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{日本はどう逆転するか K#F85E/A-E74C-3C71}

昨日の一日一文では高度経済成長期以後の日本の盛衰について分析してみたが,今日は,そんな日本がどうやって中国抜き返し,アメリカをも凌ぐ世界史上最大の極大国ハイパーパワーとなりうるのかについて書いてみよう。

アメリカ脱工業化成功繁栄を極め日本工業しがみつ凋落した……物語はここで終わったわけではない。ジパング計画という“新しい物語”が始まるのはここからだ。

あての無い家出

私は,これまでの世界で起きた脱工業化という現象を「あての無い家出」と表現したことがある。とりあえず工業中心から脱してはみたものの,落ち着ける先が見えていないからだ。脱工業化は世界にとって時期尚早だったかもしれない,という雰囲気は実際に広がりつつある。

それを象徴するような二つの出来事が同じ2016年に起きた。イギリスにおけるブレグジット決定,アメリカ大統領選挙におけるドナルド・トランプ当選だ。私はこれらに象徴される英米政治混迷を「英米政治危機」と呼んできた。

そしてその背景にあったのが,情技(IT)産業をはじめとする知識産業隆盛に伴う工業の衰退格差拡大国民分断だった。世界経済と脱工業化の先頭を走っていたアメリカ,そのアメリカを生み出したかつての超大国であるイギリスが同時に似たような危機に陥ったことは偶然ではないだろう。

産業革命から近現代牽引してきた両国の産業構造はもちろん,政治文化にも通底する何かの限界が,ここに来て露呈したのだ。

トランプ政権下のアメリカでは,まさに脱工業化の煽りを受けたラスト・ベルトに支持され“再工業化”の動きすら見られた。それは,あてのない家出から“出戻り”してきた少年少女のような,心細いアメリカの姿だった。

近代と工業,そして新近代化

一般に,国民国家間接民主主義資本主義といった現代社会標準的体制形作られた18世紀頃から20世紀頃までの時代を「近代」という。

そして我々はいま,第二次世界大戦などの大きな画期を経て,様々な揺らぎの中で「現代」にいる。現代がどういう時代だったのかは次の時代になってみなければ分からないが,近代については振り返ってある程度概観することが出来る。

この近代化推進力となったのはイギリス産業革命だ。ここから世界工業化も始まった。工業化も含めて様々な要素が互いに影響を与え,支え合いながら近代社会は形成されてきた。脱工業化でいうところの工業というのは,独立して取ったり付けたり出来るものではない。

特に重要なのは,工業というものが実質的社会保障として機能していた,という点だ。つまり,額に汗して働けば,誰でもそれなりに豊かな生活社会参加実感手に入れられる,という期待が,近代国家大衆を繋ぎ止めていたのだ。

いま工業に取って代わろうとしている知識産業には,高度な教育を受けた選り人エリート高度な技能を持った一握りの人々に富が集中する性質がある。GAFAM に代表的な日本企業が何千と束になっても勝てないように,その他大勢がどう頑張っても埋められない差が出来てしまう。

こうなれば,“置き去りにされた大衆”の少なくない部分が,当然のように民主主義における権利行使して“反乱”を起こすことになる。まさにそういう現象トランプ政権だった。

世界史の講義のような話になってしまったが,それだけ脱工業化が持つ歴史的文脈は長く複雑だ。脱工業化は,突き詰めれば「脱近代化」であり,新しい産業を中心に社会全体の仕組みを刷新する新近代の創造,すなわち「新近代化」であるということになる。これに成功した国は一つもない。ならば,先走った国々がつまずいている内に,日本でやってしまおう,というのが私が語っていることだ。

ジパング計画とは,工業時代,引いては近現代からの周到な“家出計画“なのだ。

真のポストモダニズム

脱近代化という考え方そのものは,昔,「ポストモダニズム」などといって思想界流行したことがあった。これも今思えば“あてのない家出”で,近代をあの手この手で相対化してみせるばかりで,その先を語れる者がいなかった。

結局,先行した思想限界でもあったのだろうと思う。世界混迷に陥っていても,達観ぶった“思想家”達は現状追認以上のことが出来なかった。私が現代思想批判してきた理由だ。

こんなことを言うと,少なからず,何も出来なくて何が悪い,世界のあり方についての言説なんて虚構だ,とイマドキ思想家現代思想かぶれ達には言われることだろう。

私はこう言い返す。出来なくて悪いこともなければ,出来て悪いこともないだろう。やらなくて悪いこともなければ,やって悪いこともないだろう。では虚構であることの何が悪いのか。新近代の創造,そこまでの虚構なら立派演待エンタメというものではないか。そんな面白いことが目の前にあってやってみない方が「現代風の考え方」という固定観念にとらわれているのだ。あなたがたは,知の不可能性に屈していたに過ぎない,と。

