{重苦しくなる}{気分が晴れなかった}{掴めた}{十分な睡眠を取る}{短くなっていた}{心理的負担}{誤らせる}{百害あって一利なし}{過度な緊張感}{一番苦しい}...=}(85)

{希哲15年9月12日の日記 K#F85E/A-E74C-69BB}

今週に入り,ますます状況良くなる一方……なはずなのに,妙に気分が晴れなかった理由について考えていた

やはり,デライトの早期成功,引いては希哲館事業の成功もはや夢ではない,というのがかえって重いのだろう。希哲館事業は「人類史上最大の事業構想」なのだから,営利事業として成功することなど歴史的偉業であって,そう簡単に行くわけがない……そんな言い訳開き直りももう出来ない。思えば気楽なものだった。

いまの希哲館事業は,努力次第で十分経営的軌道に乗る状態だ。それが出来ていないということは努力不足だということだ。最近,デライト運営状況に対する自分の見方厳しくなっているし,あれもこれもしなければと気持ちが逸り,それに追い付いていないことに,これまで感じたことのないような焦り悔しさ込み上げてくる

希哲館事業が負っている社会的責任のようなこともよく考えるようになった。これまで全くと言っていいほど利益を生み出さなかった事業にこれだけの時間注ぎ込んでこれたには,身内はもちろん,間接的にも社会にかけてきた多大負担迷惑がある。その歴史も,元を辿れば,かれこれ四半世紀になる。希哲館事業の成功以外では返せない借りだ。

そんなことを考えていれば,否が応でも気分重苦しくなるし,無意識のうちにも自分を追い込みがちになる。ここからデライト収益目標達成までが一番苦しい過渡期なのかもしれない。

ただ,過度な緊張感百害あって一利なしだ。無駄な心理的負担能率が落ち,判断誤らせる。ここからは休息もしっかり取り,意識的心身利楽させることにした。この状況適度な緊張感保つにはそれくらいで丁度良いだろう。睡眠時間平均的短くなっていたため,まずは十分な睡眠を取ることから意識していく。

なんにせよ,得体の知れない感情正体掴めたことは大きな収穫だった。

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{寝不足続き}{信じよう}{勝手に}{悪いこと}{時間のゆとり}{甘やかしたくなかった}{見かけ}{脳裏をよぎった}{いつから}{満たされた生活}...=}(167)

{希哲15年9月7日の日記 K#F85E/A-E74C-895A}

10日まで様子見をするつもりだったが,少し早めに10月中のデライト収益目標達成に向けて組計調整することを決めた

昨日察知した状況の変化により,先月29日の日記に書いたような「デライトの長期停滞」の懸念後退し,無理今月中の達成目指す必要はなくなった。となれば,より確実な方を取るべきだろう。

当然,達成が早いに越したことはないので,引き続き落ち着きながらも適度な緊張感は保って新生デライト開発を進めていく。


ここに来て,「デライトの早期成功」という概念について再考する必要感じた10月収益目標達成が早期成功というのはいいとして,11月12月なら早期成功ではないのかというと,それも違和感を覚える。

そう考えてみて,自分の中で,主観的基準客観的な基準が混在していることに気付いた振り返ると,常に大体3ヶ月以内収益目標達成目指してきた。その時々の状況に合わせた結果として,それぐらい先の見えない道を歩んできたということでもある。収益目標達成半年先一年先になるということは,常に考えたくない遅さ」だった。

希哲館創立14周年11月1日までの収益目標達成というのも,昨年11月十分な猶予として決めたものの,結局はその遅さ耐えられず早めては延長を繰り返し,結果的に最近では早期成功目安になっていただけだ。

つまるところ,これまで「早期成功」と呼んでいたのは,「現時点から3ヶ月以内くらいの収益目標達成」のことだった。だから,いま11月12月の達成を遅いとは感じないわけだ。

