{希哲館}{希哲が自由の要}{希哲館事業}{希哲元年}{一日一文}{開発}{希哲紀元}{西周}{デライト}{希哲15年5月の一日一文}...=}(67)

{「希哲館」の由来 K#F85E/A-5B28-15EB}

先日の一日一文なぜデライトに希哲館事業が必要だったのか」でも書いたように,デライト希哲館事業一環として開発されている。

今日は,この「希哲館」という命名に関する思い出話でも書いてみようと思う。


14年ほど前にこの事業を始める時,まず考えたのは,事業の理想をどのような言葉表現すべきか,ということだった。後からコロコロ変えたくなかったので,半永久的に使うつもりで徹底的考え抜いた

最初に思い浮かんだ言葉の一つとして強く記憶に残っているのは「自由」だ。希哲館は「自由館」だったかもしれない。

ただ,これでは何かが足りないと感じた。当時の私は,この「自由」が現代においては意味を失いつつある,と感じていた。かつて,「自由」を掲げることに意味があったのは,「自由の敵」が割と明確だったからだ。しかし,いま重要なのは,何によってどのように自由を守るのか,ということだ。「自由」だけではその回答にならないのだ。

もう一歩踏み込んだ表現を見つける必要があった。それが「希哲」だ。西周という人物がむかし考えたフィロソフィー翻訳語に「希哲学」というものがある。これが変化して今でいう「哲学」になった。失われた「」を取り戻し,フィロソフィーを万人共有出来る理念にしたい,と考えた。誰もが賢哲にはなれないが,意志さえあれば誰でも希哲の人にはなれるからだ。

つまり,知を希求することフィロソフィーこそ,これからの自由になる。それが「希哲館」の名にこめられた思いだ。

それから10年以上経ち,反知性主義先進国課題として認識されるようになった。知識産業隆盛する一方,選り人エリート大衆の溝は広がるばかりだ。「希哲」は,万人が知の恩恵を受けられる社会を築くためのだ。


……「希哲館」の命名に関してはもっと色々な話が出来るのだが,一日一文で書くには長過ぎた。

例えば,なぜ「」を付けたのか,という話もある。希哲堂希哲院希哲荘希哲庵希哲亭……などという案があった。

偶然にも kitetu.comキテツコム が希哲館のドメインハックになった話,「希哲」がそのまま希哲紀元年号になった話も書きたかったが,また今度にしよう。

{希哲館}{希哲13年6月7日}{希哲13年6月7日のツイスト}{ツイスト}{希哲学}{ソクラテスの死}{人類}=}(7)
{希哲13年5月13日}{希哲13年5月13日のツイスト}{ツイスト}{希哲学}{日本}{学校}=}(6)

{あれK#F85E/A-5B28-2720}

日本希哲学(フィロソフィ)が発達しないのは簡単な話で,学校しかり,自分の考えではなくとにかく周りに合わせて行動することが叩き込まれるのだから,自分の思考を深化させる文化が育つわけはない。

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{希哲館}{希哲13年4月17日}{希哲13年4月17日のツイスト}{想品産業}{ツイスト}{希哲学}{論理実装主義}{哲学}=}(8)

{あれK#F85E/A-5B28-B9D4}

先日「私の本分は哲学にある」と述べたが,想品(ソフトウェア)開発希哲学(フィロソフィ)の手段として言論が商業主義に冒されることを防ぎ,なおかつ莫大な富と影響力を得られることに気付いたのが結局私の一番の発明なのではないかと思う。現代最強の産業である想品産業で革新を生み出すには哲学が必要になることまで踏まえれば,仮に希哲館事業が失敗したとしても,方法論としては不朽の価値がある。

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{印迫}{デライト}{希哲13年3月12日}{希哲13年3月12日のツイスト}{ツイスト}{希哲学}{希哲社}{総合力}{サービス}=}(9)
{希哲13年1月22日}{希哲13年1月22日のツイスト}{ツイスト}{フィロソフォン}{希哲学}{知識産業}=}(6)

{あれK#F85E/A-4686-2F99}

これは希哲学の歴史から考えると,ものすごい進歩だ。なにせ,近代化以降,無用の学問とされてきた希哲学への扉を万人の掌に開き,しかもそれが脱工業化知識産業化と結合した史上最大の富の源泉につながっているというのだから。実現すれば人類史を前後に二分する大画期だ。

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{デライト}{希哲13年1月22日}{希哲13年1月22日のツイスト}{ツイスト}{フィロソフォン}{希哲学}{スマートフォン}=}(7)
{希哲学}

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