{持ち越す}{一日一文}{日本はどう逆転するか}{鍛え上げられた}{執筆作業}{1万字}{563輪}{希哲15年6月30日17歩}{希哲15年6月30日の開発}{デルン史上最長文}...=}(42)

{希哲15年6月30日の日記 K#F85E/A-E74C-59CA}

,少し迷ったが,どう頑張っても今日中に終わりそうにないデラング文書整備に対し,頑張れば何とか終わりそうということで一日一文日本はどう逆転するか」を書き上げることに専念した。

来月に引き摺ると開発りそうでもあり,とにかく,精神衛生的に持ち越したくない一心でひたすら書いた

結局,26時過ぎにようやくまとまった

この時点で前景輪563輪デラング処理後文字数1万字近くと,記憶にある限りデルン史上最長文となった。17歩以降記録していないが,単純計算30歩は越えただろう。

開発でも執筆作業から得た進展があり,私自身もデライトもだいぶ鍛え上げられた献典整備という点でも大きな画期になりそうだ。

第三次生活習慣改善後,恐らく初めての深夜までの作業だったが,本来なら追い込みの時期だ。27時に寝られれば十分だろう。

7月1日振り返り日記

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{希哲15年6月18日の日記}{うっすら}{見返す}{出典記法}{折り畳み記法}{差分記法}{注意書き記法}{希哲15年6月18日}{自己累新}{描写埋め込み}...=}(51)

{希哲15年6月18日の開発 K#F85E/A-E74C-080F}

デラング整備埋め込み部区実装,その他記法仕様検討など。

気になっていた細かい不具合修正を済ませ,描写埋め込み拡張子のみでの添付譜類ファイル参照実装に入れた。


ひょんなことから,急速定表テーブル記法実装方針が出来た。

最近の輪郭整備月庭の公開描出見返すことが多くなり,何となく「C++ウェブ開発向けライブラリ」を見ていると,どうも定表記法らしいものを使っていることに気付いた。昨年デライト公式デルン初描出の日として参照していたが,その時はデラング整備視野に入ってない頃だったせいか気にしなかった。

すっかり忘れていたし,DIL 0.2交度にも残っていないので,DIL 0.1 か,そんな概念もないデルン最初期実験的実装して間もなく自然消滅したのだろう。

そんなことを考えていたら,当時の実装記憶うっすらり,するする実装方針が出来上がった。1日もあればそれなりの形になりそうだ。これも自己考古学自己累新ルネサンスか。

定表記法は個人的にあまり使う機会が無く,デラング整備でも後回しにしてきた。とはいえ,標記マークアップ言語では目立つ記法の一つなので,これが出来ないことにはデラング整備を終えるわけにもいかない,というところだった。これで一気にデラング整備の終結が近付いた。


これをきっかけに,注意書き記法折り畳み記法差分記法出典記法などその他細々とした記法仕様検討も進んだ。

{一日一文}{希哲15年6月の一日一文}{SNS 嫌い}{社交辞令}{社会的行為}{腑に落ちた}{最高の誉め言葉}{容姿が良い}{喧嘩が強い}{学校の勉強}...=}(113)

{誉められて嬉しかったこと K#F85E/A-E74C-5C5B}

私には,誉められ嬉しいと思った記憶がほとんど無い。誉められるのは,どちらかといえば苦手なくらいだ。先日の一日一文では私の独特な金銭欲について書いたが,これは私の独特な名誉欲かもしれない。

なぜ誉められても嬉しくないのかと考えてみると,そもそも幼い頃に自尊心完成されてしまっていた気がする。自尊心に欠けているところが無いので,いわゆる承認欲求的な感情も無い。

誉め言葉をもらっても,すでに満杯に余計なものを注がれているような感覚で,こぼれたのを拭くのが面倒になる。それが社会的行為である以上,例えば,謙遜して見せなければならないとか,こちらも社交辞令で返さなければならないとか,新しく得たものも無いのに“対応”を求められるわけだ。

私の SNS 嫌いもこんなところから来ている気がする。好意的反応をもらうことはもちろん「ありがたい」と思うし,仕事であれば必要なことでもあるが,個人的心情としては嬉しさより面倒臭さを感じてしまうことが多い。

誉められて嬉しくないのだから,貶され悲しいこともない。むしろ,他人が顔をしかめるようなことをしていた方が,自由を感じることが出来て面白いとすら思っていた。

子供の頃からこんな性格だが,大人になってからも,名誉ある地位に就きたいとか,ナントカが欲しいとか,テレビネット有名になりたいとか,そういう感情を抱いたことが無い。

日ごろ私の活動を見ている人なら納得出来るのではないかと思う。希哲館事業は,誰の肯定神託必要とせずに自分のやることに絶対確信を頂き,この上ない充実感を得て生きる人間がここにいる証拠なのだ。

