インポート時には,文字化け対策を兼ねた内容の確認表示を挟むことにした。
まず先頭100件を表示,続けて非 ASCII 文字を含む行を検出して10件ほど表示,という感じになるか。
文字交度の自動判別に単純かつ確実な方法は無いので,人間に確認してもらうのが一番手っ取り早い。どのみち,間違った内容で送信される可能性を考えれば下見機能は必須となる。
最近,SNS 戦国時代を観察しながら「オタク文化」についてよく考えていたが,これまでオタクというものを漠然としか理解していなかったことに気付いた。
同時に,自分がオタクではないということにも気付いてしまった。昔から,オタク文化には抵抗が無いのにネットのオタク交鳴体がやたら苦手だった。それはオタク嫌いだからではなく,元々,子供時代から特定の集団に属することが苦手だったからだ。
教室の隅で漫画を描いているような子,勉強好きな子,スポーツ少年,不良少年……誰とでも遊びたいし,なんでも知りたい,なんでもやりたい,そういう子供だったよな,なんてことを思い出していた。私にとって,それが「自由」の原体験だった。やがてそれは人生観・世界観となり,希哲館事業にもデライトにも繋がっている。「なんでもメモ」の真意は,分野にとらわれず,この世界について網羅した百科全書を自分の中で育てようということだ。
そもそもこんなことを考え始めたのは,オタク交鳴体を味方に付けられると SNS の地盤作りには有利だなと感じることがあったからだ。人を選ぶ側面もあるが,デライトが今直面しているキャズムの早さと深さを考えると,隣の芝生的に羨ましいと思わなくもない。
結局,私自身は,オタク文化をつまみ食いするのは好きでも,オタク文化に囲まれるのは嫌いな人間であって,いわゆるオタクとは言えないのだということに気付いてしまうと,何かを期待していたことも滑稽に思えてくる。
巨大なオタク交鳴体を味方に付けても SNS の立ち上げには長い年月と大きな苦労が伴うというのに,デライトの文化を一から広めるってどれだけ無茶な話なんだ,という気重な気付きでもあった。前向きに考えれば,長年のもやもやが晴れてすっきりした部分もあるので,精神の最適化が進んだとも言えるか。
いよいよ脳爆発も本格化したようで,四方八方に拡がる思考の整理に時間がかかっている。収穫は多いが,脳疲労感が隠せなくなってきた。
当努整理も組計整理も大きく進んだが,デライト市場戦略についての頭の整理が進んだのが特に大きかった。
昨日の日記を書きつつ,「デライトに熱中しながら周囲とデライトを共有しようとしない人」の最たる例としての自分自身について考えていた。公開しているのだから見られて困ることは書いていないが,それと積極的に見せたいかどうかは別問題だ。重用者であればあるほど,デライトで扱っている情報は,現実の人間関係にとって深過ぎるし重過ぎる。
ここで,イノベーター理論に対して抱いていた疑問が氷解し始めた。
最近,「デライトのキャズム」という表現を使っていたのは,イノベーター理論でいう「キャズム」とは違う溝がデライトにはあるのではないか,と感じていたからだ。これは恐らく正しかった。デライトのキャズムは,アーリーアダプターとアーリーマジョリティの間ではなく,イノベーターとアーリーアダプターの間にある。典型的なイノベーションの枠を大きく越えているデライトの独自性が,キャズムをイノベーター側に引き寄せてしまっている。
物珍しさでデライトを使ってくれる人はイノベーターなのであって,趣味嗜好の特殊性から比較的孤立しており,そもそも潜在用者への影響力を期待出来る層ではない。影響力を持つのはアーリーアダプターであり,デライトがこれから獲得しようとしている層だ。私はここを少し混同していた。そして,アーリーアダプターというのは実利を重視する層だ。