いま世界に必要なのは,新しい知の可能性を示し,この壮大な“演劇”を演じ切ることが出来る人間だ。

なぜ日本なのか

新近代化はいいとして,なぜ日本なのか,というのは先日の一日一文でも主題にしたが,その時は個人的心情を書くに留めた。私は,日本生まれ日本育ちの日本人だ。まず日本のことを考えるのに理由はいらない。

しかし,世界見渡し,日本だけではなく世界のためを考えた時,新近代化を起こすのが日本でなければならない理由がある。

まず,日本は現在,「自由民主主義」を標榜する先進国の中で,最も政治的安定性を保っている国だ。それも,落ちたとはいえまだ世界第3位の経済大国としてだ。これは驚くべきことだろう。

自由民主主義というのは,アメリカ筆頭にしたいわゆる「先進国」の体制だ。ざっくり言ってしまえば,かつてのソビエト連邦や今の中国と異なり,経済的にも政治的にも自由最大化しようとする体制のことだ。冷戦時代は「西側諸国」などとも呼ばれていた。

いま,この自由民主主義危機に瀕している。“自由な経済活動”が知識産業による脱工業化に赴く一方で,“自由な政治活動”は大衆反知性主義煽る政治家を生み出す。この不調和こそ現代政治最大の課題と言っても過言ではない。なぜなら,この問題に対する「独裁」以上の解決手段がまだ知られていないからだ。

言うまでもなく,この問題を反民主的強権体制で押さえ込み,ハイテク国家として日本を飛び越え,アメリカ猛追しているのが中国だ。中国の一応の成功は,冷戦を乗り越えた“西側”の自信を大きく揺さぶっている。

かつてアメリカと世界を二分していたソビエト連邦崩壊したのは,結局のところ資本主義民主主義が相対的に成功していたからだ。「自由でも国は上手く行く」ということが実証され続けていれば,独裁国家はその正当性を緩やかに失っていく。

反対に,「自由は国を分断する」と思われてしまえば,独裁国家は現体制を国民のためだと正当化することが出来る。特に英米政治危機以後,混迷する欧米の政治は独裁国家の権威を高めてしまっている。そればかりか,アメリカのような国にも独裁志向大統領を生み出してしまった。独裁者は外からも内からもやってくるのだ。

さて,ここで日本に再び目を移してみれば,「旧態依然とした衰退途上国」と評されがちな今の日本が,実は非常な好位置に付けていることが分かる。アメリカが持たない安定中国が持たない自由を辛うじて保っている国,それが日本だ。

つまり,日本には,分断を伴わない脱工業化,引いては脱近代化新近代化を実現出来る可能性が残されている。これこそ,「自由民主主義における最後の砦」として私が日本を重視し,ジパング計画推し進める理由だ。

歴史はそれが可能だと言う

とんでもないことを言っているように聞こえるかもしれない。しかし,驚異的速度近代化を成し遂げた明治維新自由民主主義を志向しながら成長平等を高い水準で両立させ,「最も成功した社会主義国」などと呼ばれてきた戦後……歴史を振り返れば,日本は,それに近い“とんでもないこと”を実現してきた国でもあるのだ。

日本人がいま仰ぎ見ているアメリカは,元はといえばイギリスの小さな植民地に過ぎなかった。そのイギリスも,大航海時代まではヨーロッパの辺境の島国に過ぎなかった。どこかの国に似ているとは思わないだろうか。実際,イギリスは産業革命まで江戸時代の日本と比べてもそう大きな国ではなかった。英語は,そんな彼らが世界中に広めた,彼らの母語なのだ。

そもそもヨーロッパ自体,近代化世界進出成功したから世界史の中心にいるような気がするだけで,それ以前の世界経済重心中国インドをはじめとするアジアにあった。

ルネサンスの三大発明」とされる火薬羅針盤活版印刷術起源が全て古代中国にあり,仏教など古代インド思想19世紀以後の西洋思想に大きな影響を与えたように,文化的にも決して遅れていたわけではない。中国もインドも「新興国」などと不名誉な呼ばれ方をしてきたが,本来は「再興国」とでも呼ぶべきなのだろう。

