{『希哲日記』}{dlt.kitetu.com}{希哲15年}{日記}{輪郭整備}{サービス}{デライト}{希哲16年5月14日}{希哲16年5月13日}{心地良い疲労感}(63)

{希哲16年5月14日の日記 K#F85E/E74C-A07D}

{『希哲日記』}{日記}{しっくりきた}{呼んでおく}{仮に}{極めて大きな出来事}{蘇ってくる}{切り崩せた}{書類の山}{手の付けようがなかった}(34)

{希哲15年10月4日の日記 K#F85E/E74C-DE69}

長年手の付けようがなかった書類の山ようやく切り崩せた。これで少しずつ片付けていけそうだ。

音楽聴きながら書類仕分けしていると,やはり色々な思い出蘇ってくるレシート一枚でも,もはや「史料」みたいなものだ。


昨日方針転換も,今後極めて大きな出来事として振り返ることが多くなりそうなので,仮に浦安累新」と呼んでおくことにした。

なんだか自分の中で色々なものが更新されて若返ったような新鮮な気持ちで,「累新」がしっくりきた希哲館累新でもあり自己累新でもあり,もしかしたら鎌倉累新前段階になるのかもしれない。

{『希哲日記』}{方向}{日記}{前後}{一日一文}{デライト}{}{希哲館事業}{新生デライト}{知能増幅}(74)

{希哲15年4月9日の日記 K#F85E/E74C-2520}

昨日の激務デライト小理腑を終えた安心からか疲労感がどっと押し寄せてきた。日中はなかなか頭も手も動かず,調子が戻ってきた夜に小理腑や今後の方針についてまとめることで精一杯だった。

3日目にして一日一文休みだが,楽しもうと決めたばかりなので無理はしないでおくことにした。


小理腑後に残った時間では上旬中に出来ることも高が知れているため,今日で短期集中生活を終えようかと思ったが,振り返ってみると,短期集中生活に入った28日の開発待っ読ボタン実装理腑時間を充てることを決めていた。前後しただけで方向としては計画通りに進んでいるので,もう一日頑張り,待っ読ボタン実装までは上旬中に終わらせることにした。

中旬は,小理腑で得たものを最大限に活かし,新生デライトをこれまでの想定以上水準仕上げることを目指す

小理腑に時間をかけたことで第三次宣伝攻勢開始が遅れる可能性もあるが,『道草録』が多少は補完してくれるだろうし,調整はどうとでも出来る。


完成度勝負しようということ以外,まだ全体像明確ではなかった第三次デライト市場戦略についても,概ね考えがまとまった。

いわば「希哲館事業の広告塔」という本来の位置付け立ち返りありのまま希哲館事業の全てを自然に活かしていくことにした。新生デライトへの信頼感が高まるにつれ希哲館累新の動きも加速しているので,これも自然の流れだろう。

第二次市場戦略では宣伝上のにしようと思っていた「知能増幅」についても,隠さないまでも,必要以上に前面に出さないことを方針として決めた。先月からのデライト開発快調で,知能増幅デライトの姿で示せばいい,と思えるようになっていた。


小理腑でデライト高速化新鮮手応えを得て,調安が妙に楽しくなってきた。

当初,デライト高速化の目標全ページ1秒以内表示などとしていたが,これでは遅さが気にならないだけで速さを感じるには中途半端だ。目標は高く,全ページ0.3秒以内表示を目指すことにした。いっそのこと,速さで有名になるくらいにしたい。

{『希哲日記』}{希哲8年}{日記}{睡眠}{一日一文}{進捗}{記録}{希哲館事業}{希哲15年4月の月記}{涙ぐむ}(68)

{希哲15年4月6日の日記 K#F85E/E74C-8087}

少し気持ち落ち着いてきたため,利楽しながら作業を進めた。それでも程度の進捗ぶりではあった。

短期集中生活とはいえ小休養必要は感じながらも,連日興奮気味でまともに睡眠も取れないということが続いていた。ここで少し呼吸を整えたい。


一日一文準備も進めた。

一日一文の歴史を遡っていて,久しぶりにブログ『道草録』思い出した希哲館事業最初期から WordPress運営していたブログで,ある面でデルン前身と言えなくもない。この「道草」という言葉は,希哲館事業途方もない大きさを前に全てが手探りだった当時心境をよく表している。色々な想い出が蘇えり,少し涙ぐんでしまった。

題名も気に入っていたので,希哲8年頃に私の随筆集として『道草録』再始動させようと考えたこともあったが,何となく立ち消えになっていた。一日一章を始めて間もない頃だったので,いずれ関連させようとは思っていたのだろう。

ここで,一日一文『道草録』素材にすることを思い付いた。これも一つの希哲館累新だ。

考えてみれば,月庭・デライト転送の開始以後,kitetu.com から窓口になるような献典が無くなっていた。ほぼ毎日書いている文章といえば『希哲日記』だが,これは当時の心境事実記録することに主眼を置いたもので,人に読ませることを意識したものではない。『希哲日記』に書き切れないことを書いておく所としても『道草録』という題名好ましい

読み手意識した文章として,メリハリを付けるためにも一日一文には敬体を使おうかと思ったが,気を使い過ぎて書きにくくなってしまう恐れがある。多少ぶっきら棒なくらいが良さそうなので,まずは常体で書き始めることにした。

続けるのが難しかった最大の理由は,書き始めるとついつい凝り過ぎてしまうということにあった。1時間以内で書こうと思っていても,結局数時間かけてしまうことが多かった。それが普通になると書き始めるのにも気力が必要になってしまう。

{『希哲日記』}{希哲館累新期}{日記}{}{寝不足}{初期}{一日一文}{デライト}{振り返り日記}{希哲館事業}(65)

{希哲15年4月1日の日記 K#F85E/E74C-646E}

寝不足も続き,いつ疲労感に襲われてもおかしくない状況だが,絶好調だった。

先月20日頃まで,この日にはデライト収益目標を達成し,デライトの春希哲館の春にしたいなどと思っていた。収益目標未達だったが,ここ一週間,美しい桜並木を見ながら,思い描いた通りのの訪れを感じていた。代わりに得たものがそれだけ大きかったということだろう。

今を仮に「希哲館累新期」と呼び始めた1月にそれほどの確信は無かったが,希哲館本館構想具体化を経て,今まさに「希哲館累新」が起きていることを確信した。竜力竜虎計画など初期の構想についても久しぶりに思い出していた。

希哲館事業構想は,輪郭法閃きから生まれたものだ。その輪郭法をに変えるデライトによって希哲館事業可能性が広がるのは必然なのだろう。

10日までに新生デライトをある程度の形にし,20日までに諸調整仕上げを終え,年度始めから黄金週間に向けて世間が少し落ち着く下旬第三次宣伝攻勢を仕掛けたい。

第三次宣伝攻勢も,先月デライト開発快調を受けて変容した。短期間集中して,印迫最大化することを考えるようになっている。これは一夜革命そのものだ。「デライト一夜革命」を第三次宣伝攻勢の定問とすることにした。一夜城たるデライトの品質自信が持てなければ考えられないことだった。


デライト一日一文」として一日一文の再開も考え始めた。

一日一文デライト正式離立から間もなく完全に途絶えていた。単純に忙しかったということもあるが,発信媒体としてのデライトがあらゆる意味で不安定貧弱だったということも大きい。今のデライトなら効果的発信出来るだろう。

短期集中生活中に無理をしてやることでもないので,余裕の出来た時期に始めたい。

2日振り返り日記

{希哲館累新}

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