いよいよ脳爆発も本格化したようで,四方八方に拡がる思考の整理に時間がかかっている。収穫は多いが,脳疲労感が隠せなくなってきた。
当努整理も組計整理も大きく進んだが,デライト市場戦略についての頭の整理が進んだのが特に大きかった。
昨日の日記を書きつつ,「デライトに熱中しながら周囲とデライトを共有しようとしない人」の最たる例としての自分自身について考えていた。公開しているのだから見られて困ることは書いていないが,それと積極的に見せたいかどうかは別問題だ。重用者であればあるほど,デライトで扱っている情報は,現実の人間関係にとって深過ぎるし重過ぎる。
ここで,イノベーター理論に対して抱いていた疑問が氷解し始めた。
最近,「デライトのキャズム」という表現を使っていたのは,イノベーター理論でいう「キャズム」とは違う溝がデライトにはあるのではないか,と感じていたからだ。これは恐らく正しかった。デライトのキャズムは,アーリーアダプターとアーリーマジョリティの間ではなく,イノベーターとアーリーアダプターの間にある。典型的なイノベーションの枠を大きく越えているデライトの独自性が,キャズムをイノベーター側に引き寄せてしまっている。
物珍しさでデライトを使ってくれる人はイノベーターなのであって,趣味嗜好の特殊性から比較的孤立しており,そもそも潜在用者への影響力を期待出来る層ではない。影響力を持つのはアーリーアダプターであり,デライトがこれから獲得しようとしている層だ。私はここを少し混同していた。そして,アーリーアダプターというのは実利を重視する層だ。
イノベーターをどれだけ喜ばせても,それだけでは横の広がりにはならない。誰よりもデライトに価値を見出している私自身が証明するように,デライトではなおのこと内にこもりやすい。周囲と共有出来ないようなものをいくらネットで宣伝しても,縁遠い誰かがよく分からないものについて語っているとしか思われない。