歴史を学んで分かることは,未来は常に創造的であり,決まったことなどないということだ。誰もが想像するように日本がこのまま衰退を続け,英語を学んで出稼ぎに行くのが当たり前の国になるか,それとも,米中を凌ぐ極大国ハイパーパワーとなり,日本語を世界中に広め,名実ともに世界の中心になるか,全ては日本人創造力次第だ。

一つ,日本人にとってこれまでと大きな違いがあるとすれば,今度は“先生”がいないということだ。誰かの後を追うのではなく,日本人自ら,かつて誰も踏み込んだことのない領域で,先頭を切ってらなければならない。現代政治最大の課題の前に,この日本最大の課題立ちはだかっている。

日本には何が足りなかったのか

いまの日本は決して悪い状況にあるわけではない。むしろ,「米中凌駕」を狙うには最高の環境にいる。そう見えるか,ただの衰退途上国に見えるかは紙一重だ。一見,今の日本にそこまでの成長力は無さそうだ。知識産業において成長力を生み出す「独創性」が無かったからだ。

この話は,「自分自身についての研究」という題で書いた独自性についての話から繋がっている。あの話を書き始めてすぐ,私の脳裏ではここまでのことが広がっていた。これに収拾を付けるために書いてきたのが一連の文章だ。

独創性というのは,奇を衒って人の注目を集めることではない。その程度のことが得意日本人はたくさんいる。世界が抱えている課題を,誰も知らなかったやり方,誰も出来なかったやり方で解決することだ。これが日本人には難しかった

日本人は「一人」がとても苦手だ。常に,似た誰かと一緒に動きたがる。「赤信号みんなで渡れば怖くない」というやつで,みんなと一緒なら大胆にもなれる。人の注目を集めるために変わったことをするのが得意な人も多い。要は「みんなでわいわい」しているのが大好きなのだ。

ところが,独創というのは,文字通りほとんど孤独な作業だ。独創的であるということは,人のたくさんいる街明かりから離れて,一人で真っ暗闇飛び込み,何か価値あるものを持って帰ってくるようなことだ。死ぬまで誰も認めてくれないかもしれない,誰も理解してくれないかもしれない,道なき道へ歩み出す。これが自分達にとっていかに困難なことかは,日本人自身がよく知っている。

これまでは,外国人が最初にやったことをみんなで真似していればよかった。これからは,日本人自らが未開の領域に踏み出さなければならない。しかし,誰から行くのか。誰もが周りを見て,後から付いていっても安全そうな流れが出来るのを待っている。だから誰も飛び出せない。これが日本の状況だった。「日本最大の課題」と呼んだが,大和民族における数千年来の民族性にまで遡る問題かもしれない。

もちろん,個々人の性格能力だけの問題ではないだろう。「世界金融危機は日本人の何を変えたのか」でも似たようなことを書いたが,疲弊した今の日本社会には,個人が自由好きなこと追求出来るゆとりは無いに等しい。かといって,一か八か打って出るしかないほど追い詰められているわけでもない。ちょうど,“無難正義”になってしまうような宙ぶらりん状況にある。

では一体,日本人はどうすればいいのか,と思うだろうか。別に,どうもしなくていいのだ。わざとらしく過去形強調したが,外国人の後を付いていくばかりの日本人像は,すでに過去のものとなった。希哲館事業が過去のものにしたのだ。

ジパング計画を含む希哲館事業は,私がほとんど自身の体験のみに基いた思想発明で始めた「世界初新近代化事業」だ。どのような哲学で,どのような世界目指し,どう実践していくのか,その全てを,独自体系化している。規模密度といい実践の水準といい,このような事業は世界に類を見ない。

そして,私も希哲館事業も日本生まれ日本育ちだ。不思議なことに,私は外国人先祖を知らない,いわゆる純日本人だ。日本から出たこともほとんどない。

これはつまりどういうことか。日本には,かつてアメリカを脅かすほどの団結力勤勉さを持った一億日本人と,アメリカ人にもいないような自由大胆な日本人が共存しているということだ。

手前味噌もいいところな結論だが,日本には希哲館事業が足りなかった。そして今,日本には希哲館事業がある。はすでに全て揃っているわけだ。あとはそれに気付く気付かないかの問題だ。

日本人は変わろうとしなくていい

日本人は云々,という巷の日本人論は,やたら欧米人礼賛して日本人してみたり,そうかと思えば,空想的に日本人を美化してみたり,いずれにせよ現実離れしたものが多い。論者世界観分断し,んでいるということなのだろう。