ここで,「客観的早期成功」とは何か,について考えた状況引いて見た時に,どこまでが大っぴらに早期成功と言えて,どこから言えなくなるのか。

まず思い浮かんだのは,「デライト2周年希哲16年2月13日だった。サービスの成功という観点からいえば,離立から2年未満で十分な収益化を果せば早い部類と言えるだろう。それを過ぎる中途半端微妙印象になってくる。

研究開発事業として成功させるまでにかかる標準的時間15年とするなら,希哲館創立から数えて14年と少しで,これも「やや早め」とは言える。自分の年齢も,36歳でこの規模研究開発成功させれば若過ぎるくらいだ。最終的希哲館事業の成功を考えても,まだ遅くはない

ここまで考えて,デライトの早期成功目安は,デライト2周年キリの良い所希哲16年1月認識更新することにした。

主観的目標意識も,それはそれで持っておいた方が適度な緊張感のためには良いが,それにとらわれて自分を追い込み過ぎると暴走してしまいかねない。そういう時に状況客観的に見て冷静になれるように,目標二重に持っておくべきだろう。


さらに踏み込んで,そもそも「デライトの成功」とは何か,ということまで考えてしまった。この調子収益目標達成を果したとして,その時点ではじめてデライトの成功とするのか。未来から見ればそうではないかもしれない。だとすれば,デライトいつから成功していたのか。

デライト開発自体は概ねずっと好調だし,私自身も「黄金生活」なんて言葉が出るくらい物心両面満たされた生活を送ってきた。一日一文でも書いたように,ネットサービスなんて見かけでは分からない問題を多々抱えているもので,何をもってサービスの成功とするかは,そもそも難しい問題だ。

収益目標達成というのは,あくまでもデライト,引いては希哲館事業発展させるための手段だ。目先収益よりも優先すべきことを優先し,目的のために最善の道歩んできた結果として,丁度良い時期収益目標達成にも手を伸ばせるようになってきただけではないかという気もする。そういう意味で,成功収益目標達成因果関係なのかもしれないと考えることがある。

デライトはすでに成功しているのかもしれない……という考えは,これまで何度となく脳裏をよぎったが,その度にかき消してきた。ただでさえ反餓精神乏しい自分を甘やかしたくなかった

ただ,ここ最近,それこそ絵に描いた餅食べられる餅になったというような歓びを感じていたところに,時間のゆとりまで増え,もう勝手に成功した気分になってしまっている自分がいる。それが良いことなのか悪いことなのかは分からない

何をもってデライトの成功とするかは結論急ぐことでもないので,とりあえず来年1月までに収益目標達成出来れば「デライトの早期成功」とするとして,いまのところ失敗余地はないように思える。

また他に優先すべきことが出来て先送りになることがないとも言えないが,その時はその時の自分の判断信じよう


5時前起床を目指したが,寝不足続きだった上に5時間睡眠調整しようとしたせいで二度寝してしまった。

いまのところ早朝出振るい必要はないので,睡眠調整ゆっくり進めていくことにした。

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{事業}=}(1)
{希哲15年7月の一日一文}{死ぬまで}{鳴かず飛ばず}{世に出た}{不思議な人}{数学の教科書}{数学塾}{特殊な環境}{助けられる}{特別な力}...=}(139)

{希哲館はなぜ潰れないのか? K#F85E/A-E74C-9EBB}

一日一文という日課再開して3ヶ月経ち,希哲館事業についてもだいぶ伝えやすくなったと感じている。

この希哲館事業も,11月1日14周年を迎える。もっと遡って,17歳の時の「閃き」を原点とするなら,もう20年近い歴史がある。今まさにデライト収益目標達成に向けて大詰めという時期だが,これだけ長い間,まともな収益がなく事業が存続してきたことには,いくつかの理由がある。

覚悟

まず,「日本はどう逆転するか」や「私の政治思想」などを読めば分かるように,希哲館事業構想は,「人類史上最大の事業構想」と言っても過言ではない無謀の極みであり,当然ながらその自覚絶望から始まっている。

