譜類添付機能実装に熱中し,ついに最初の出振るいに漕ぎ着けた。
譜類上信自体は知機駒手などで実現していたが,スマートフォンから使えるのは新鮮だ。
折り畳み記法と渡括記法を融合させるというのは新鮮な発想で,良い刺激になりました。
ただ,折り畳みは一般にソース上にあっても構わないが表示上は折り畳んでおきたい,という程度の要求で使われるものでもあるので,本質的に共通部分はあってもどちらかがどちらかに包摂されるものではないと考えています。それを融合するということは,応用範囲を狭めることになります。従って,互いに独立した記法として上手く組み合わせられるようにする方向で実装する方針です。
現時点では,^
をブロックの開始行末に加えるという記法を考えています。例えば,以下のように渡括記法と組み合わせられるようにする予定です。
+{知名がラベルとなり内容は折り畳まれる K#XXXX/XXXX}^
これは他の様々なデラング記法にも応用が効くので,例えばネタバレ注意や NSFW 的にも使えそうだと思っています。
この日から,希哲荘の元の寝室が空き,また戻れることになった。一昨年9月,姉の出産に備えて空けたのだった。
夕方頃から,なんとなく,久しぶりに葛西臨海公園まで歩いた。スマホに写真が残っていたことで,あの辺りをよく歩いていたのが丁度一昨年の今頃だったことを思い出した。合わせたわけでもないのに,不思議な気分だった。緊張感のある散歩だった当時とは反対に,晴れやかな気持ちで歩けた。
デライト開発に入ってから失っていたものも少しずつ取り戻しつつある。
「希哲荘」と名付けてみると,実家も新鮮に見えてくる。いつぶりか,散歩に出る時になんとなく写真を撮ってしまった。
結局,蛎殻町を除けば出るに出られなかった。鎌倉に限らず,こんな環境の良い実家より希哲館事業に好都合な場所など無かった。
デライトがここまでになり,黄金生活まで手に入れた。もう認めてやるしかない。
まだ迷いのあった『希希遊記』の編集方針についても,ある程度考えがまとまってきた。
最初は,希行記として意識的に書いていくつもりだったが,形式張ると始まらない上にまず続かないし,デライトの利点を活かせない。構想初期と比べて,今は『希哲日記』を中心とした描出習慣が確立している。
これらを踏まえると,希行に関する描出はあまり気張らず自由に行い,後日まとめて振り返りする,というのが現実的だろう。
明日の家族の集まりは体調不良者が出たことにより中止となったため,寝室の整理でもすることにした。
昨日の激務とデライト小理腑を終えた安心からか疲労感がどっと押し寄せてきた。日中はなかなか頭も手も動かず,調子が戻ってきた夜に小理腑や今後の方針についてまとめることで精一杯だった。
3日目にして一日一文も休みだが,楽しもうと決めたばかりなので無理はしないでおくことにした。
小理腑後に残った時間では上旬中に出来ることも高が知れているため,今日で短期集中生活を終えようかと思ったが,振り返ってみると,短期集中生活に入った28日の開発で待っ読ボタン実装と理腑に時間を充てることを決めていた。前後しただけで方向としては計画通りに進んでいるので,もう一日頑張り,待っ読ボタン実装までは上旬中に終わらせることにした。
中旬は,小理腑で得たものを最大限に活かし,新生デライトをこれまでの想定以上の水準で仕上げることを目指す。
小理腑に時間をかけたことで第三次宣伝攻勢開始が遅れる可能性もあるが,『道草録』が多少は補完してくれるだろうし,調整はどうとでも出来る。
完成度で勝負しようということ以外,まだ全体像が明確ではなかった第三次デライト市場戦略についても,概ね考えがまとまった。
いわば「希哲館事業の広告塔」という本来の位置付けに立ち返り,ありのままの希哲館事業の全てを自然に活かしていくことにした。新生デライトへの信頼感が高まるにつれ希哲館累新の動きも加速しているので,これも自然の流れだろう。
第二次市場戦略では宣伝上の鍵にしようと思っていた「知能増幅」についても,隠さないまでも,必要以上に前面に出さないことを方針として決めた。先月からのデライト開発の快調で,知能増幅の力はデライトの姿で示せばいい,と思えるようになっていた。
小理腑でデライト高速化に新鮮な手応えを得て,調安が妙に楽しくなってきた。
当初,デライト高速化の目標は全ページ1秒以内表示などとしていたが,これでは遅さが気にならないだけで速さを感じるには中途半端だ。目標は高く,全ページ0.3秒以内表示を目指すことにした。いっそのこと,速さで有名になるくらいにしたい。
小理腑を通じて,自分が思っていた以上にデライトが複雑化していることに気付かされる。単純性を保ってきたつもりではあったし,実際単純なようにも見えるが,この保守性を保っていることがいかに価値あることか実感出来る。
その複雑さの分だけ,小理腑によってデライト開発が大きく加速するという確信も出来,ますますデライトが貴重なものに見えてきた。
『道草録』として一日一文の再開も出来た(「一日一文『道草録』再開とデライト近状」)。『道草録』と一日一文の関係をどうするか少し迷ったが,とりあえずは,『道草録』への採録を前提に一日一文を書き,一定水準に満たないものは不採録とすることにした。
ちょうど2歩分で,非常に楽しく書くことが出来た。この楽しさが新鮮な感覚だったことに,自分で少し驚いた。
振り返ってみると,過去の一日一文(一日一章)は,あくまでも執務としての義務感の方が大きかった。一日八章なんて言っていた頃は,ほとんど「試練」として捉えていた。書き上げた時の達成感の大きさはよく覚えているが,それは書く苦労と引き換えだった。それは続かないわけだ。
今回も,デライトのため,希哲館事業のため,という理屈が無くはなかったが,どちらかというと後付けだった。むしろ,月内にデライト収益目標達成だと言っているのに,そんなことしている場合か,という思いもあった。第三次宣伝攻勢に寄与するかもしれないが,単なる負担になるだけかもしれない。そんな懸念を書きたい気持ちが振り切った。
環境の変化も大きいだろう。今のデライトは,過去のどの時期のデルン実装よりも洗練されている。数年前までの希哲館事業や第一次市場戦略までのデライトには伏せたいことが多く,文章を書くにもいちいち神経を使っていた。全て開けっ広げに書けるようになったのはつい最近のことだ。ずいぶん開放的で,書きやすい環境になったものだ。
半信半疑でいざ書いてみると,一気に持ち辺が高まり,間違いなくデライト開発に寄与するという確信に変わった。結局,継続の近道は楽しむことだ。もっと書くことを楽しめるようなデライトにしたい,という意欲も湧いてくる。これは嬉しい発見でもあり,重要な発見にもなりそうだ。
『道草録』も希求主義文学の実践にしようと少し気負っていたが,もっと気楽に,「心の散歩」みたいなものだと思うことにした。これを一つの趣味にしていきたい。