日本はなぜ繁栄し,なぜ衰退したのか」で書いた通り,私は,個人の性格であれ国民性民族性であれ,全てにおいて良い性格も全てにおいて悪い性格もないと思っている。

日本は,スティーブ・ジョブズのような史上最大級革新者を生み出せなかったが,ドナルド・トランプのような史上最大級嫌われ者を生み出すこともなかった。両者は性格においてそう遠くない。良くも悪くも平然我が道を行ける性格なのだ。

歴史上数々の大冒険成功させてきた欧米コロナ禍夥しい犠牲者を出す一方,日本行政迷走にもかかわらず感染拡大を抑えられていたのは,綺麗好き協調的慎重日本人の性格によるところが大きいと言われる。“臆病さ”も場面が変われば“慎重さ”になる良い例だ。

特に日本人のように自尊心が低く自己評価が極端に振れがちな集団にとって重要なことは,自分達の長所短所持っているもの持っていないものを偏りなく正しく知ることだ。外国の一面を真似て変わろうとしなくていいし,いまさら中途半端な外国かぶれになってどうにかなる状況でもない。自分達についてよく知れば,考えることやることも自ずと良い方に変わってくる。

自分がであることにも,近くに金棒が落ちていることにも気付いていない──私の目には,いまの日本人がそんな鬼のように映っている。自分のを知り,自分の武器に気付きさえすれば,まさに「鬼に金棒」だというのに。

一選万集元気玉

さあ,世界日本がいまどういう状況にあり,日本人はどこをどう目指すべきなのか,外堀を埋めるように語ってきたが,そろそろ本丸攻め方について具体的考えてみよう。

結論から言えば,日本飛躍を目指すのであれば,国全体で,基幹産業へのいわゆる「選択と集中」を徹底せざるをえない。その戦略において最大の問題は,新しい日本の基幹産業として何を選択するかだ。そして,選択すべきは知能増幅(IA)以外にない。

まず,集団としての日本人特性人口規模を考えた時,アメリカ型起業大国を目指すべきというのは経営戦略として下策と言わざるをえない。

アメリカは,日本よりずっと多様な人々が日本の倍を越える人口でいる国だ。多様性はともかく,中国の人口にいたっては日本の十倍を越えている。これに加え彼我の国民性の差を考えれば,鉄砲玉の数で勝負するような起業に向かわせるのは日本人無駄遣いだ。それで出来るのはせいぜいアメリカもどき,「米中凌駕」など到底叶わない。

日本人はばらけた時よりも固まった時に強い。この日本人の特性をどう活かすかと考えれば,選択と集中に向かわざるをえない。それも,米中を圧倒する極大国を目指すのだから中途半端ではいけない。日本の全てを一点に集中するような,「一選万集」とでも呼ぶべき究極集中戦略が必要だ。

80年代以後に漫画を読んで育った世代には,「元気玉方式」というのが一番分かりやすいかもしれない。

選択と集中は本質的に「賭け」だ。近年,この戦略批判的に捉える論調も目立つようになったが,多くの場合はここを誤解しているのではないかと思う。日本人はその賭けが苦手で,保険をかけることに多くの経営資源を費やしてきた。だから冒険をしなくてはいけないと言っている時に,怪我したからやっぱりやめよう,というのでは何も変わらない。

選択と集中における失敗とは,「集中の失敗」ではなく「選択の失敗」だ。失敗したから集中をやめようというのが日本人なら,別のものを選択してまた挑戦してみようというのがアメリカ人なのだ。

当然,「元気玉方式」では全てをかけるのだから,万が一にも外せない。逆に言えば,万が一にも外さないことなら全てをかけてもいいはずだ。いっそのこと,そこまで突き詰めてしまった方が日本人は乗りやすいかもしれない。

何を選択するか

ここまで来れば,問題は一点に絞り込まれる日本の全てをかけてもいい基幹産業として何を選択するべきかだ。

内閣府ムーンショット型研究開発制度では,人工知能をはじめとする,いまや世界中猫も杓子も語っているような路線で「破壊的イノベーション」が語られている。残念ながら,すでに米中桁違い投資先行する分野後追い以上のものにはなっていない。もっとも,民主主義における政府の役割は,みんなの意見集約することであって,誰も理解出来ないようなことを勝手にやり始めたら独裁だ。それはそれで仕方ない。

これは日本人にとって極めて難しい問題だったが,私は,何の迷いもなく,「知能増幅(IA: intelligence amplificationだと即答出来る。知識産業にとって最も根源的役割を持ち,まだ十分に知られていない未開の領域で,日本人である私が「世界初の実用的な知能増幅技術」(デライト)を完全に保有しているからだ。

