描写選り手を開いた時の高さに800pxの上限を加え,描写部の高さが800pxを越える場合に描写選り手先頭までスクロールするようにして終了。出振るい・手定め済み。
既存輪郭の描写選り手は高さを描写部に合わせて開くようになっているが,下限は設定していたものの上限がなく,長過ぎる描写部の場合に無駄に高い描写選り手が開いてしまっていた。描写部の高さと描写選り手の高さに差があり過ぎると見失うことがあるため,上限を越える場合に描写選り手先頭までスクロールするようにした。
ここ数ヶ月感じていたことだが,やはり個人知識管理分野は全体的に若干停滞しているようだ。大きな変化が無い,ということすらもう書き飽きてきて,語るべきことを見失いつつある。コロナや世界経済の局面によるところもあるのかもしれない。
それも踏まえると,長期戦の態勢に切り替えたのは大正解だったように思える。開発時間が多少減った代わりに,デライトの完全な成功に向けた時間制限が無くなり,非常に気楽になった。この一週間ほどは久しぶりの休暇のような感覚だ。希哲社が強みを発揮出来る状況でもある。
開発面ではすでに峠を越え,新生デライトの成立を目前にして,また時間に追われることなくじっくり作業に取り組むことが出来る。状況は変わったが相変わらず展望は明るい。環境に感謝して,粘り強くデライトを磨き上げたい。それがやがて神風になるだろう。
今朝,自分の不注意により赤ん坊を殺しかけてしまう悪夢で目覚めた(睡眠記録)。かなり強烈な夢だったので,一日中,何か考えざるをえなかった。しいて教訓を見出すとすれば,状況をよく見て,大事なものを見失うな,ということか。
物質的にも人間的にも恵まれた環境も,希哲館事業とこのデライトの恵まれた状況も,やっていることのとんでもなさを考えれば,全て奇跡中の奇跡だ。本物の赤ん坊はもちろん,デライトも大きな可能性を秘めた赤ん坊みたいなものだろう。焦らず弛まず,粘り強く,大事に守り育てていかなくてはならない。
体験してはいけないことを夢の中で体験して自分を見つめ直すことが出来たのだから,幸運だったのかもしれない。
ここで少し最近の状況を考えると,「平常心で行く」と考えていた割に,黄金週間前半は力み過ぎた。そのおかげで書けなかった一日一文が書けたりもしたが,なまじ勢いのある文章が書けてしまったことで気持ちが前のめりになっていた。この間に得たものを余裕に換え,そろそろ平常心を取り戻したい。
黄金週間はあくまでも世間が年度始めの慌しさから落ち着く節目として重要なのであって,特にデライト宣伝に適した期間というわけではない。無理に詰め込む必要はない。昨年の今頃も全く同じことを考えていたのを思い出した。