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{楽しいだけの仕事は楽しくない K#F85E/E74C-ABA2}

時事ネタとしてはすでに古いが,先月品川駅「今日の仕事は,楽しみですか。」書かれた広告掲出され,ちょっとした騒動になった。当の通勤客反感を買ったのかは分からないが,少なくともネット上では切り取られ方もあって「炎上」していた。

この広告そのものについては,よくめばもっともらしいことも書いてあるし,仕掛け人真意は別にあるのだろうと思うので,特に意見したいことがあるわけではない。私自身はサラリーマン生活をしたこともない人間なので,一般的な労働者気持ち代弁するつもりもない。

ただ,昔から「楽しい仕事」とか「好きな仕事」みたいなことを聞くと,楽しさしかない仕事なんて全然楽しくなさそうだし,好きだと思える仕事なんて好きになれそうにないな,と思う。

例えば,漫画遊画ゲームがなぜ面白いのかといえば,そこに冒険があるからだ。主人公達は,否応なく運命導かれ旅立ち,苦しみ乗り越え勝利するからかっこいい達成感がある。特に男性大なり小なりそういう文化の中でち,仕事観人生観形成していく。

私は極端だが,やはり,自分の人生壮大な冒険物語であってほしいと子供の頃から思っていた。どんな困難待ち受けていてもいいし,んでもいい。何より,そこに運命的な「意味」があってほしかった。そして希哲館事業を始め,その物語主人公のような気分毎日楽しくてしょうがない。これに「楽しい仕事」とか「好きな仕事」のような安っぽいレッテルを貼られたら興醒めもいいところだ。

生涯を捧げる価値見出せる仕事がずっと欲しかった私には,最近よく聞く FIRE魅力もよく分からない

楽しい仕事」や「好きな仕事」で生きていくというのは,悪く言ってしまえば,子供の遊びみたいなことしか出来ない人生を送るという風にも聞こえる。それに対する反感には,嫉妬だけでなく軽蔑にも似た嫌悪感が少なからず含まれているような気がする

苦しみがあるからそれを乗り越えた歓びがあり,やりがいがある。好きではなくてもやらなくてはならないことだからその価値信じられる。「楽しい仕事」や「好きな仕事」なんて,どう考えてもすぐ物足りなくなる。そう思うと,実在性すら怪しい空想の産物なのかもしれない。

こんなことをだらだら書いている時,2年ほど前に書いたこんなツイスト見つけた結局,これに尽きるなと思った。

楽しい仕事,というのは無くはないが,大した仕事ではない。

{仕事観}

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