強して日本を出よう」などという悲観論が渦巻いていた SNS で,ただ一人,「これから自分が日本を世界の中心にする」と希望に満ち溢れていたのが当時の私で,要するにずっと変わっていないのだ。最初はそれがズレていることにも気付いていなかったと思うが,流石にだんだん周囲との空気の違いが分かってくる。
SNS というのは,多くの人にとっては仲間を見つけたり,共感しあったりする場なのだろうと思う。私にとっては,使えば使うほど,自分がいかに世界の中で孤立した精神の持ち主か,ということを思い知らされる場だった。単純に,あまり面白いものではなかった。
共感と商売
共感力の無さというのが現実的な問題になるのは,やはり「商売」を考えた時だ。デライトも,多くの人に気に入ってもらい,そこから利益を生み出そうとしている,という意味では立派な商売だ。
ところが私には,人の欲望というのもあまりよく分かっていない。男性で言えば,金が欲しいとか,女性にモテたいとか,そういうのが欲望の典型なのだろう。しかし,私はその手の感情を抱いたことがほぼ無い。
厳密に言えば,金が欲しいとは思う。ただそれは事業のためだ。希哲館事業の理想を実現するためには,「兆円」の単位では足りない。最低でも「京円」の金が動かせるようにしたい。そういうことはよく考える。
その一方で,私的な金銭欲には乏しい。希哲館事業を始めた当初から,私は自身も含めて全執務員の給与・報酬を「世の中の平均的な水準」にすることを決めている。つまり,どれだけ希哲社が利益を上げようが,私は月に数十万円程度の金しか受け取らない。
別に我慢をしてそうするわけではない。それが清貧思想とか社会奉仕のパフォーマンスなら,アメリカ企業がよくやるように1円の報酬でいい。私は別にそういう“思想”で金が要らないわけではない。本当に,人並程度の収入で十分満足に暮らしていけると思っているのだ。
しかし,商売をする上で,人の欲望の流れを感じることが出来ない,というのは致命的かもしれない,と思うこともある。金が欲しいという人の気持ちも,女性に囲まれて嬉しい人の気持ちも分からないのだから,少なくともそれで釣るような商売には全く向いていない。
人間そのものへの共感
ではどうすればいいのか。これまでの生き方はいまさら変えられない。
でも,私にも共感出来ることはある。それは,枝葉ではなくて,人間として誰もが持つ普遍的な部分への共感だ。例えば,人が転んでいるのを見れば痛そうだと思うし,泣いているのを見れば可哀そうだと思う。幸せそうにしていれば何となく嬉しい気持ちにもなる。
人間のどこかではなく,人間そのものへの共感を深めていく,そんなことに希望を見出したい。

{日本の第二次大翻訳時代に向けて K#F85E/E74C-9D63}
そろそろ希哲館翻訳事業についても何か書いておこうと思いデライトをくぐっていると,6年以上前に書いた懐しい文章(「翻訳とは何か」)を見つけた。当時の私の「第二次大翻訳時代」への意気込みが伝わってくる。
当時はまだそれほど蓄積が無かった希哲館訳語も今や「日本語史上最大の翻訳語体系」と称するまでになり,自ら開発するデライトも翻訳語研究にはこれ以上ない通類になっている。ここで改めて,第二次大翻訳時代への思いを記しておきたい。
日本にも「大翻訳時代」と呼ぶべき時代があった。言うまでもなく,膨大な外来語が翻訳された江戸時代後期から明治時代にかけてのことだ。この時代に生まれた翻訳語は現代日本語に欠かせないものになっている。
そんな日本語も,どこで何を間違えたのか,カタカナ外来語で溢れかえるようになってしまった。時代の流れが速いから翻訳語なんか造っても意味が無い,とやってもみずに言う者が多い風潮に逆らって,私は翻訳活動を続けてきた。
そうしていると,「何で翻訳語なんか造ってるの?」と言われたりする。今我々が当たり前のように使っている日本語にどれだけの翻訳語が含まれているか,知らないわけではないだろう。ではカタカナ語に満足しているのかというと,「カタカナ語の氾濫」はたびたび社会問題のように語られる。それでも,「なら翻訳してやろう」という運動は無いに等しい。
昔から,独自に翻訳語を造ってみようという人はいて,私もいくつか例を知っているが,その全てが世間には全く知られていない。そういう運動を誰かが始めてみても,一向に火が付かないのだ。そして自然消滅のように消えていく。これは面白いといえば面白い現象だ。
私もその運動を始めた一人だが,翻訳語についての話というのは本当にウケが悪い。ブログ記事のようなものを書いても握接が集まることは無いし,Twitter のような所でつぶやいてみても反応はほぼ無い。まさに「しーん」という感じだ。
ただ,私はそれもこの仕事のやりがいだと思っている。いかに現代日本人にとって外来語翻訳というのが難しいことか,それを思い知らされるほど,その難しいことをやってこれたことに対する自負と誇りも大きくなる。
これからも希哲館は,この日本で知識産業革命を実現し,日本語を英語に代わる「世界の言語」とすべく翻訳語整備を進めていく。そして,世界史を変えた「知恵の館」(バイト・アル=ヒクマ)にも劣らない翻訳事業にしたいと思っている。
