{『希哲日記』}{金風}{散歩}{日記}{振り返り日記}{定休日}{希哲館事業}{浦安本館構想}{出来ること}{位置付けている}(94)

{希哲15年10月3日の日記 K#F85E/E74C-358A}

定休日なので利楽して過ごした。ここしばらく,休日といっても何かしら作業をせずにいられなかったが,この日は久しぶりにぼーっと出来た。

金風以後,事務的な問題片付きつつあるが,それよりも,人生設計人生観問題にまで波及しているのがなかなか重たい。とにかく色々なことしみじみ考えてしまう

特に急浮上していたのが「鎌倉問題」だった。発足から間もなく出来た鎌倉本館構想とともに私と希哲館事業歩んできた。これを抜本的見直す必要感じていた

2時間ほどぶらぶら散歩をしながら考えた結果浦安分館浦安本館に,鎌倉本館鎌倉分館に,希哲館本館位置付け交代させることにした。

希哲館事業にとっては画期的方針転換だが,意外にもあっさり決断出来た。環境に対する認識の変化事業足回りに対する意識高まり等,この十余年積み重ねがあったところで,金風決定打になったのだろう。気付けば,鎌倉こだわる理由も無くなっていた。最初開拓者精神思い出せば尚更だ。

3月頃に鎌倉の物件探しから鎌倉本館構想再燃したが,これがかえって構想寿命を縮めた気がする。より現実的考えるようになったことで,より現実的な問題浮かび上がってしまった。

浦安最重要拠点の一つと位置付けている以上は,鎌倉に移っても頻繁な往復をすることになる。いずれにせよ,交通網経済基盤観点から浦安の方を軸にせざるをえない。日本橋経験を踏まえても,鎌倉に限らず,今の環境以上に希哲館事業適した環境考えにくい鎌倉分館別荘などを通して鎌倉との繋がりは持てるし,名目実質一致させただけで,実際に出来ること大差ないのかもしれない。

早速,久しぶりに思い出した娃天地区構想も含めて,鎌倉本館構想から浦安本館構想への再構成始めた

4日振り返り日記

{『希哲日記』}{希哲館創立14周年}{日記}{サービス}{デライト}{一踏ん張り}{異例尽くめ}{恐るべき}{決着をつける}{進捗次第}(71)

{希哲15年8月20日の日記 K#F85E/E74C-7B5C}

昨日の日記を書きながら,9月中としていた収益目標達成見込み10月までの幅を持たせることにした。

9月中の収益目標達成目指すことにしたのは7月10日のことだったが,流石に7月下旬からの激動展開想定していなかった。それでも組計維持出来ていたのは,今月3日新生デライトの完成後ではなく新生デライト開発途上収益目標達成狙うことにしたからだった。

ただ,この中旬まで,稼げた時間的余裕想定していた実作業ではなく,投資に近い使い方相殺してしまった。こうなれば,組計延長するのが道理だ。

デライト無茶をしなければ維持し続けられるとはいえ,希哲館事業の成功のためにはあくまでも早期成功目指したい。これがずるずる引き延ばすことを避けたかった理由だったが,希哲館創立14周年11月1日までを「デライトの早期成功」の目安としてきたこと,1ヶ月の差しかないことを考えれば,確実な方を取るべきだろう。

しかし,組計調整負担適度な緊張感が失われる懸念もあり,早過ぎる切り替え良くない。このまま9月上旬までは様子を見て,進捗次第9月中に決着をつけるか,10月までの延長戦持ち込むか,10日頃に決断することにした。

結局,こうして最適化繰り返しながら,11月1日目前の収益目標達成で最も期待感が高まっているのだから,昨年11月10日の日記を書いていた自分が恐るべき予言者に思えてくる。

ちょろちょろとはいえ,こんな異例尽くめサービスで一応収益化出来ていることもすでに奇跡としかいいようがない。もう一踏ん張りだ。

{開発}{『希哲日記』}{万が一}{日記}{デライト}{希哲館}{希哲館事業}{希哲館訳語}{開発者コミュニティ}{リスク低減}(89)

{希哲15年1月30日の日記 K#F85E/E74C-E10D}

日本の情技業界を騒がせている業務素交流出事件に思うところあり,希哲館でも原則として素交公開していく「素交公開原則」の採用本格的検討し始めた。

昨年の今頃もそんなことをぼんやりと考えていたが,特にこの頃,描出公開原則成功確信が持てるようになったり,政治参加方針公開が考えられるようになったり,「隠すべきものを持たない強み」を実感することが多くなっていた。となれば,素交公開自然流れだろう。

