黎明期からデライト開発に専念していたことで等閑になっていた希哲館事業の全体像が,デライトを中心に再構築(デライト累新)された時期。希哲15年〜18年。
「累新」は宇田川によるルネサンスの訳語。デライト累新は新露出戦略への転換によって完成され,煌きにつながる。
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}{希哲15年}{日記}{輪郭整備}{サービス}{デライト}{希哲16年5月14日}{希哲16年5月13日}{心地良い疲労感}(63)昨日何気なく「デライトの歩み」と題して閃きからの歩みを振り返る文章を書き始めてしまい,希哲館事業に関する輪郭整備も進んでいる。希哲館事業に関する輪郭は古いものほど雑に放置している現状があったが,「輪郭整備兼一日一文」が推進力になりつつある。
デライトから見た希哲館事業は,サービスの大きな展望を表現する手段でもあると考えあえて強調することがある。ドメイン名 dlt.kitetu.com
はその好例だ。その割に,利用者が希哲館事業について知るための情報は整理されておらず,ただの怪しげな要素になっていた。新生デライトの完成までに,好材料にはならなくとも,せめて悪材料にならない程度には整理しておくべきなのだろう。昨年から意識していた「希哲館累新」の過程とも言える。
今日は家族で出掛ける用事があったのであまり作業は出来なかったが,かなり精神力を使うので脳過熱の抑制には良かった。心身ともに心地良い疲労感があるため早めに寝ることにした。
昨日の激務とデライト小理腑を終えた安心からか疲労感がどっと押し寄せてきた。日中はなかなか頭も手も動かず,調子が戻ってきた夜に小理腑や今後の方針についてまとめることで精一杯だった。
3日目にして一日一文も休みだが,楽しもうと決めたばかりなので無理はしないでおくことにした。
小理腑後に残った時間では上旬中に出来ることも高が知れているため,今日で短期集中生活を終えようかと思ったが,振り返ってみると,短期集中生活に入った28日の開発で待っ読ボタン実装と理腑に時間を充てることを決めていた。前後しただけで方向としては計画通りに進んでいるので,もう一日頑張り,待っ読ボタン実装までは上旬中に終わらせることにした。
中旬は,小理腑で得たものを最大限に活かし,新生デライトをこれまでの想定以上の水準で仕上げることを目指す。
小理腑に時間をかけたことで第三次宣伝攻勢開始が遅れる可能性もあるが,『道草録』が多少は補完してくれるだろうし,調整はどうとでも出来る。
完成度で勝負しようということ以外,まだ全体像が明確ではなかった第三次デライト市場戦略についても,概ね考えがまとまった。
いわば「希哲館事業の広告塔」という本来の位置付けに立ち返り,ありのままの希哲館事業の全てを自然に活かしていくことにした。新生デライトへの信頼感が高まるにつれ希哲館累新の動きも加速しているので,これも自然の流れだろう。
第二次市場戦略では宣伝上の鍵にしようと思っていた「知能増幅」についても,隠さないまでも,必要以上に前面に出さないことを方針として決めた。先月からのデライト開発の快調で,知能増幅の力はデライトの姿で示せばいい,と思えるようになっていた。
小理腑でデライト高速化に新鮮な手応えを得て,調安が妙に楽しくなってきた。
当初,デライト高速化の目標は全ページ1秒以内表示などとしていたが,これでは遅さが気にならないだけで速さを感じるには中途半端だ。目標は高く,全ページ0.3秒以内表示を目指すことにした。いっそのこと,速さで有名になるくらいにしたい。
少し気持ちも落ち着いてきたため,利楽しながら作業を進めた。それでも並程度の進捗ぶりではあった。
短期集中生活とはいえ小休養の必要は感じながらも,連日興奮気味でまともに睡眠も取れないということが続いていた。ここで少し呼吸を整えたい。
一日一文の歴史を遡っていて,久しぶりにブログ『道草録』を思い出した。希哲館事業最初期から WordPress で運営していたブログで,ある面でデルンの前身と言えなくもない。この「道草」という言葉は,希哲館事業の途方もない大きさを前に全てが手探りだった当時の心境をよく表している。色々な想い出が蘇えり,少し涙ぐんでしまった。
題名も気に入っていたので,希哲8年頃に私の随筆集として『道草録』を再始動させようと考えたこともあったが,何となく立ち消えになっていた。一日一章を始めて間もない頃だったので,いずれ関連させようとは思っていたのだろう。
ここで,一日一文を『道草録』の素材にすることを思い付いた。これも一つの希哲館累新だ。
考えてみれば,月庭・デライト転送の開始以後,kitetu.com から窓口になるような献典が無くなっていた。ほぼ毎日書いている文章といえば『希哲日記』だが,これは当時の心境や事実を記録することに主眼を置いたもので,人に読ませることを意識したものではない。『希哲日記』に書き切れないことを書いておく所としても『道草録』という題名は好ましい。
読み手を意識した文章として,メリハリを付けるためにも一日一文には敬体を使おうかと思ったが,気を使い過ぎて書きにくくなってしまう恐れがある。多少ぶっきら棒なくらいが良さそうなので,まずは常体で書き始めることにした。
続けるのが難しかった最大の理由は,書き始めるとついつい凝り過ぎてしまうということにあった。1時間以内で書こうと思っていても,結局数時間かけてしまうことが多かった。それが普通になると書き始めるのにも気力が必要になってしまう。
寝不足も続き,いつ疲労感に襲われてもおかしくない状況だが,絶好調だった。
先月20日頃まで,この日にはデライト収益目標を達成し,デライトの春,希哲館の春にしたいなどと思っていた。収益目標は未達だったが,ここ一週間,美しい桜並木を見ながら,思い描いた通りの春の訪れを感じていた。代わりに得たものがそれだけ大きかったということだろう。
今を仮に「希哲館累新期」と呼び始めた1月にそれほどの確信は無かったが,希哲館本館構想の具体化を経て,今まさに「希哲館累新」が起きていることを確信した。竜力,竜虎計画など初期の構想についても久しぶりに思い出していた。
希哲館事業構想は,輪郭法の閃きから生まれたものだ。その輪郭法を力に変えるデライトによって希哲館事業の可能性が広がるのは必然なのだろう。
10日までに新生デライトをある程度の形にし,20日までに諸調整・仕上げを終え,年度始めから黄金週間に向けて世間が少し落ち着く下旬に第三次宣伝攻勢を仕掛けたい。
第三次宣伝攻勢も,先月のデライト開発の快調を受けて変容した。短期間に集中して,印迫を最大化することを考えるようになっている。これは一夜革命そのものだ。「デライト一夜革命」を第三次宣伝攻勢の定問とすることにした。一夜城たるデライトの品質に自信が持てなければ考えられないことだった。
一日一文はデライト正式離立から間もなく完全に途絶えていた。単純に忙しかったということもあるが,発信媒体としてのデライトがあらゆる意味で不安定で貧弱だったということも大きい。今のデライトなら効果的に発信出来るだろう。
短期集中生活中に無理をしてやることでもないので,余裕の出来た時期に始めたい。