概ね良好。
寝起きから姿勢によって感じる軽い腰の痛みがあったが,最近また姿勢が悪くなっていたのが原因だろう。姿勢矯正を意識していたら夕方頃にはほとんど引いた。
そろそろ第四次宣伝攻勢・新生デライト開発の中間まとめをすべき時期であるため,振り返りと現状整理をした。昨日やろうと思いつつ,開発に熱中したり姪達の世話に追われたりして出来なかった。
ある程度考えはまとめたが,珍しく早い時間に眠たくなってきた。早寝は最近の課題なので,この日記は明日書くことにして早く寝た。
第四次宣伝攻勢は最初から事前想定と少し異なる展開を見せたものの,概ね状況は良好であると言っていい。特に5月前半,一日一文に時間をかけたのが予定外だった。後半から開発時間を増やして,そちらも想定外に発展していき,直接的な宣伝活動にはそこまで多くの時間を割いていない。
当初,朝昼晩1時間ずつ宣伝活動に割くことを想定していたが,昼晩30分ずつという日が多く,これで丁度良い気もしている。高速化と歩調を合わせる必要があることに加えて,一日一文などでこれまでにない好感触を得ている。今は,無闇に人をかき集めるより,デライトにとっての理解者をじっくり増やしていく時期なのだろう。
それは「宣伝攻勢」なのかという気がしないでもないものの,その程度のこともしない時期が長かったから意義もなくはない。
用者動向は水物なので,努めて一喜一憂しないようにしているが,最近のデライトでは明らかに良い変化が起こっている。比較的深いところまで知ってくれる人が増えたし,常連用者の使い方も変わっている。これまで,開発者が何を考えているのか分からないままみんな手探りで使っているという感じだったが,ある程度デライトの根想を踏まえた上で使ってくれるようになった。良い意味で方向感が出てきて,初心者にとっても良い見本になる。
一方,初期のデライト宣伝で感じていた,「面白そう」止まりの表面的な反応は減っている。「面白そうだけど使わないよ」というダーウィンの海は乗り越えつつあるように感じる。
なかなか出来なかった振り返りをしながら,「回り道」についてよく考えた。
開発では3月に中断していた中間的デラング整備に戻ったが,ここで以前とは比べ物にならないほど手定め効率が向上していることに気付いた。Aejs 整備から下見機能付きの新輪郭選り手出来たからだ。これが当時 Aejs 整備を終わらせたかった理由だったことを思い出した。
そろそろ一日一文も続きを書くか,と思えば,文章の閲覧性が飛躍的に向上している。5月後半,一日一文を中断して,最大化アイコンや描写拡縮ボタンの追加,自動ページ展開機能実装を一気に進めたからだ。これは,「デライトの歩み」という題材があまりに重かったというのもあるが,文章を読む媒体として閲覧性に課題を感じていたことも大きい。写真上信を始めた頃に感じていたことでもあった。せっかく良い写真が撮れたり良い文章が書けたりしても見にくいのではもったいない。
こう思うと,的確過ぎる回り道に自分でも驚く。デライト開発が快調を維持してこれたのは,こういう良い回り道を重ねてきたからだと改めて実感する。見えている出口に向かって,時間があるだけいくらでも改善出来る柔品は珍しい。大抵は技術的負債に潰されてしまう。良い回り道が出来ないからだ。
回り道をする以前の当努に戻るまでそれを忘れていたから余計驚く。特に第四次宣伝攻勢以後,軍隊の行進のようにひたすら前進を意識してきたため,振り返る余裕がなかった。
デライトの進歩は冷静に見ると驚異的に速い。ここ2ヶ月だけでも見違えるほど進歩した。ただ,逆茹でガエル状態というか,進歩しているのがデライトの日常になっているせいで,たまに振り返ってみないとその速さが分からなくなる。振り返りの重要性を再認識したので,また旬毎に振り返りの時間を持つことにした。
まず,前後景一覧と輪郭ページで共有時のタイトルが変わる問題を修正。これは共有ボタンというより後縁の問題だった。各サービス毎の最適化は課題として残るが大きな問題はないだろう。
気になっていた問題として微妙な表示の遅さがあった。使えないことはないが,多用していると若干もたつきを感じる。
表示させてから読み込みしているので仕方ないが,上手く誤魔化す方法はないかと考えていた。最近思い付いた「10秒待ってから裏で読み込む」というのを試してみたが,何かと小細工も必要で中途半端だったので止めた。そこまでやるなら自作ボタンにするべきだろう。
自作ボタンにしないなら現状が最適解であることが確認出来ただけで良しとする。
昨日,脳爆発気味だったせいか,少しぼーっとしてしまった。それなりに収穫も大きかったので仕方ない。