希哲館事業の可能性気付いた17歳の私は,その過程にある,あらゆる困難想像し,絶望と戦うことになった。

この前年,アメリカ同時多発テロ事件があった。希哲館事業の根底には,あらゆる宗教,あらゆる思想を越えて世界連帯させうる“新しい価値観”への世界的要請があったように思う。

今となっては笑い話に近いが,そんな世界情勢もあり,私は,イスラム過激派にでも捕まって自分が生きたままを斬られたり,日本を追われて世界放浪したりするのではないか,そんなことまで想像していた。そんな極限状態でもこの事業を育てるために,あらゆることを考えた

閃きから5年後,私はあらゆる困難と戦う覚悟を決め,希哲館事業を始めた。全ての,自分以外の全ての人間敵に回すかもしれない,人生の全てをかけた努力が全く報われないかもしれない。それでも自分はこの事業尽力しよう。そういう覚悟だ。

希哲館館章竜胆蛍」は,この絶望的暗闇に飛び出す一匹を模したものだった。希望儚い光であり,滅びの美学のような,私の人生観覚悟象徴するものでもあった。

それから14年近く経つが,想像していたような貧苦迫害もなく,この日本社会ぬくぬく楽しくやってこれてしまった。稼げなくても大して困らず,あの覚悟のおかげで,むしろぬるま湯のように感じていた。

環境

希哲館事業を始めたばかりの20代の私には,自分の5年先の人生が全く想像出来なかった。20歳ちょっとの時は25歳くらいで死んでいるだろうと思っていたし,25歳くらいの時は30歳まで生きていないだろうな,と思っていた。いま私は36歳だが,健康そのものだ。

家族にも親戚にも見放され……というようなことも覚悟していたが,そんなこともなく,関係は割と良好だ。

もっと若い頃の私は,端的に言って「極度の世間知らず」だった。希哲館事業なんてものを始められる人間は,日本どころか世界を見渡してもまずいない。それが出来るのだから,何か自分には特別な力が宿っているのではないか,などと思っていた。自分は矢吹丈みたいなものだと思っているくらい,環境というものを無視していた。

散々周囲に助けられ世間について知るごとに,そういう考えは出来なくなった。どんなに覚悟があり性格が向いていても,この特殊な環境が無ければここまで来れなかっただろう。

性格

最近,父親と話すことが増え,に似た性格希哲館事業を続けていられる小さくない要因だなと思う。

父は子供の頃から数学が好きで,埼玉大学数学科に入ったものの学生運動ごたごた中退,その後は情技(IT)起業してみたり色々あり,いま70歳を越えているが,画期的数学の教科書を作って数学塾を開こうと奮闘している。

いつまで経っても金を稼ぐのが苦手で,ぼろぼろになりながら夢追い人を続けているような人だ。なけなしの貯金デライト出資してくれるような不思議な人でもある。

そんな父を見ていると,70歳80歳になっても希哲館事業を続けている自分が容易に想像出来てしまう。

私も,もう希哲館事業について考え始めてからの人生の方が長い。デライトで多少世に出た感はあるが,それはつい去年のことだ。仮にデライトがずっと鳴かず飛ばずだったとしても,死ぬまでこんなことを続けているのだと思う。

{一日一文}{希哲15年6月の一日一文}{日本脱出}{宗教的寛容}{日本を選ぶ}{国外脱出}{地政学的利点}{法的自由度}{政治的安定性}{良い思い出}...=}(61)

{なぜ日本なのか K#F85E/A-E74C-0142}

先日の一日一文でも書いたように,希哲館事業では「ジパング計画」を推進している。知能増幅(IA)技術による知識産業革命日本で起こし,日本主導新しい国際秩序を作っていこうという計画だ。

私自身も希哲館事業も一見して“日本人らしい”とは言えないが,どちらも,紛れもなく,現代日本の産物だ。だから,「なぜ日本なのか」という問いも本来はおかしい

私は日本生まれ日本育ちの日本人で,日本社会温かく育ててもらった。平気でこんなことをやっていられるくらいだから,甘やかされた,と言った方が正確かもしれない。家族親戚友人知人,みな良い人ばかりに囲まれて,日本にも日本人にも良い思い出しかない。

