最後の旧雑務を片付け,事務的整理を大方終え,ついに長期安定体制の完成と言える段階に達した。
気を引き締め直して挑んだものの,旧雑務は一番楽な部類でちょっと拍子抜けだった。事務的整理なども集約して全て上手く片付いた。
大きな達成感はあったが,暑さに睡眠不足に食欲不振にと悪条件が重なり,一時は久しぶりに顔色が悪かった。しかし,ここまでのことを考えると,よくその程度で済んだ。色々な幸運に救われた。
今月に入ったあたりから,ぼんやり考え事をしてしまう時間が増え,進捗はそこまで悪くないものの,思うように集中力が高まらなかった。上手く言い表せないが,「迫り来る何か」に揺さぶられている感覚がずっとある。
まず考えられる原因は,1月の脳爆発の反動と疲労だ。1月だけで半年分の仕事はしてしまった感がある。その後の雑務が上手く片付いた解放感も手伝って,ちょっと気が抜けてしまったのかもしれない。そういう意味では,必要な休息でもあったのだろう。
もう一つは,新生デライト開発における「マラソン終盤効果」とでもいうべき心理だ。1月の脳爆発以降,予定になかった当努を多数挿入してしまったとはいえ,それを差し引いても新生デライトの完成が遠く感じる。ここ数ヶ月だけでも明らかに多くのことを実現しているのに,もう少しだという意識が高まれば高まるほど残りの当努が重く感じる。
加えて,「デライトの完全な成功」が意味するものの微妙ながら小さくない変化がある。イーロン・マスクによる Twitter 買収以降の SNS 戦国時代で,デライトが一気に大舞台に引っ張り出されてしまった。
ほとんどの競合が「次の SNS」に留まる中,KNS として「SNS の次」のビジョンを明確に提示出来る世界で唯一のサービスがデライトだ。それを世の中に伝えることが出来れば,世界一の大富豪を制し,世界情勢をも左右するネット文化の大革新を果せる。
希哲館事業が長年目指してきたことが,ここ数ヶ月ほどのあいだに急速に,目前に迫ってきている。昨年の日記にも似たようなことを書いているが,その時の「デライトの完全な成功」と「世界史上最大の成功」が定義上の,やや観念的な結び付きだったのに比べて,今のそれはずっと生々しい,世俗的な現実感を伴っている。いまデライトの完全な成功を果すことと,世界中の注目を集めること,莫大な利益を得ることが直結しているからだ。これも当努と同じで,もう少しだと思えば思うほど時間が長く感じる。
この難しい状況で平常心を保つために,とりあえず,目の前の当努と輪郭整備を極力強く意識することにした。考えても疲れるだけのことは考えないようにする。
今年に入ってから,新生デライトの完成への意識が高まったこともあり輪郭整備にほとんど時間を割けなかった。今日は開発作業の合間にちょこちょこ輪郭整備をしてみたが,やはり精神衛生上の効果が大きいと感じた。
CodePen 対応を含むデラング調整(6歩,7歩,8歩),課題だった KaTeX マクロ問題を含む不具合修正(9歩,12歩)。
やはり,知名欄・描写欄にマウスオーバーで捕活するようになったことで描出効率が大きく向上している。元々あった機能ではあるが,第二次用合い改良以後のデライトとの相性が非常に良い。
写し貼り時などの無駄なクリックが大きく減り,一度捕活解除した後に残った選択状態も判別しやすくなった。これは描写欄から引き入れ欄への写し貼りを繰り返す時に重要な点だ。
手元の舞覧(Linux 版 Firefox など)では,捕活が移ると選択状態が残っていても配灯が消える。クリックで捕活すると選択状態自体が消えてしまうので,前回の選択範囲が分からなくなる。その上,見えなくても選択状態は残っているので,新しく選択するつもりで前回の選択範囲の上からドラッグしてしまうと意図しない文字列ドラッグが発生する。マウスオーバーで捕活しなかった時期はこれがなかなかのストレスだった。