このような話になると,日本が誇るゲームアニメ漫画があるじゃないか,という人も多い。もちろん,これらも素晴らしい日本の文化で,重要な産業ではあるが,基幹産業というには心許無い

馬鹿にしているわけではない。例えば,日本製のゲーム作品なんて,ほとんど人間業の限界といっていいくらい洗練されていると思う。長年,世界中人気もある。では,任天堂をはじめ日本のゲーム会社がどれだけの規模成長しているのかというと,その偉業の割に目を疑うほど小さい。これ以上頑張りようがある気がしないのだ。

これには少し個人的心当たりもある。私は80年代生まれで,人並みにゲームアニメ漫画に囲まれて育ってきた。ただ,大人になってからはこれらの分野にほとんどを使っていない。時間が無いからだ。それで困るかというと別に困ってもいない。つまり,後回しにされがちな分野だ。

GAFAMGoogleAmazonFacebookAppleMicrosoftというのは,いわば“新しい生活必需品“を作っている企業だ。ゲームが出来なくても私は困らないが,Google 検索Amazon が使えなくなれば困る。支配力という点ではやはり比較にならない。

日本にはスティーブ・ジョブズのような起業家がいない」という話になると,例えば,「日本には任天堂の故・岩田聡氏がいるじゃないか」というような反論の仕方をする人がいる。感情としてはよく分かる。岩田氏に限らず,日本には各界にそれぞれ素晴らしい経営者技術者がいる。一概に優劣を付けることは出来ない。

そんなことは大前提とした上で,なぜこういう話でジョブズやゲイツが引き合いに出されるのかといえば,世界経済牽引するアメリカ代表する企業を創った人々だからだ。その文脈として,日本経済長期停滞がある。その意味で,やはり彼らに比肩する日本人はまだいない,というのが現実だ。

もう一つ,日本人がやりがちな議論として,「GAFAM もジョブズもゲイツもアメリカでしか生まれていないのだから,日本だけを問題にするのはおかしい」というものがある。一見もっともらしいが,これもよく考えるといい加減な理屈で,かつてアメリカとしのぎを削った日本で情技産業が育たなかったという話と,例えばアフリカ発展途上国で情技産業が育たなかったという話は同列に語れない。

日本人言葉遊びで気を紛らわしている内にも,中国GAFAM肉薄する企業を作っている。私はやはり,日本人にはこの問題に真正面から挑戦する強さを持ってほしいと思う。

黒船返し」は知能増幅

こんなことを散々考え尽くし,私が辿り着いたのが知能増幅という分野だ。人間知能技術的増幅しようというもので,昔から学術的には認知されているが,人工知能とは世間的な認知度話題性市場規模において雲泥の差がある。

その大きな理由として,実用化の見込みが全くないということがあった。例えば,チップを埋め込むとか,遺伝子を弄るとか,そういう SF じみた空想から何十年ものあいだ抜け出せていなかった。これでは,技術的にどうというより,やりたがる人を見つけるのが難しいだろう。

私は,この知能増幅と,いま NotionRoam Research といったサービス注目されつつあるメモサービスを結び付け,「知能増幅メモサービス」という形で触れる知能増幅技術開発した。それがこのデライトだ。

知能増幅技術は,人工知能も含めて,人間の知性が生み出すあらゆる産物寄与するという意味で,知識産業における最も根源的機関エンジンといえる。これを利用して日本で「知識産業革命」を興し,新近代化推進力にしようというのがジパング計画だ。

そしてこれは,人間知的生命体である限り,半永久的意義が失なわれることのない技術だ。日本人の粘り強さを活かすにはもってこいだろう。「日本の全てをかけてもいい基幹産業」として,私が想像しうる最大限現実解だ。

私はたまに,「自分が GAFAM の完全な経営権を与えられたらどうするか」という思考実験をしてみることがある。結論はいつも変わらない。「全ての事業を売り払ってでも知能増幅技術開発注ぎ込む」だ。WindowsMaciPhoneGoogle 検索AndroidYouTubeAmazonFacebook……これまでのあらゆる情技製品よりも知能増幅技術に可能性を感じるからだ。

またとんでもないことを言っているようだが,これが米中凌駕実現するような革新的技術具体的想像するということなのだと思う。

日本人近代化とは何かを知らしめアメリカ黒船来航からおよそ170年,いまこそ,世界に類をみない一億総知能増幅」の新近代国家で「黒船返し」をする時なのだ。

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{自分自身についての研究 K#F85E/A-E74C-7BFB}