希哲館事業も,そんな日本から生まれて育った事業だ。散々日本人に助けられてここまでやって来れた。デライト用者ユーザーも,恐らくは日本人ばかりだろう。希哲館事業が日本で,日本の繁栄重視するのは自然なことだ。

もちろん,事業本拠地要件として「日本でなければならない理由」はいくつもある。政治的安定性法的自由度宗教的寛容地政学的利点社会基盤……どちらかといえば,今日はこういうことを書こうと思っていたのだが,書き始めてから,「なぜ日本なのか」という問い自体の悲しい面白さについて考えてしまった。

日本脱出”のような言説があまりにも普通になってしまった今の日本では,日本人日本を選ぶ理由を考えなくてはならない。

確かに,情技(IT)業界でも,最近は日本人が作った柔品ソフトウェアサービスが最初から英語表示で,英語版以外無いことも多い。見かけるたびに複雑な気分にさせられる。日本人自身が日本に目を向けなくなりつつあるのだ。

それでも私は,日本から世界史上最大の企業を生み出せるし,日本を世界史上最大の極大国ハイパーパワーにすることが出来ると思っている。そして,日本語がいまの英語をも凌ぐ世界の言語になるだろう。決してではない。それを現実にするジパング計画という地図がここにある。

{一日一文}{希哲15年5月の一日一文}{社会奉仕}{清貧思想}{京円}{モテたい}{共感力}{時々思うこと}{気付いた}{閃き}...=}(80)

{人間への共感 K#F85E/A-E74C-BE3A}

私には,いわゆる「共感力」というものが無い。時々思うことだ。

普段書いていることを見ていれば何となく分かると思うが,私は,あまり多くの人と同じような生活をしていない。これは昨日今日始まったことではない。10代の初め頃からずっと,私はこんな調子で生きて来てしまった。

反共感としての KNS

思えば,私が KNS なんてものを発明したのも,この共感力の無さによるところが大きい。

私には,主にマイクロブログ系の SNS消極的に使っていた時期がいくつかあり,そういう時期に私を見かけた人なら分かるかもしれない。私の SNS の使い方は,基本的に独り言を延々と垂れ流す,というものだ。しかも,自分で考えた造語翻訳語をちりばめて,だ。

最初からこうだったわけではない。最初に SNS に接したのは20歳そこそこで,その頃は周囲に合わせようとしていた。ところが,使っているうちにある問題に気付いた。同じような年頃の人達が,自分とは全く違う生き方をしているということだ。

例えば当時,よく若者の間で盛り上がっていた話題といえば,就職氷河期下での就活だとか,日本社会への悲観論だったりした。

それが私には全く分からなかった。当時の私は,希哲館事業を始めばかりだった。ろくに学校にも行かず17歳輪郭法いた私は,定職につく気も無く,どうすれば世界史上最大の企業を創り,日本世界史上最大の極大国ハイパーパワーに出来るかということで頭が一杯だった。

「もう日本は駄目だ」「英語勉強して日本を出よう」などという悲観論が渦巻いていた SNS で,ただ一人,「これから自分が日本を世界の中心にする」と希望に満ち溢れていたのが当時の私で,要するにずっと変わっていないのだ。最初はそれがズレていることにも気付いていなかったと思うが,流石にだんだん周囲との空気の違いが分かってくる。

SNS というのは,多くの人にとっては仲間を見つけたり,共感しあったりする場なのだろうと思う。私にとっては,使えば使うほど,自分がいかに世界の中で孤立した精神の持ち主か,ということを思い知らされる場だった。単純に,あまり面白いものではなかった。

共感と商売

共感力の無さというのが現実的問題になるのは,やはり「商売」を考えた時だ。デライトも,多くの人に気に入ってもらい,そこから利益を生み出そうとしている,という意味では立派な商売だ。

ところが私には,人の欲望というのもあまりよく分かっていない。男性で言えば,金が欲しいとか,女性モテたいとか,そういうのが欲望の典型なのだろう。しかし,私はその手の感情を抱いたことがほぼ無い。