もともと虎哲関係の素交独自性が強過ぎ,動作環境備立方法も特殊文書込め言には独自用語と希哲館訳語満載という状態であり,盗んだところでまともに運用するのは不可能だ。これを「自然難読性」と呼び,ある種の強みと考えていた。

それでもいわば「素交非公開原則」で来た理由はいくつかある。

第一には,私自身の完璧主義的な性格であり,見せる必要もないところで不完全なものを晒したくなかった。

次に,希哲館事業収益化不可能に近い困難さがあった。万が一にもなさそうだった成功可能性を探る上で,万が一でもその障害になりそうな要素排除しなくてはならなかった。手札は一つでも多い方が良かった。

これについては,デライト収益化実現してしまえば無用心配になる。

もう一つ,技術的問題もある。昔から,デルン基礎にした版存管理司組構想してきたこともあり,素交公開するなら独自基盤でと考えていた。無論,そんなものを開発する時間は無かった。

色々な意味で余裕が必要になるので,いずれにせよデライト収益化後に決断することになるだろう。

素交公開原則利点はいくつも考えられる。献典としては死蔵してきた希哲館技術体系宣伝デライトも含めた希哲館事業全体の透明性信頼性向上機密保持に関する費用削減リスク低減,そして最も大きいのは開発者コミュニティを作れることだろう。

KitHub」というのは一昨年思いついたことだが,それこそ GitHub のように成長すればそれだけで希哲館事業の強力な武器になる。

この日は久しぶりに希哲館マスコット構想「きっとん」を思い出し,具体的なイメージを練ったりもした。これがのらくろに似ていることに気付いたのは収穫だった。

2月1日振り返り日記

{『希哲日記』}{希哲館創立14周年}{希哲館創立13周年}{日記}{正午}{デライトの成功}{デライト}{記録}{睡眠時間}{2年}(74)

{希哲14年11月10日の日記 K#F85E/E74C-7B7B}

諸々整理して一息つけるようになってきたため,今日は一日じっくり、ここ数日の諸記録を埋めながら今後について考えることにした。デライト宣伝も全く出来ない日が続いてしまったため,今日から毎日1歩分でも必ず時間を割くことにした。

また,今後の正しい計画策定のため,第一次総括から2年あまりの歩みまとめ,これを「第二次総括」と呼ぶことにした。第一次総括同様,何日かかるか分からないが納得行くまで続ける。

そんなことを考えていた正午頃,叔父について悪い報せを受けた。ここ数年,妙に自分や周囲にとって都合の良いことばかり起きるので,そろそろ不幸が訪れるのではないかとかえって不安だったが,いよいよ来たか,と思った。それと同時に,デライトの成功,ひいては希哲館事業の成功を急がなければならないもう一つの理由を思い出した。

ここ最近,希哲館創立13周年を過ぎ,米大統領選挙も誰が勝ったとも言えないまま一応終わり,デライトの成功を急がなければならない理由を見失っていた。

用合い改良山場を越えたことで太く短く時間投入しなければならない作業はほぼ無くなり,細く長く継続していくことが重要段階に入ったという感覚もあった。

普通,事業収益化を急ぐのは存続に関わるからだが,デライト超高効率運用なら十年でも五十年でも,私が生きている限り存続させることは難しくない。そういう意味で,デライトの成功時間の問題には違いなかった。

それにもかかわらず,短期決戦から持久戦への移行決断することは出来なかった。何か忘れているような,引っかかりがあった。件の報せを受けたとき,それが何だったのか突き付けられたような気分だった。私が成功を急いでいたのは,大義名分のためばかりではない。その前に死んでほしくない人が多い。

今のデライトの状況なら,目標期限を短かく設定すれば早期成功可能性は高まるが,その代わり確実性は低くなる。一年後を見据えるか十年後を見据えるかで時間の使い方も変わってくる。健康上直ちに問題にならない程度に睡眠時間調整するだけでも一日あたり数時間変わるだろう。

デライトの成功が十分な確実性早さ期待出来る期限を考えた時,あと1年キリのいいところで希哲館創立14周年となる希哲15年11月1日が最も妥当な線として思い浮かんだ。

離立から2年以内なら「ダーウィンの海短期攻略作戦」という白熊作戦趣旨も辛うじて保てる。とりあえずはこれで短期決戦路線を維持することにした。

{決断}

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