この一日一文という日課再開してから改めて強く感じることは,私にとって最大の関心事は私自身だということだ。

確かに,釈迦孔子ソクラテスキリスト……その他高名歴史上思想家達の思想生涯よりも,自分自身が体験した「閃き」の方が私には気になる。あの閃きの起源真の可能性探究することが生涯の仕事になるのだろうと思う。

10代の頃から世界中思想について情報収集してきたが,ほとんど自分自身の体験だけを元にここまで思想展開し,独自の技術まで開発している人間なんて他には思いつかない。「独創的」という日本語賞賛に近い響きを持っているので自分で言うのはすこし憚られるが,「世界で最も独自的な思想家」くらいのことは言っても許されるだろう。

もっとも,“独自性オリジナリティ”というのもここまで来ると実際病気に近いものがあり,一概に褒められたものではない。この独自性のせいで自殺を考えるほど悩んだこともあるし,この独自性から生み出したデライトはその独自性ゆえに苦労しているわけだ。私が希哲館事業を「精神の癌」と呼んできた所以だ。


それでも,私がこの極端なまでの独自性に希望を見出しているのは,しばしば「独自性の欠乏」を指摘される日本で,閉塞感突破口を一つでも多く作りたい,という思いがあるからだ。

日本は紛れもなく“個性的な”だ。外国人は,お世辞もあるだろうが「日本人ユニークだ」などと言ってくれる。ただ,日本人自身は,その個性の大半が,個人によるものではなく,みんなで同じことをやっていたら世界的には珍奇なことになっていた,という類のものであることを知っている。ガラパゴスというやつだ。

思想哲学分野で昔からありがちな日本人批判に,外国思想思想家についての研究者は多いが,独自の思想を持つ日本人がほとんどいない,というものがある。日本人がやっているのは「哲学」ではなく「哲学学」に過ぎないのではないか,というわけだ。

これはいまだに重い問いだと思う。「日本の個性的な思想家」というと,武士道やらやら外国人東洋趣味に訴えるような人であったり,サブカルのような「隙間」で活躍する人ばかりが思い浮かぶ。世界史ど真ん中で,例えば,ルソーカントマルクスなどと肩を並べられる日本人思想家が一人でもいるか,という話なのだ。

私は,10代の頃から哲学情報技術の両方に関心を持っていたので,日本の情技(IT)業界にも同じような「日本病」があることに,割と早く気付いた。

情技業界でも,やはり外国から来た技術流行について日本人敏感で,非常に勉強熱心だ。知識量では決してアメリカ人に負けていないだろう。ではなぜアメリカにここまで水をあけられているのか。外国人が作ったものを勉強することは出来ても,世界中で勉強されるようなものをなかなか作り出せないのだ。

こんなことを言うと,特定分野で一応世界的に名の知られた日本人を引き合いに出して反論したくなるかもしれない。しかし,これも先の思想家についての問題と同じで,ではジョブズゲイツのような経営者ドナルド・クヌースケン・トンプソンのような技術者と並び称される日本人が一人でもいるだろうか,と考えてしまうと,残念な結論しか出ない。

あの凄いアメリカ企業出世した,あの凄いアメリカ人知り合いだ,この業界での「凄い日本人」の話は大抵こんなものだ。気休めを言ったところで,彼我歴然たる差は認めるしかない。


ただの日本人批判をするつもりはない。

私は,個人性格にも,いわゆる国民性にも,一概に優劣をつけることは出来ないと思っている。実際,日本人は,この日本人らしさで,一番ではないにしても十分な成功を収めてきた。しかし,向き不向きはある。今の日本人は,明らかに知識産業には向いていない。これからの知識産業時代適応出来ない。ではどうすればいいのか。

やはり,日本人自身が,日本から世界に向けて,「誰も投じたことのない一石」を投じなくてはならない。成功するにせよ失敗するにせよ,希哲館事業もその一石には違いない。だから,少なくとも希哲館事業が日本にある限り,日本にはまだ可能性がある,と私は思えるのだ。

アメリカ人は,ぼろぼろ吊り橋を平気で渡っていく。日本人は,それをずっと後ろの方で様子見して,石橋が出来てからそれを叩いて渡る。これでは勝てないのが情技産業知識産業だ。

世界のど真ん中で,誰もやらなかったこと,誰もやれないことを誰よりも先にやり,誰も見たことがないものを誰よりも先に見る。いま日本が必要としている“独自性”というのは,突き詰めればそういうことなのだと思う。

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{ジパング計画について K#F85E/A-E74C-8DCA}