私には,自分で作った「初代希哲館執務長」が,どこの国の君主首脳肩書きよりも,ノーベル賞よりも名誉に感じられる。だからこれ以上の名誉は一切不要だ。

これも病気といえばそうかもしれないが,SNS などの発達で,名誉欲承認欲求に人生を狂わされる者が無数にいることを考えると,「健全」とは何か,考えずにはいられない。


そんな私にも,人生で一つだけ,誉められて嬉しかったことがある。

恐らく4歳5歳頃だ。保育園で,はさみを使って工作のようなことをしていた。何か工夫をして,上手いこと出来たな,と思った時,保母さんが「ひろくんはアイデアマンだね」と言った。この時のことがなぜかずっと,鮮明記憶としてある。そして定期的に思い出す

当時の私に「アイデアマン」という言葉の意味が分かったとも思えないが,自分は何か工夫をすることが得意なんだな,ということくらいは体験として分かっただろう。もしかしたら,言葉が分からなかったから印象的だったのかもしれない。これもカセット効果という奴だろうか。

その後,私は,トーマス・エジソン憧れたり,信長でも家康でもなく秀吉好き少年に育っていく。子供ながら,発明とか発想価値を感じていたのだろう。

そして17歳の頃に輪郭法き,デルンデライト開発して今にいたる。確かに,これ以上価値あるものが今の私には想像出来ない。

頭が良いと誉められて学校の勉強を極めても,運動が出来ると誉められてスポーツの世界に行っても,容姿が良いと誉められて見た目を売りにするような世界に行っても,もちろん,喧嘩が強いと誉められてヤクザな道に入っても,今の私にはならなかっただろう。

私にとって最高の誉め言葉があるとすれば,やはり「アイデアマン」以外考えられない。この文章を書きながら,三十年来,心のどこかに引っかかっていたものがようやく腑に落ちた

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{一日一文}{日本のネット文化}{終戦直後}{日本の独自性}{世界一“面白い”ネット献典コンテンツを……という誤算}{外来語翻訳}{ギブ・ミー・チョコレート}{盤本}{英語}{ネット人口}...=}(56)

{世界金融危機は日本人の何を変えたのか K#F85E/A-E74C-1766}

先日の一日一文世界一“面白い”ネット献典コンテンツを……という誤算」でも希哲館事業ネット文化すれ違いについて書いたが,これは恐らく,単にネット人口が増えたことだけが原因ではない。

希哲館事業が発足した希哲元(2007)というのは,日本人には「リーマン・ショック」でお馴染みの世界金融危機が始まった年でもあった。

振り返ってみると,確かにこの時期,日本社会にも大きな雰囲気変化があったように記憶している。テレビでもネットでも社会の先行きに対する悲観論一色だったが,個人的に興味深いのは,ネット文化変質だ。

この頃まで,例えばいま希哲館でやっている外来語翻訳であったり,独自の応司(OS)開発といった,日本の独自性強化しようという活動ネット散見されるものだった。

しかし,世界金融危機を境に,その気運が一気に萎縮してしまった印象がある。「長い物には巻かれよ」「寄らば大樹の陰」と言わんばかりに,英語アメリカ製盤本プラットフォームへの追従がよしとされるようになった。「ギブ・ミー・チョコレート」ではないが,いま思えば,終戦直後雰囲気に近かったのかもしれない。

不況ということは,企業に金が回らなくなり,何をするにも予算が減り,にあぶれる者が増えるわけで,独自性主体性なんてものは“贅沢”になる。生き残るためには自尊心より費用対効果コスパだったのだろう。

今の希哲館事業は,元気希望野望に満ちていた頃の日本のネット文化温存しているとも言える。ここから再びそんな気運を盛り上げていきたい。

{一日一文}{希哲15年5月の一日一文}{マイ文明}{自作民族}{文明の利器}{自作文明}{希哲文明}{デルンの実用化}{希哲6年}{希哲民族}...=}(27)

{オリジナルの文明を作るには K#F85E/A-E74C-D3F7}

希哲館事業を一つの新しい「文明」として私が認識し始めたのはいつだったか。デルンの実用化を果す希哲6(2012)頃には「内なる文明」とか「腫物文明」とか言っていた記憶があるので,デルンという“文明の利器”の存在は大きかったのだろう。

新現代思想構築し,希哲紀元を作り,大和民族から「希哲民族」をスピンオフさせたりまでした。実際,ここまで独自性を高めると「希哲文明」としか言いようがない。

ここまでのことをして自作文明自作民族を持っている人間は世界中見渡しても他にはいないだろう。そんな希哲館事業でなければ,「イデオロギー定食」という発想も無かったはずだ。

(途中で何が書きたかったのか忘れたのでこの文章『道草録』に入れないが,消すのも惜しいので残しておく)

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{記憶}
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