ここ一週間ほど,また少し心境の変化を感じている。やはり「デライトの歩み」のせいだろう。あの文章を書きながら,これまでの達成の重みをより強く感じるようになった。それは良いが,これからの達成もより重く感じるようになった。
サービス経営の観点から言えば,デライトの問題はいま,用者数が伸びないことだけに絞られている。それ以外は限りなく理想に近い状態にある。つい先日まで,この問題は新生デライトの完成が解決するだろうとほぼ確信していた。つまり,新生デライトの完成がデライトの完全な成功そのものだと思っていた。そしてそれは,希哲館事業が未曾有の成功を収めることを意味している。
ただ,これまでの歩みを振り返っているうちに,少し不安になってきた。わずか15年の事業で,そんな成功がありうるのだろうか。事の大きさを考えると非現実的な早さだ。成功の大きさに苦労が見合っている気も全くしない。作り話のようなとんとん拍子だ。
書きかけではあるが,あの文章で書いたことが,思いがけず自分を動揺させている。
理論や技術として完成させられるかどうかは時間の問題だと考えていた。本当の問題はその先にあった。地動説にせよ進化論にせよ,世界の見方を大きく変える考えには無理解や反発が付き物だ。常識を越えた考えであればあるほど,その壁は大きくなる。(後略)
確かに,最初の葛藤に陥いった原因は,輪郭法を理論や技術として完成させることの難しさではなかった。常識を変えることの難しさだ。これを現状に当てはめれば,新生デライトの完成を過信してはいけない,ということになる。
だからといって,やることが大きく変わるわけではない。一日一文に想定以上の時間を割いたのも,この理屈でいえば正しかったことになる。ただ,心構えは少し変える必要があるのかもしれない。
人工知能,仮想通貨・暗号通貨,仮想現実・仮想世界……等々,様々な分野が世界的な注目を集める中,これらを凌ぐ潜在力があるにもかかわらず,まともに語っているのは私だけなのではないか,と思えてしまう分野がある。それが「知能増幅」(IA: intelligence amplification)だ。
知能増幅というのは,文字通り,工学的に人間の知能を増幅させることを指す。古くからある研究分野だが,人工知能などに比べてその話題性は著しく乏しい(参考)。この言葉に「人体改造」に近い響きを感じる人は多いだろう。実際,脳にチップを埋め込む,遺伝子を書き換えるといった人体改造的な研究がこれまでの主流で,まず倫理的課題が大きかった。倫理的課題が大きければ技術的課題を解消するための実験などもしにくく,実用段階にある技術が存在しなかった。デライトが登場するまでは,古典的な SF の域を出ず,語れることも大して無かったわけだ。
先日の「デライトの使い方の考え方」で少し触れたように,デライトは,その知能増幅を誰でも簡単に触れるメモサービスとして実現した「知能増幅メモサービス」であり,「世界初の実用的な知能増幅技術」だ。どのように実現しているかはあの文章でざっと書いたので,今回は,この知能増幅メモサービスの意義について書いてみようと思う。
私は,ビッグ・テックや GAFAM などと呼ばれる世界最大の企業群(Google, Apple, Facebook, Amazon, Microsoft)が合併して「Microappglezonbook」となり,自分がその経営を思うままに出来たらどうするか,という思考実験をすることがある。答えはいつも変わらない。iPhone も Google 検索も Windows も,世界最大の SNS も世界最大の通販サイトも,何もかも売り払って,知能増幅メモサービスの開発に全てをかける。
最近何かと話題のイーロン・マスク氏と入れ替わったとしても,やることは同じだ。テスラも SpaceX も Twitter も,何もかも売り払って知能増幅メモサービスの開発に全てをかける。ちなみに,氏の事業の一つには,まさに脳にチップを埋め込む系の知能増幅技術を扱う「ニューラリンク」があるものの,やはり,他の事業ほど目立った成果もなく,あまり知られていない。
つまるところ,あらゆる分野の中で,「知能増幅」が群を抜いて大きな可能性を持っていると私は考えている。これを多くの人が理解すれば,21世紀は間違いなく「知能増幅の世紀」になるだろう。世界初の実用的な知能増幅技術であるデライトは,その嚆矢だ。
長い前置きに似合わず,知能増幅メモサービスがなぜいま最も重要なのかという本題は,拍子抜けするほど単純明快な話だ。知識が最も価値を持つ時代において,最も価値のある知識は「知識を生み出す知識」であり,最も価値のある技術は「知識を生み出す技術」だからだ。まさにそれを研究開発するのが知能増幅という分野だ。そして,知能増幅メモサービスは,最も実現性の高い,実際にデライトが実現している知能増幅技術なのだ。
