{一日一文}{希哲15年6月の一日一文}{高度非言語思考}{真似する}{追い込まれた}{至難の業}{普通に生きる}{精神的混迷}{危険な行為}{思考の自由}...=}(41)

{高度非言語思考の落とし穴 K#F85E/A-E74C-E202}

昨日,高度非言語思考について書いたが,これには落とし穴がある。

言語を伴う思考というのは,いわば他人との“キャッチボール”だ。意思疎通出来る範囲内で,他人に伝わるように考えを組み立てていく。それは制約でもあるし,社会生活をしていく上で必要なことでもある。

高度非言語思考は,そういった社会性放棄して思考の自由手に入れる手段だ。出家するならまだしも,普通に社会生活を送ろうとする者にとっては危険な行為でもある。

私はそれによって輪郭法を手に入れているが,それからしばらく精神的混迷に陥った。世間の人とは全く違う精神を持ってしまうと,まず「普通に生きる」ということが不可能に近くなる。かといって,これを活かして生きるというのも至難の業だ。その狭間んだ挙句,自殺寸前まで追い込まれた

もっとも,こうして語る人間がいてそれを真似するのと,何の手掛かりもなく一人で抱えてしまうのとでは危険性も大分違うだろう。希哲館灯台のようなものだ。

一応,経験者として,安易に真似することはおすすめしない。

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{一日一文}{理解され難い}{無理解者}{薄っぺらい}{誤解者}{毒される}{あしらい方}{振り回される}{思い込みの激しい人}{大切な人}...=}(62)

{理解者より大切な人 K#F85E/A-E74C-07E9}

経験上突然過剰なほど好意を示してくる人は,あるとき突然離れていく。要するに,思い込みの激しい人だ。こういう人が世の中には一定数いる,ということをり,あしらい方を身につけるには時間が要る。特に若い頃振り回されたりする。

希哲館事業は今や世界で最も風変わり事業と言っても過言ではない。こんなことをやって生きていると,人間の誤解について色々と学ぶことがある。


かくいう私も,もっと若い頃は「理解者」を求めていたように思う。自分のことを理解してくれる誰かがいる,という幻想は,よくもこれだけ社会共有されるようになったものだ。それに毒されていたのだろう。

ただ,ある時ふと気付いた。そもそも,希哲館事業なんて思い付いた自分自身ですら理解しているとは言えないものだ。言語にならない閃きがあって,それをどう表現したらいいのか模索し続け,デルンのような「知能増幅技術」を作り,ようやく頭の中が整理出来るようになってきた。そんなものを理解出来る他人がいるはずもない。

理解者なんじゃないかと思っていた人が,たまたま都合が良かっただけの「誤解者」に過ぎなかった,ということにも気付いた。彼らとの関係は,「理解した気になっている」間だけの条件付きの関係に過ぎなかった。


そして最も重要気付きは,理解者なんて薄っぺらいものよりも,尊い無理解者」に自分が助けられてきたということだった。これまで自分を理解してくれないと思っていた人達が,実は,理解出来なくても無条件愛情を注いでくれる人であり,温かく迎えてくれる人であり,助けてくれる人だった。自分は随分そういう人達に恵まれてきたと思う。だからこんな理解され難いことを延々と自由にやってこれた。「青い鳥」とはこういうことなのだろう。

実際の所,私の周辺に私の理解者なんて人間はいない。家族親戚友人……みんな無理解者だ。いつも私のやることには首をかしげている。首をかしげながら,仕方ないと言って,様々な形で助けてくれる人達だった。だから孤独というわけでもなく,生活に困るでもなかった。

これはデライト用者ユーザーもそうかもしれない。デライトを理解出来た上で使い始めた人はいないだろう。理解したつもりになった人はいつの間にか去っている。よく分からなくても,何かを感じるから使い続けてくれる人達が少数ながらいる。そういう意味では,彼らも私にとって「理解者より大切な人」だ。

デライトの成功に向けた挑戦佳境に入る中,そんな無理解者達の大恩報いたい,という思いを新たにしている。

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{割り切れる}{目の上のたんこぶ}{仮想空間}{数百億円}{地下施設}{木立}{日本建築}{建築構想}{鎌倉の物件探し}{希哲館仮本館}...=}(73)

{希哲15年3月27日の日記 K#F85E/A-E74C-BF38}

数日前から何となく鎌倉の物件探し再開したところ,そのまま希哲館「仮本館」に使えそうな貸家を見つけた。これをきっかけに,希哲館事業構想について色々なことを考え込んでしまった。

