下書き抜控の窓間同期での知名対応を忘れていたため,知名欄を書き換えると別窓の描写欄に入ってしまうという危ない不具合だった。
本来は夜のデライト宣伝をやりたい時間だが,生活律動のためここで本日の仕事は終了。
ついに自転車を買った。前々からぼんやり欲しいとは思っていたが,なかなか模体が決まらず,大して必要にも迫られず,踏ん切りがつかなかった。
金風以後,市内を中心に買い出しや事務的な用事で歩き回ることも増え,自転車くらいは必要かと強く感じるようになっていた。散歩も徒歩で行ける所はほとんど行き尽くしてしまい,少し飽きつつある。買い出しに関しては,ネットスーパーを利用することも考えたものの,店舗には店舗の面白さや便利さがあり,篭りがちな仕事の合間で良い運動や気分転換になっているので,自転車さえあれば不満はない。
実家にいくつかあった自転車は,盗まれたのか姉が持って行ったのか,いつの間にか無くなっている。最近惹かれていたのはダホン K3 だが,今のところそこまでの可搬性は必要ない。となると走行性能の点で費用対効果が低過ぎる。
もうこの際,実用性と最低限の見た目があればつなぎとしてシティサイクルでもいいかと思い立ち,昼前から散歩がてら自転車屋を巡ってみることにした。最初は近所でよく前を通る小さな自転車屋に入ってみたが,品揃えが少な過ぎたため,少し離れた大型専門店まで足を延ばした。
ここは流石に品揃えが豊富で,いくつか惹かれる模体が見つかった。一番気に入ったのは一通りの装備が付いた20インチ折り畳み自転車だった。趣味用自転車特有の面倒臭さがなく,適度にお洒落感はある。
この系統で黒だと2種類,かなり似た形状のものがあり,一方はフォルクスワーゲンの2021年型 VW-206G で本体価格は3万円台半ば,もう一方は1万円ほど安い独自ブランドの模体だった。そもそもつなぎなので最初は安い方でいいかと思ったが,よく見ると細部の美しさで価格なりの差があり,結構迷った。結局,ここで妥協するなら1万円くらいのシティサイクルと大差ないことに気付いて VW-206G を買った。防犯登録,保証・保守サービス,整備・防犯用品を一通り付けて4万3千円ちょっとで,すぐに乗って帰れた。
最初は1年くらいつなぎで持ってくれればいいかと思っていたものの,買ってみると,意外にも自転車欲があっさり満たされてしまった。元々合理的な移動手段として欲しかっただけで趣味として追求したいわけではなかったし,この模体自体の費用対効果が期待以上に高かった。
走行性能は,ぶらぶら走る程度なら以前所有していたダホンの Speed P8 と変わらない印象で,10万円ちょっとまでの20インチ自転車ではどれと比べても大差ないだろう。都内で見かける自転車の大半より見栄えも良い。
外観に関しては,そもそもこの形状が一番好みだったことに買ってから気付いた。最低限の装備しか付けていなかった Speed P8 と似ているとは初見では感じなかったが,後で写真を見比べると骨格が驚くほど似ていた。愛嬌とかっこよさを兼ね備えるこの感じの20インチ折り畳み自転車が元々ツボだったのかもしれない。新しい2022年型ではフレーム形状が変わってしまっているので買わなかったかもしれない。そう思うとしばらくはこれでいいやという気もするし,後継車のハードルは高そうだ。
見た目優先で折り畳み機能の使い道はあまり考えていなかったが,帰ってみると玄関に置いておくのが最適という結論になり,結果的にこの点でも大正解だった。
およそ10年ぶりの自転車には感慨深いものがあり,夜まであちこち走った。自転車によく乗っていた時期は長くないものの,平日日中でも毎日のように Speed P8 で都心を走り回っていたので,想い出は濃い。天気は悪かったが,涼しくて好都合だった。
考えてみれば,デルンの実用化と引き換えに自転車も自転車でぶらぶら走るゆとりも失ったようなもので,デライトと自転車の組み合わせは新しい体験をもたらしてくれそうだ。最近,睡眠の質が課題なので運動の機会が増えたのも嬉しい。座ってぼんやり考え事をしているよりはサイクリングでもしていた方がいい。