希哲館提唱推進する日本の産業政策に「ジパング計画」がある。その最大の特徴は,人工知能仮想通貨といった“流行トレンド”ではなく,「知能増幅(IA: intelligence amplification中心に据えている点にある。

その目標は,知能増幅技術による知識産業革命を起こし,いわゆる GAFAM を大きく凌ぐ日本企業創出日本世界史上最大の極大国ハイパーパワー導くことだ。この日本を模体モデルとして,自由共存する新しい国際秩序を創っていく。

この構想可能にしたのは,言うまでもなく「世界初の実用的な知能増幅技術」であるデライトデルン)だった。デライトは,いわゆるメモサービスから知能増幅サービス知能増幅メモサービスへの発展可能であることを理論化実証した世界初でもある。

知能増幅という概念は昔からあるものだが,人工知能に比べ話題性に乏しかった理由は,実用化の目処が全く立っていないことにあった。例えば,チップを埋め込むとか,遺伝子を弄るとか,現実には多くの人に受け入れられそうにない空想的構想がほとんどだった。それを容易に触れられるものにした,という点に知能増幅技術としてのデライトの革新性がある。


この「ジパング計画」という名称にも面白い仕掛けがある。

昔,テッド・ネルソンという人が始めた「ザナドゥ計画」というものがある。世界で初めて「ハイパーテキスト」という概念提示し,いま我々が使っているワールド ワイド ウェブ原型となった構想だ。

勘報機コンピューターにおける情報概念革新をもたらそうとしながら頓挫した例として,ビル・ゲイツが提唱していた WinFS とともに私がよく挙げていたのがこのザナドゥ計画だった。デライトは,その志を継ぐものでもあった。

ザナドゥ」というのは,本来はモンゴル帝国上都のことだ。マルコ・ポーロ『東方見聞録』で広めてから,ヨーロッパでは「東洋理想郷」に近い意味を持つようになった。

同じ『東方見聞録』に由来するのが,日本人にはお馴染みの「黄金の国ジパング」だ。当時の日本と思われる国が,をよく産出するきらびやか島国として伝えられた。これが「ジャパン」など外国語日本を指す言葉の由来だとされている。

残念ながら,今の日本知識産業で出遅れ,アメリカとの差は開く一方,中国にも追い抜かれ,“衰退途上”と言われる状況にある。

そんな日本を,古の伝説をなぞるように,「知の黄金郷」にしてみせようではないか。「ジパング計画」とは,日本の歴史勘報コンピューティングの歴史交差点に付けられた名前なのだ。

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{希哲館事業についての漠然とした思い出 K#F85E/A-E74C-7347}

最近,思い出話のような一日一文が続いているので,どの部分についてでもなく,希哲館事業全体についての思い出を書いてみたくなった。漠然とした思い出話を成り行き任せで書いてみよう。

思えば,17歳の時に輪郭法閃き,もう30代半ばだ。輪郭法の閃きが希哲館事業の原点で,大人と言える年齢18歳だとすれば,少年時代の最後から今にいたるまで,私はこの事業とともに歩んできたことになる。閃き以前より以後の人生の方が長い。そういう意味では,“人生そのもの”と言っても過言ではない

もっとも,スポーツのような分野ならともかく,実業研究のように蓄積が物を言う世界10年20年なんて大した歳月ではない。ひよっこに毛が生えたようなものだろう。そう考えると,20年足らずでよくここまで来れたものだ,という気もする。


輪郭法というのはデライト基礎にもなっている理論で,認知機能を「立体階層構造」として勘報(コンピューティング)利用出来るように形式化するものだ。

これが情報技術を大きく変えうるものである,とすぐに気付いた。そこまでは良かった。それだけなら,ビル・ゲイツのように大金持ちになって万歳,というだけの話だ。

この理論とその応用技術はそれだけでは終われない,ということに気付くのにも時間はかからなかった。これは人類のあり方を一変させる技術になる……後に「世界初の実用的な知能増幅(IA)技術」という言葉で表現することになるこの技術は,明確な哲学に基く「新近代化事業」の一環として捉える必要がある。希哲館事業構想の始まりだ。

その当時とは比べ物にならない経験知識技術資産を持つ今ですら,この構想の全体について考えると気が遠くなりそうだ。当時の私が背負えるわけもなく,当然ながら精神的混迷に陥った。


それからなんだかんだあり,希哲6(2012)にはデルンが出来,希哲館事業構想成熟し,希哲館訳語のような蓄積も出来,昨年にはデライトも始めることが出来た。そして今,デライトの成功目の前だ。