希哲館は本来,建築構想でもある。あらゆるものが仮想化されつつある世界にあって,最も強い現実として事業理想具現化したいという思いが「希哲館」という命名には込められていた。

希哲館事業発足から間もなく鎌倉本拠地にすることを決め,鎌倉文学館モン・サン=ミシェル等を模体に,日本建築ギリシャ建築融合した独自の建築様式構想していた。木立に囲まれたの上に大きな庭園と小さな屋敷があり,その下には巨大地下施設が広がっている……それが希哲館本館希哲社本社理想像だ。それは一つの建築から都市になり国家になり,やがて世界になるはずだった。

しかし,そんな理想現実のものとするには少なくとも数百億円資金が要る。実現見通しも無く,「希哲館」は常に仮想空間だった。その仮想の仮想のがつまり「月庭」だ。

例の物件は,長年思い描いていた希哲館本館執務長公邸中間に近い規模雰囲気想像通りという感じで,少し運命的なものを感じた。この物件が実際に使えるかどうかはともかく,理想にこだわらなければ「希哲館仮本館」が出来るのは意外とすぐかもしれない,と思えた。

そう思ってみると,デライト背景でもある「希哲館」という概念は今のところ他人には雑音でしかない,ということが目の上のたんこぶのように気になってくる。私の頭の中にだけある理想像としての希哲館は,ほとんど誰にも伝わっていないだろう。仮にでも現実の形にすれば,この状況は大きく変わりそうだ。

そしてもう一つ,持ち辺に新たな燃料が注ぎ込まれたようにも感じた。完璧主義理想主義にとらわれて手をのばす気すら失せていたことが,何かのきっかけ割り切れるようになり,結果的には満足出来た,ということが最近よくあるDex好例だが,これもその一つになるかもしれない。そう思えば頑張って手をのばしてみるしかない。

28日振り返り日記

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{黄金状態}{閃き}{希哲14年12月の月記}{最高の舞台}{活動統一}{自己解放}{羨ましい}{希哲14年12月27日}{知能増幅解放}{月庭・デライト転送}...=}(38)

{希哲14年12月27日の日記 K#F85E/A-E74C-61EA}

夕方頃,大きな心境の変化体験した。黄金状態が戻ってきたような感覚だったが,これによって黄金状態を失っていたことに気付いた。恐らく,余裕が無くなっていった10月の終わり頃からだろう。

この出来事があるまで訳もなく妙に苛立ちを覚える日で,数日前まで体中の痒みでなかなか寝付けない日が何度かあった。このあたりは7月4日の日記に書いた体験によく似ている。

ここ最近,毎日少しずつ頭の中の整理が進み,もやもやしたものが晴れてきていたこともあっただろうが,直接のきっかけは,何気なく書こうとした「羨ましい」という言葉デライト上に見つからないことだった。大抵の日本語は描いてきたつもりだったので,少し不思議な感じがした。

振り返れば,閃きから自分の理想だけを追ってきた人生で,他人人生羨むようなことが無かった。それを許してくれる環境にも恵まれ,望んだものは大方手に入れ……そんなことを考え出したら,微かにでも不満を持っている自分が可笑しく思えてきてしまった。

それと同時に,知能増幅解放は私にとって「自己解放」でもあるのだと気付いた。

最後の壁に穴は開いたが,通り抜けてきた人の大半はすぐに引き返してしまう。これからの課題は壁の先の世界を見せることだ。月庭・デライト転送デライト集約完成したと思っていたが,まだ使える人間が一人遊んでいることにも気付いた。今やデライトはこれ以上ない最高の舞台だろう。

ここで人格統一を越えた活動統一を決めた。

31日振り返り

{羨ましい}{希哲14年12月27日のツイスト}{希哲14年12月27日}{ツイスト}{他人}{境地}{理想}{感情}{病気}=}(9)
{発売延期}{希哲14年8月10日のツイスト}{希哲14年8月10日}{苦労}{ツイスト}{品質向上}{半年}{他人}{開発者}{長い}=}(10)
{第三次黄金状態}{第二次黄金状態}{閃き}{希哲14年12月27日の日記}{希哲14年7月の月記}{新黄金状態}{希哲14年7月6日の日記}{柔らかさ}{躁状態}{叶った}...=}(127)