厳密に言えば,金が欲しいとは思う。ただそれは事業のためだ。希哲館事業理想実現するためには,「兆円」の単位では足りない。最低でも「京円」の金が動かせるようにしたい。そういうことはよく考える。

その一方で,私的な金銭欲には乏しい。希哲館事業を始めた当初から,私は自身も含めて全執務員給与報酬を「世の中の平均的な水準」にすることを決めている。つまり,どれだけ希哲社利益を上げようが,私は月に数十万円程度の金しか受け取らない。

別に我慢をしてそうするわけではない。それが清貧思想とか社会奉仕パフォーマンスなら,アメリカ企業がよくやるように1円の報酬でいい。私は別にそういう“思想”で金が要らないわけではない。本当に,人並程度の収入で十分満足に暮らしていけると思っているのだ。

しかし,商売をする上で,人の欲望の流れを感じることが出来ない,というのは致命的かもしれない,と思うこともある。金が欲しいという人の気持ちも,女性に囲まれて嬉しい人の気持ちも分からないのだから,少なくともそれで釣るような商売には全く向いていない。

人間そのものへの共感

ではどうすればいいのか。これまでの生き方はいまさら変えられない。

でも,私にも共感出来ることはある。それは,枝葉ではなくて,人間として誰もが持つ普遍的な部分への共感だ。例えば,人が転んでいるのを見れば痛そうだと思うし,泣いているのを見れば可哀そうだと思う。幸せそうにしていれば何となく嬉しい気持ちにもなる。

人間のどこかではなく,人間そのものへの共感を深めていく,そんなことに希望を見出したい。

{一日一文}{新技術}{文化施設}{輪郭法の歴史}{希哲館事業の歴史}{建築構想}{ややこしい}{閃き}{個人知識管理}{社会}...=}(66)

{なぜデライトに希哲館事業が必要だったのか K#F85E/A-E74C-6F49}

私は希哲館事業,希哲館事業とよく書いているが,それについてまとまった文章がほとんど無い。近いうちに解説文を書くつもりだが,今日は簡単に,「なぜデライトに希哲館事業が必要だったのか」を書いてみたい。

希哲館事業とは,簡単に言えば,「社会輪郭法最大限活用出来るようにするための事業」だ。輪郭法というのはデライト原理にもなっている理論で,このような技術実装し,普及活動を担い,より良い活用の仕方を探求しているわけだ。


希哲館事業の歴史は,輪郭法の歴史と同じくらい長い。というのも,輪郭法を私が閃いたのとほとんど同時に生まれたからだ。

私が17歳で輪郭法を閃いた時,これが知能増幅(IA)技術につながることに気付いた。それと同時に,単なる技術に留まらない可能性課題があることにも気付いた。これは現代人人生観世界観政治経済あり方をも大きく変える発明になる。少年時代の私はそう直感した。

そこで,輪郭法とその応用技術中心に,超現代的な全く新しい思想体系社会基盤構築する事業構想した。これがつまり,希哲館事業の青写真だ。

希哲館」は,事業の拠点となる機関文化施設として構想したもので,建築構想でもある。その名には,輪郭法による「希哲フィロソフィー」の復興という思いを込めた。希哲元(2007)年11月1日希哲館事業は発足した。


個人知識管理というものを突き詰めていくと,それは知能増幅技術になる。そして知能増幅技術には,それを取り巻くあらゆる課題に対応する包括的事業必要になる。デライトに興味があっただけなのに,希哲館事業なんてややこしいものが出てきて面喰らった人も多いだろうが,全て必然だ。そして,それだけの背景を持っているのは,世界を見渡してもデライトしかない。

もう一つ,希哲館事業自体が,知能増幅技術としてのデライトの「デモンストレーション」になっているという側面がある。どんな新技術にも,見本になるものが要る。人類史上最大の事業構想とも言える希哲館事業構想以上にデライトの性能実証するものは無いだろう。

{事業}
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