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{希哲15年2月4日の日記 K#F85E/E74C-F900}

この頃,透明性についてよく考える。直接意識してきたわけではないが,結果的に私自身も希哲館事業も限りなく透明化しつつある。これも可知性ということか。

今日は開発快調で,自我アイコン設定機能実装区切り付けを終えた。本番環境でも手定めに自分とデライト公式独自アイコン設定してみた。それだけのことなのだが,妙に胸が熱くなり,感無量だった。

画竜点睛というべきかが入ったというべきか,小さなことのようで想像していたよりずっとデライト生き生きとして見える。

竜胆蛍がいかに私と希哲館精神象徴といっても,やはりどこか覆面をしているような感覚があった。

本当にのようになったデライトに映る自分を見ていると,ここまでのわがままを許してくれた周囲愛情幸運多大なことに感謝の念を抱かざるをえない。

最近,自分の境遇について考えさせられるような,ちょっとしたことが立て続けに起こっているせいで余計感傷的になっているのかもしれない。今こうしていられるのも,環境偶然のおかげだったんだな,と改めて実感させられることが多い。

もうデライトの成功なんか無くても,『パーフェクト・ワールド』のごとく明日のたれ死んでも贅沢なくらいじゃないかと思うくらい既に幸福な気がするが,これはやはり克服すべき自己中心性なのだろう。

閃き以来のこの自己中心性こそデライトをここまでの形にした創造性だった。しかし,それだけでは「奉仕」としてのサービス成立しない。この喜びdelight)を広く共有出来るものにしなければならない。そのためには,お題目ではなく心から思いやりが生じなければならない。

別に今初めて思ったことではないが,一つを越えた後で,自然にこういう感情が湧き出てくるということがデライトの成功にとっては希望だ。

{お題目}

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