家族からデライト用者ユーザーにいたるまで,多くの人に助けられて今がある。これだけの構想を背負って,晴れ晴れとした顔でのうのうと暮らせているだけで奇跡のようなことだろう。

これからも感謝とともに歩み続けよう。

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{一日一文}{発明の祖母}{WinFS}{テッド・ネルソン}{ザナドゥ計画}{発明}{シンメディア}{ビル・ゲイツ}{技術}{公開}...=}(11)

{発明の祖母 K#F85E/A-5B28-DB42}

私がデルン実用化成功してから,気付けばもう7年も経つ。

デルン(deln)とは,ここ四半世紀大きな変化が無いウィキブログに代わる CMS の形態として私が独自に研究開発してきたものだ。その特徴は,輪郭法(delinography)という理論を応用して,膨大な情報輪郭を掴み,あらゆる種類の情報を縦横無尽に結び付けられることにある。人間の情報処理能力を飛躍的に向上させ,社会全体の知的生産性を高め,無知に基く不和を解決するための技術だ。

情報技術(IT)の歴史において,「情報の垣根を無くす」ということは,常に最大の課題であったと言える。この観点から,私はデルンをよくザナドゥ計画WinFS と比較している。

ザナドゥ計画は,情報技術の先駆的な理論家テッド・ネルソン氏が1960年に始めた世界初のハイパーテキスト開発計画で,現在の WWW に大きな影響を与えたものの,本来の計画は事実上失敗した。50年以上経ってからウェブ上で動作する OpenXanadu として公開されたが,まだ実用的とは言い難い状態にある。

WinFS は,Windows の次世代ファイルシステムとして,マイクロソフトビル・ゲイツ氏自身が開発を指導したが,これも理想通りにはいかず,2006年には中止された。これもやはり,取り扱い上の制約が多いファイルを縦横無尽に交換検索・利用出来るようにしようとした試みで,私はこの種の技術をハイパーメディアにちなんで「ハイパーファイル」と呼んでいる。

デルンは,このハイパーメディアハイパーテキスト)とハイパーファイルを統合した「シンメディア」(symmedia)という位置付けになる。CMS を足がかりとして,将来的にはファイルシステムに統合することを見据え,部分的な実験にも成功している。デルンもまだ十分とは言い難いものの,少なくとも実用化に成功し,開発が軌道に乗っているという意味では,ザナドゥ計画と WinFS を凌いだと自負している。

しかしながら,この事実は,私自身にとっても奇妙に思えた。普通に考えれば,この分野では有数の研究者であるネルソン氏,言わずと知れた20世紀最大の柔品(ソフトウェア)企業であるマイクロソフトと長年世界一の富豪だったゲイツ氏に出来なくて,私に出来るわけがない。7年前の私は,論組プログラミング)の勉強を本格的に始めてからわずか6年ほどの,技術者としては素人に毛が生えたようなものだった。

規模の差こそあれ,これらに類似した技術も無かったわけではない。ただ,全てに共通して,なぜか開発が盛り上がらない。人間の知的な能力を人工知能等に頼らず向上させる,一種の「知能増幅」技術であり,重要性は明らかだ。それにもかかわらず,世間はそれほど関心を抱いていないように見える。私にはこれが不思議だった。

そんなことばかり考えていた時,ふと気付いたことがある。ネルソン氏もゲイツ氏も,この技術開発に成功する前に地位を確立した人だ。彼らにとって,この技術は「あったらいいもの」でしかない。私はどうかといえば,17歳の頃にデルンに関する閃きを得てから,デルンを中心に希哲館事業を開拓しようとしてきた。この種の技術は「なくてはならないもの」だった。もし彼らに出来なくて私に出来た理由があるなら,これしか考えられない。

そしてこの種の技術一般の開発が続かない理由は,簡単に言えば需要が無いからだ。考えてみると,よく指摘される現状の WWWファイルシステムの不完全性は,ほとんどの人にとってどうでもいいことだ。そもそも多くの人は,ザナドゥ計画や WinFS が必要なほど複雑で多量の情報を扱っていない。この種の技術を切実に必要としているのはごく一部だ。苦労して開発したところで,商業的価値は高が知れている。

必要は発明の母」というように,私にとっての切実な必要がデルンを生み出したのは間違いない。しかし,その必要は何から生まれたのかといえば,私の世界観から生まれたものだ。これはいわば「必要の母」であり「発明の祖母」だ。

デルンの普及を推進しようとすれば,やはり多くの人にその必要性を認識してもらわなくてはならない。その必要を生み出す世界観をいかに共有してもらえるかが重要になってくるのだろう。

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