{希哲14年7月4日の日記 K#F85E/A-5B28-D4A7}

整理が付かないうちに夜遅くなってしまったため,この日考えていたことを翌日翌々日に整理して書いている。

頃,何気ないことから鎌倉入り目標を思い出し,持ち辺がまた一段と高まった。鎌倉入りに関しては5月26日の日記でも触れているが,この頃はまだ新黄金状態どころか今後の見通しすら立っていなかったので,全く違う新鮮感覚だった。

夕方頃になり,極めて興味深い心境の変化体験した。新黄金状態になってから失っている気がしていた人間らしい感情が戻ってきたのだ。

実は,新黄金状態になってからというもの,感情冷たく硬く乾いたような,無機質な感じになっていることには薄々気付いていた。この前日の日記にも,非常に苛立ちやすくなっていることを記しているが,感情が不快かに単純化されているような気がしていた。

新黄金状態,もとい第二次黄金状態というのは,規則正しい生活健康の上に頭脳活性化,高い身体感度高揚感多幸感などが持続するという状態であり,それは偽りではなかった。確かに,毎日が自然に笑い出したり踊り出したりするほど楽しく,活力に溢れ,仕事捗る。一見,理想的状態だ。

それだけ素晴しい状態であれば,のように穏やかに,寛容に,慈悲深くなりそうなものだが,不思議と些細なことで苛立つようになり,他人には厳しく冷たくなっていた。まるでサイボーグにでもなったかのように,他者への共感思いやり急速に失っていた。

思えば,この新黄金状態における「楽しさ」も,どこか情緒に欠けていた。ただ身体物理的理想状態にあるだけで,それを維持するために違和感不快感反射的排除しようとしていたのが例の「苛立ち」だったのかもしれない。最近,痒みが気になることが多く,肌の乾燥注意していたが,にも似たような問題があるのではないかという気がした。躁状態に似た傾向があることにも気付いていた。

この心境変調が見られたのは,この日の夕方頃だった。午後になって熊本豪雨による被害報道されだしていた。この時私は,凶事があるたびに憂鬱気分になっていた過去の経験から,少し災害関連の情報から距離を取ろうとしていた。なにせ,ついこのあいだ金魚が死んで落ち込んだくらいなので,とにかく折角の好調が崩れることを恐れた。ところが,不意に,老人ホーム14人心肺停止という情報が目に入ってしまった時,少し気分重石が乗ったような感覚があった。

この少し前,私は動画を送っていた。が見せていなければ,父が動くを見るのは初めてだろう。朝方,飼い犬のがひどく出血して心配になることもあった。父も花も老人老犬なので,この時は何かと感傷的になっていたのだと思う。

このあたりから,人間らしい潤い柔らかさ温かさが戻ってきたように感じた。気持ち穏やかになり,これまでとは違う,慈愛熱情が溢れるような快感で満たされるようになった。これまで「新黄金状態」と呼んでいた時の精神状態とは明らかに様子が違い,「第三次黄金状態」という言葉すら脳裏をよぎった。

第二次黄金状態を「真黄金状態」ではなく「新黄金状態」という表現に留めたのは,これで究極なのか,まだ確信が持てなかったからだ。とにかく状態を安定させるために抑制必要であり,それが人間らしさ排除に繋がっていたのかもしれない。そういう意味では,この変調した状態が第三次黄金状態と呼べるほど安定するかも分からない。

しかし,第二次黄金状態が人間らしさを失うものであれば,私が希哲館事業で目指すことが実現出来ないことも確かだった。超人的な「鉄の心臓」でどれだけ強力事業を推し進めても,最後に凡人になれなければ私にとっては無意味だ。

第二次黄金状態を得てから,私はこれが,あの閃きの残光であるように何となく感じていたが,この日,確信に変わった。

17歳での閃きから間もなく,私はこの日のこれまでのように世界から遠退いていった。それから長い葛藤期を経て人間らしさを取り戻し,希哲館事業を始める。ちょうどさっき鎌倉入りについて考えたばかりだったこともあり,駆け出しの頃の自分を再体験しているようだった。

とにかく,この体験を可能な限り克明記録しておきたかったため,この日記例外的翌々日までじっくり時間をかけて書いた。前日の日記に書いた「もっと穏やかに過ごせるようにしたい」という望みが次の日には叶ったのだから,それだけの価値はあるだろう。

{希哲14年6月30日}{希哲14年6月30日のツイスト}{ツイスト}{違う}{同じ}{個性}{他人}=}(7)
{他人}
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