例えば,人工知能がいかに発達しようと,それを開発し管理し利用していくのはあくまでも人間だ。人間が愚かなまま機械だけが賢くなっても,人間社会にとってのボトルネックは必ず人間の愚かさになる。知能増幅技術は,人間のあらゆる知的活動を最も根源的な部分から持ち上げる技術であると言える。
……と,この単純明快な話を私がしたのは,昨日今日でもなければ一度や二度でもない。昔から,何度端的に語っても,意図するところが伝わった試しがない。どうもピンと来ていないというのか,大体の反応が「なるほど,で?」という感じだ。理屈はなんとなく理解出来ても,それが意味することの大きさを想像出来ていないのだ。その大きさを先に書いた理由だ。
思えば,この“ピンと来ていない感じ”というのは,「個人知識管理」(PKM: personal knowledge management)として認知されつつある分野に感じるものと似たところがある。その名の通り,個人が自らの知識を効果的に管理することに関してはすでに色々な方法論や技術が集められている。その代表的な手段として「メモ」があり,メモアプリやメモサービスなどと呼ばれるものも盛んに研究・開発されている。
このメモサービスを知能増幅に結び付けたのが「知能増幅メモサービス」というデライトの位置付けだが,これが,私が思っていたより変わった発想だったらしい,とデライトの宣伝を始めてから気付いた。個人知識管理の技術を発展させていけば,それは当然知能増幅に繋がる。この単純な発想が,意外にも共有しにくい。「デライトではこんな新しいことが出来る」と言っても,「なるほど,でも○○で間に合ってるから」という反応を受けることが多かった。そこには,想像していたよりずっと大きな温度差があった。
このあたりの分野をよくよく観察してみると,開発者にせよ愛好家にせよ,そこまで大きなビジョンを持っている人はほとんどいないことが分かる。要は,「生活術」とか「仕事術」とか「ライフハック」の範疇でしかとらえていない。個人知識管理が知能増幅に繋がり,それが世界を変える,なんて大それたことを考えている人間は,全くいないわけではないだろうが異端者だ。
私の立場からは「節穴同然の眼力」としか言えない分野の体たらくだ。「趣味の問題」で済む話でもない。そう思ったとしたら,ここまでの話が理解出来ていないか,想像力があまりにも足りない。ただただ,一人でも多くの人がこの分野の本当の可能性に気付いてくれることを願って,私は叫び続けている。
輪郭選り手抜控機能整備中,思いがけず事象処理整理が捗り始めた。
Aejs の事象委譲機構を整備した頃から @DG.bld.
に事象処理が集中するようになり,最初は全体像が把握しやすいという利点もあったものの,聴取子が増えるにつれ見通しが悪くなり,最近は問題に感じることが多くなっていた。
流石にそろそろ限界だろうと分散させ始めたところ,思いのほか上手く整理出来そうな感触を得た。
事象委譲を多用し過ぎると,客体指向的な整理が難しくなり,閉包子を利用した参照の簡略化も十分に出来なくなる。記述の複雑化もさることながら,思っていたより無駄な探索処理が増えていたことに気付いた。このあたりの理解不足による,効率性が落ちるのではないかという懸念が無くなったのが大きい。
多少目先の時間はかかるが,新生デライトの完成までを考えると間違いなく近道になる。急がば回れで事象処理整理も同時に進めていくことにした。
11時頃から葛西臨海公園,若洲海浜公園,夢の島公園,辰巳の森海浜公園などを巡って17時過ぎ帰った。道に迷うことが多かったせいもあり,昨日の最長記録を大幅に更新し,約48.1km走った。
休日なので少し遠い辰巳の森海浜公園を目指して出発したが,葛西臨海公園を通り,荒川河口橋を越えたあたりで勘違いして左に曲がってしまい,若洲海浜公園に着いた。ここはここで海が綺麗に見える良い公園だった。植物を見るなら葛西臨海公園で十分だったので結果的には良かった。
海を見ながら戻り,15時頃,少し懐かしい辰巳の森海浜公園で休憩した。デライト正式離立前に何度か訪れ計画を練った思い出があり(希哲13年10月7日の散歩記録),なんだか感慨深かった。近便で適当に買ったもので食事を取り再開,葛西臨海公園でぶらぶらしてから帰った。
他の大きな公園を走ってみたことで,葛西臨海公園のサイクリングコースとしての優秀さを再確認した。小さ過ぎず大き過ぎない敷地に見所が凝縮されていて,自転車の移動速度に対する景色の多彩さが絶妙だ。ただ漠然と広いだけの公園で感じる退屈さが無い。希哲荘からの距離も運動には最適で,恐らく最高の場所だろう。徒歩で行くことが多かったので,いままでこの真価に気付かなかった。