イノベーターをどれだけ喜ばせても,それだけでは横の広がりにはならない。誰よりもデライトに価値を見出している私自身が証明するように,デライトではなおのこと内にこもりやすい。周囲と共有出来ないようなものをいくらネットで宣伝しても,縁遠い誰かがよく分からないものについて語っているとしか思われない。
無理をしないと書いたそばから,調子が良いを通り越して過熱気味で,また寝るのが遅くなってしまった。
開発では輪郭選り手の改良に熱中し,輪郭整備もまたお預けとなった。ただ,描出効率の大きな向上が見込める改良となり,今後の輪郭整備を考えればむしろ良かった。きっかけは昨日の開発での不具合修正で,これも怪我の功名だった。
輪郭選り手改良に意識が向いたのは,最近,執筆環境としてのデライトへの期待が高まっていたからかもしれない。もちろん,デライト文書整備が念頭にある。
デライトの完全な成功までの「最後の壁」だと思っていたものを突破しては次の壁にぶつかるということを繰り返してきたので,“その時”が来るまで,結局何が「最後の壁」なのかは分からないだろう。
用者が大きく増えないままデライトが進歩し,洗練されるたびに不思議な感覚を覚えてきた。こんなに凄いものをこんなに少人数で使っていることに,罪悪感に近いものを覚える。隠しているわけでもないのに独占しているみたいだ。事実,デライトほど構想的・技術的に高度で,高品質で,なおかつ無名なサービスは他に無いだろう。
現在のデライトを俯瞰した時,明らかに欠けている大きな部分はもはや一つしかない。それが“文書”だ。
正式離立から適当な状態のまま,ほとんど手を入れていないデライト文書の整備を遅らせてきたことには,修正回数を最小限に抑えるという戦略的な理由があった。実際,ここまでのデライトの急激な変化にいちいち文書を追随させていたら,デライト開発自体がここまでの速さで進んでいないだろう。第二次快調期と第四次宣伝攻勢を経て,安定感が出てきた今が一番効率的・効果的に文書整備を進められる時期なのは間違いない。
領下手定め環境で概ね問題なさそうだったため,新生全知検索整備の中間出振るいに踏み切った。首尾良く完了し,大成功だった。これにより後縁も最新の状態で同期され,自由自在な開発体制を取り戻した。
21時30分出振るい作業開始。断帯は21時30分から約5分。23時頃までには一通り点検・不具合修正を終えた。
その後,動作は極めて安定している。dg_fnd()
への輪数取得処理組み込みは今回初出振るいとなるが,高速化効果は,毎回輪数計算が必要になる場合の検索で数十ms(求頼1回分)の短縮なので体感速度向上はあまり期待していなかった。しかし,意外と検索時の軽快感が増している気がする。最初はプラセボ効果に近い開発者心理かと思ったが,自分の全知検索歴と検索頻度を考えれば感じ取れてもおかしくはない。嬉しい誤算だった。
安心して後縁に手を入れられるようになったので,手始めに,輪符が生成する輪結で,第零番節付き知番がそのまま輪結先などに反映されてしまう問題を修正した。
これにより,輪符の知番が K#9-XXXX/A-YYYY
と記述されていても,輪結先は第零番節の削除をした /?fg=KNo.XXXX/YYYY
や /KNo.XXXX/YYYY
となる。第二次知番改良を経て司組が生成する知番はこれで統一するようになったが,デラングでは大量にある第零番節付き輪符が第零番節付き輪結を生成していたため,クロール効率への悪影響が懸念された。出与え属性を通して輪郭小窓の知番表示にも反映されていたため,用合い上の問題もなくはなかった。
とりあえずは量が多い基本形の輪符と重い強調輪符でのみの対応。
今朝,自分の不注意により赤ん坊を殺しかけてしまう悪夢で目覚めた(睡眠記録)。かなり強烈な夢だったので,一日中,何か考えざるをえなかった。しいて教訓を見出すとすれば,状況をよく見て,大事なものを見失うな,ということか。