しっかり運動したせいか,昨晩はよく眠れた。最近,睡眠の質が落ちていると感じていたが,やはり運動不足が大きいようだ。
朝から調子が良かったが,まだ疲労感が抜け切っていないため,午後からはのんびり過ごした。
身体の内部的な消耗への懸念から今年一杯は休養が必要かもしれないと思っていたものの,このまま無理せず少しずつ調子を整えていけば1週間程度で高進捗と回復力が釣り合ってきそうだ。急がば回れとはよく言ったものだ。
希哲館事業の重圧なんて本来生身の人間がまともに背負えるものではない,ということを忘れると身を滅ぼす。すっかり日常になり麻痺していた。休み休み引きずっていく,くらいの心構えで丁度良いのだろう。
今日はふと思い立って近くの快活CLUBに行ってみた。大人になってから漫画を読むことがほとんどないので,久しぶりに読みたいと思っていた。
漫画喫茶は,むかし時間潰しで何度か入った都内の店があるが,狭い・汚い・煙草臭いとあまり良い印象が無かったので,適当な所に入るのも気が進まなかった。
そこで,昔一度だけ行った記憶がある近くの快活CLUBを思い出した。確か日本橋に転居する直前くらいの時期だったから,10年以上前のことだ。当時は漫画を読むためではなく,ノート PC を持ち込んで仕事をしようとしていた気がする。自宅での作業がなかなか捗らず,あちこち移動しながら作業環境を変えてみていた頃だ。いま自宅で作業に没頭出来るようになっていることを考えると凄まじい進歩だ。
評判が良いだけあって快適で良い気分転換になったが,試行錯誤していた昔の自分を思い出せたことも大きな収穫だった。ますます今の環境を大事にしようと思えた。
時事ネタとしてはすでに古いが,先月,品川駅に「今日の仕事は,楽しみですか。」と書かれた広告が掲出され,ちょっとした騒動になった。当の通勤客の反感を買ったのかは分からないが,少なくともネット上では切り取られ方もあって「炎上」していた。
この広告そのものについては,よく読めばもっともらしいことも書いてあるし,仕掛け人の真意は別にあるのだろうと思うので,特に意見したいことがあるわけではない。私自身はサラリーマン生活をしたこともない人間なので,一般的な労働者の気持ちを代弁するつもりもない。
ただ,昔から「楽しい仕事」とか「好きな仕事」みたいなことを聞くと,楽しさしかない仕事なんて全然楽しくなさそうだし,好きだと思える仕事なんて好きになれそうにないな,と思う。
例えば,漫画や遊画がなぜ面白いのかといえば,そこに冒険があるからだ。主人公達は,否応なく運命に導かれ旅立ち,苦しみを乗り越えて勝利するからかっこいいし達成感がある。特に男性は大なり小なりそういう文化の中で育ち,仕事観や人生観を形成していく。
私は極端な例だが,やはり,自分の人生は壮大な冒険物語であってほしいと子供の頃から思っていた。どんな困難が待ち受けていてもいいし,死んでもいい。何より,そこに運命的な「意味」があってほしかった。そして希哲館事業を始め,その物語の主人公のような気分で毎日が楽しくてしょうがない。これに「楽しい仕事」とか「好きな仕事」のような安っぽいレッテルを貼られたら興醒めもいいところだ。
生涯を捧げる価値を見出せる仕事がずっと欲しかった私には,最近よく聞く FIRE の魅力もよく分からない。
「楽しい仕事」や「好きな仕事」で生きていくというのは,悪く言ってしまえば,子供の遊びみたいなことしか出来ない人生を送るという風にも聞こえる。それに対する反感には,嫉妬だけでなく軽蔑にも似た嫌悪感が少なからず含まれているような気がする。
苦しみがあるからそれを乗り越えた歓びがあり,やりがいがある。好きではなくてもやらなくてはならないことだからその価値を信じられる。「楽しい仕事」や「好きな仕事」なんて,どう考えてもすぐ物足りなくなる。そう思うと,実在性すら怪しい,空想の産物なのかもしれない。
こんなことをだらだら書いている時,2年ほど前に書いたこんなツイストを見つけた。結局,これに尽きるなと思った。