昨日,第零番節の省略のための小手調べ程度の作業をしているうちに,「第零番節の削除」について考えるようになった。
まとめは完了後にするとして,考えは「第零番節の削除」で固まった。
昨日それなりに精神力を使ってしまったので,半休にした。事務的な用事を片付け,組計調整も出来,デライト宣伝でも良い手応えがありと充実していた。
引き続き6月の新生デライト完成を目標とするが,不測の事態も想定し7月まではゆとりを持たせることにした。いずれにせよ,新生デライトの完成が完全なデライトの成功に直結する状況だ。十分な宣伝をしつつ,この期間で確実に新生デライトを完成させられるかどうか。その時間配分に全てがかかっている。
黄金週間の総括は,ちょっとした時間でまとまりそうにないので,いったん断念することにした。そのうち振り返ることもあるだろう。
これまでの献典の課題を解消するような新しい文体が出来たこと,それにより自分の中でデライトの現実感がぐっと増したこと,その背景に希哲館訳語なども含めて希哲館事業構想全体の円熟があること,デライト一夜革命に向けた本格的な「伐木」が始まったのだということ,等々,短い間に色々な思いや気付きがあった。いま文章にするには複雑過ぎる。
初めてこの心境の変化に気付いたのは夢の中だった。あのひどい悪夢は,大惨事が起こる直前まで,最近の変化をこう前向きに考えるようになったという良い夢だった。潜在意識が心境の変化を敏感に捉えていたのだろう。
一日一文の新しい文体は自然にツイストにも影響していたが,今後は一日一文・ツイストの文体を意識的に統一することにした。これまで,いわば「深層の文体」中心でたまに「表層の文体」を使う程度だったが,「中層の文体」が加わり,これからは表層・中層の献典の厚みが増していくだろう。これこそ「伐木」だ。
<dl>
に対応する「語釈記法」(仮称)についての検討で終了。
まずは,AsciiDoc の複数行ラベル記法を取り入れることにした。
以前から B̅ 氏が使っていたことで AsciiDoc 風記法の導入を考えるようになったが,末尾の
::
は名称空間の知符として多用していたため,語句:: 定義
の単一行ラベル記法を導入するとおかしくなる輪郭がいくらかあるという問題があった。
ただ,最近この手の文字列は交度記法の利用で統一すべきという考えでまとまっているため,移行作業の問題はあるものの仕様として導入することに問題はなくなった。そこで,すぐに取り入れても問題なさそうな複数行ラベル記法から取り入れ,どう拡張するかは追い追い考えていくことにした。
記法名は仮に「語釈記法」とした。HTML5 で <dl>
は〈definition list〉から〈description list〉に意味合いが変わっているが,語句に対する説明という大まかな意味には適っている。
AsciiDoc のラベル記法はもっと汎用的に使えるものらしいが,デライトが重視すべき HTML では意味付けも重要なので,とりあえず <dl>
の用途に寄せておく。
他に,Markdown Extra などで採用されている行頭 :
の記法も検討した。記法として悪くはないが,普及状況もいまいちで,優先的に採用するには決め手に欠ける。
定休日なので利楽して過ごした。ここしばらく,休日といっても何かしら作業をせずにいられなかったが,この日は久しぶりにぼーっと出来た。
金風以後,事務的な問題は片付きつつあるが,それよりも,人生設計や人生観の問題にまで波及しているのがなかなか重たい。とにかく色々なことをしみじみと考えてしまう。
特に急浮上していたのが「鎌倉問題」だった。発足から間もなく出来た鎌倉本館構想とともに私と希哲館事業は歩んできた。これを抜本的に見直す必要を感じていた。
2時間ほどぶらぶら散歩をしながら考えた結果,浦安分館を浦安本館に,鎌倉本館を鎌倉分館に,希哲館本館の位置付けを交代させることにした。
希哲館事業にとっては画期的な方針転換だが,意外にもあっさり決断出来た。環境に対する認識の変化,事業の足回りに対する意識の高まり等,この十余年の積み重ねがあったところで,金風が決定打になったのだろう。気付けば,鎌倉にこだわる理由も無くなっていた。最初の開拓者精神を思い出せば尚更だ。
3月頃に鎌倉の物件探しから鎌倉本館構想が再燃したが,これがかえって構想の寿命を縮めた気がする。より現実的に考えるようになったことで,より現実的な問題が浮かび上がってしまった。
浦安を最重要拠点の一つと位置付けている以上は,鎌倉に移っても頻繁な往復をすることになる。いずれにせよ,交通網や経済基盤の観点から浦安の方を軸にせざるをえない。日本橋の経験を踏まえても,鎌倉に限らず,今の環境以上に希哲館事業に適した環境は考えにくい。鎌倉分館や別荘などを通して鎌倉との繋がりは持てるし,名目と実質を一致させただけで,実際に出来ることは大差ないのかもしれない。
早速,久しぶりに思い出した娃天地区構想も含めて,鎌倉本館構想から浦安本館構想への再構成を始めた。
今週に入り,ますます状況は良くなる一方……なはずなのに,妙に気分が晴れなかった理由について考えていた。
やはり,デライトの早期成功,引いては希哲館事業の成功がもはや夢ではない,というのがかえって重いのだろう。希哲館事業は「人類史上最大の事業構想」なのだから,営利事業として成功することなど歴史的偉業であって,そう簡単に行くわけがない……そんな言い訳も開き直りももう出来ない。思えば気楽なものだった。
いまの希哲館事業は,努力次第で十分経営的な軌道に乗る状態だ。それが出来ていないということは努力不足だということだ。最近,デライトの運営状況に対する自分の見方も厳しくなっているし,あれもこれもしなければと気持ちが逸り,それに追い付いていないことに,これまで感じたことのないような焦りや悔しさが込み上げてくる。
希哲館事業が負っている社会的責任のようなこともよく考えるようになった。これまで全くと言っていいほど利益を生み出さなかった事業にこれだけの時間を注ぎ込んでこれた裏には,身内はもちろん,間接的にも社会にかけてきた多大な負担と迷惑がある。その歴史も,元を辿れば,かれこれ四半世紀になる。希哲館事業の成功以外では返せない借りだ。
そんなことを考えていれば,否が応でも気分は重苦しくなるし,無意識のうちにも自分を追い込みがちになる。ここからデライト収益目標達成までが一番苦しい過渡期なのかもしれない。
ただ,過度な緊張感は百害あって一利なしだ。無駄な心理的負担で能率が落ち,判断を誤らせる。ここからは休息もしっかり取り,意識的に心身を利楽させることにした。この状況で適度な緊張感を保つにはそれくらいで丁度良いだろう。睡眠時間も平均的に短くなっていたため,まずは十分な睡眠を取ることから意識していく。
なんにせよ,得体の知れない感情の正体が掴めたことは大きな収穫だった。