物質的にも人間的にも恵まれた環境も,希哲館事業とこのデライトの恵まれた状況も,やっていることのとんでもなさを考えれば,全て奇跡中の奇跡だ。本物の赤ん坊はもちろん,デライトも大きな可能性を秘めた赤ん坊みたいなものだろう。焦らず弛まず,粘り強く,大事に守り育てていかなくてはならない。
体験してはいけないことを夢の中で体験して自分を見つめ直すことが出来たのだから,幸運だったのかもしれない。
ここで少し最近の状況を考えると,「平常心で行く」と考えていた割に,黄金週間前半は力み過ぎた。そのおかげで書けなかった一日一文が書けたりもしたが,なまじ勢いのある文章が書けてしまったことで気持ちが前のめりになっていた。この間に得たものを余裕に換え,そろそろ平常心を取り戻したい。
黄金週間はあくまでも世間が年度始めの慌しさから落ち着く節目として重要なのであって,特にデライト宣伝に適した期間というわけではない。無理に詰め込む必要はない。昨年の今頃も全く同じことを考えていたのを思い出した。
デライトには「使い方」というページがあるのだが,これは最初の頃からまともに更新出来ていない。デライト開発もありがたいことに快調で,いちいち更新していられないほど変化が激しかった。このあたりも近日中に刷新するので,もうしばらくお待ち頂きたい。
もっとも,多くのデライト初心者が躓いているのは,細かい操作方法というより,どういう考え方で使っていくものなのか,という所なのではないかと思う。デライトで躓きやすい「使い方の考え方」について,このあたりで少し補足しておきたい。
デライトは風変わりで慣れが必要なものではあるが,特に難解なものではない。開発者の力不足による不親切さは多々あるものの,あくまで誰でも使えるものを目指している。まずは,ちょっとしたゲームのルールを覚えるつもりで読んでもらいたい。
デライトは,個人の知識をよりよく育て,生活の様々な場面で役立ててもらうためのサービスだ。それを突き詰めた結果として,互いに入れ子に出来る「輪郭」という単位で情報を扱う仕組みを持っている。
ここでいう「輪郭」というのも,まずはごく普通の言語感覚で理解してもらえればいい。ある物事の全体を取り囲むもの,という意味だ。もっと具体的にイメージしたければ,手で輪っかを作り,目に見える風景の一部分を切り取って見てほしい。写真の構図を考える時などに似たことをよくやるが,その時に手で作っている輪っかは,世界のある部分の輪郭だ。
その輪郭を,自由に“保存”出来たらどうだろうか。輪郭の中にまた輪郭を作ることも出来る。一つの輪郭は,他の無数の輪郭を含むものであると同時に,他の無数の輪郭に含まれるものになる。そのようにして,“世界を捉える”ことは出来ないだろうか。さらに,この考え方をコンピューティングに応用することで,従来の情報管理が抱えていた問題を解決出来るのではないか。ここからデライトの輪郭という仕組みが生まれた。
例えば,ファイルをフォルダ(ディレクトリ)という入れ物で分類管理する仕組みは広く使われているものの,人間が頭の中で扱っているようには情報を扱えない。一つの物事をどこに分類するかは,見方によっていかようにも変わりうるからだ。これは,一つの情報を一つの入れ物に所属させるような「階層構造」一般の問題(こうもり問題)としてよく知られている。
他方,こうした問題を解決するため,より柔軟な「ネットワーク構造」(グラフ構造とも)を利用した仕組みも広く使われている。Wikipedia などで利用されているウィキはその代表例だ。ウィキは,ウェブのハイパーリンクという仕組みを最大限に活かし,縦横無尽にリンクを張り巡らしながら情報を整理出来るように設計されている。しかし,こうした技術も万能ではない。柔軟な分,散漫・乱雑になりがちで,焦点を絞って情報をまとめることには向いていない。