{デライター}{希哲16年7月の一日一文}{デライト}{一日一文}{気長に待つ}{迎えている}{今後も}{ちょっとした文章}{筆が進まなくなる}{一編}...=}(597)

{デライトの歩み K#F85E/E74C-09D2}

デライトは,今年の2月13日2周年迎えたばかりの若いサービスだ。しかし,その背景には長い長い歴史がある。詳しく書く書籍数冊分くらいにはなるだ。デライトの完全な成功目前にした良い頃合いなので,駆け足振り返ってみたい

輪郭法閃き

技術としてのデライトは,私が17歳の頃,主に哲学情報学への関心から「輪郭法」を閃いたこと始まる2002年,もう20年前のことだ。デライトにおける輪郭法応用については,「デライトの使い方の考え方」で出来るだけ簡単に解説したつもりだが,本来の輪郭法は,“輪郭という概念中心にした世界の捉え方”であり,哲学用語でいう「弁証法」に近い位置付け概念だ。

このアイデアが,哲学上の理論留まらず極めて実践的で,極めて強大技術になりうることに気付くのに時間はかからなかった。これを応用することで,計算機科学における長年最重要課題解決し,知能増幅(IA)技術の実用化つなげることが出来る参考。すでに IT 産業勢い明らかだった当時,これは“世界史上最大の成功”と“知識産業革命”への道が開けたことを意味していた

さらにアメリカ同時多発テロ事件起こって間もない頃だ。後の英米政治危機世界に広がる社会分断SNS暴走,そして目下のウクライナ侵攻予感させる事件だった。

あらゆる争い背景には,世界の広さ対する人間の視野の狭さと,それによる“心の分断”がある。当時から私はそう考えていた我々は,世界の一部分それぞれ立場から見ている過ぎない立場違えば見える世界違う。その衝突回避出来るとすれば,個々人世界に対する視野広げるしかない。輪郭法応用技術にはその可能性があると感じていた。この考え方現在の KNS という概念つながっている参考

葛藤

この閃き止まるところを知らなかった17歳少年人生観世界観も,何もかも瞬く間に作り替えてしまったこの閃きをどこまで大きく育てられるか,それだけを考える人生になった。適当に金に換えることも出来たかもしれないが,世界にかつてない平和豊かさもたらす手に入れたようなものだ。中途半端な売り物にすることなど,現実には考えられなかった能う限り最高の状態世に出さなくてはならないと思った

もちろん最初はとんでもない宝くじに当たったような気分だった。天にも昇る心地とはこのことだろう。どんな人生の喜びも,この喜びには勝るまい少しばかり時間が経ち,冷静になるにつれ,呪いのような重圧苦しむようになった。

理論技術として完成させられるかどうかは時間の問題だと考えていた本当の問題その先にあった。地動説にせよ進化論にせよ,世界の見方大きく変える考えには無理解反発付き物だ。常識を越えた考えであればあるほど,その大きくなる。どれだけ努力しても,死ぬ前認められることはないかもしれない。当時私はエヴァリスト・ガロアのように生涯を閉じるのではないかと想像していた偉大な発見をしながら夭折し,死後何十年ってようやく評価された数学者だが,なんとなく親近感覚えていた

そして,技術良い方にも悪い方にも利用されるものだ。これが「世界初の実用的な知能増幅技術」になるとすれば,最初に使うであろう私は世界初のトランスヒューマン超人間」になる。全人類模範となって,人々未踏の領域へと導く……自分がそんな重責を担える人間だとは,まるで思えなかった能力ともかく昔から自分の人間性全く信用していなかった

無論,そんな自信20年ほど経ったいまでも無い。それでもここまで来たのは,曲がりなりにも出来そう人間自分以外にいなかったからだ。何もしないよりは,挑戦して失敗例残す方が良い。それに,一度ここまでのことを考えた人間が,何食わぬ顔平凡に生きていけるわけもなかった。

希哲館事業の創始

色々な葛藤乗り越えて,2007年22歳で「希哲館事業」を始めた輪郭法応用した知能増幅技術開発管理普及活動中核として,知による産業革命知による民主主義確立目指す事業だ。

希哲館」というのはこの事業中心となる機関として構想したもので,その名は「哲学」の元となった希哲学」という古い翻訳語ちなんだものだ。

知を愛すること」を意味するフィロソフィーを「希哲学」と昔の人意訳し,それがいつの間にか哲学」として定着したわけだが,日本語哲学というと,思想家学者など一部の人のもの,という語感がある。実際誰もが賢哲にはなれないだろう。しかし,誰でも希哲知を希求する人にはなれる。これからの時代最も重要で,万人共有出来る価値観表現する言葉として,これ以上のものは見つからなかった


情報技術中心に知識産業絶大な力を持ち,その反動からいわゆる反知性主義世界中社会分断招いている,この観点への確信当時以上に深くなっている

見ての通り希哲館事業一環であるデライト当初から意図的に dlt.kitetu.com というドメイン名運営している。それも背景踏まえればごく自然なことだが,利用者には分かりにくいことだった。今後,こうして説明する機会増やしていきたい

デルンの実用化模索

事業開始後間もなく運が良いことに裁量の大きいシステム開発仕事得られたりして,それを足掛かり技術的な蓄積進めていった

そして,2012年26歳輪郭法応用技術デルン」の実用化成功した輪郭法英語delinographyデリノグラフィーとしていたので,それを縮めて〈deln〉とした。ウィキともブログとも異なる全く新しい CMS であり,おかしな語感もこれらにならった(参考:「デルン」の由来

しかし,世に出すことをすぐには考えられなかったなんとか使えるようになっただけで,製品としては多過ぎたし,市場戦略知財戦略全く固まっていなかった構想の大きさ大きさだ。万が一にも失敗は許されない可能な限り技術としての完成度を高め万全を期して世に出す必要がある考えていた

それまではデルンそのものを製品化するのではなく,背後でデルン利用したサービス資金稼ぎするつもりだった。結局そう上手くは行かないまま,デルン周辺技術開発応用法の研究希哲館事業構想体系化といったことに時間を費す生活続く

デルン世に出す準備を始めたのは,実用化からさらに5年ほど経った2017年のことだった。私は32歳になっていた。

諸々調査研究開発一段落したところに,ブレグジットトランプ当選などを社会分断世界中顕在化した頃だった。特に着目したのは,その背景SNS があったことだ。デルンによって SNS知的交流基盤拡張する──長年温めていた KNSknowledge networking service構想活かすならここしかない思った

それから1年ほどかけ,デルンの製品化向けて検討を重ねた2018年最終的に誰でも簡単に使えるメモサービスとして公開することに決めた。これが,ライト版デルンDeln Lite,「デライトDelite始まりだった。

デライト公開

あとはひたすらサービス公開向けた作業没頭し,2020年2月13日24時15分ついにデライトというデルンが,ひいては輪郭法世に出ることになった。

ただ,後に名目リリース」と呼んだように,積極的に人に見せられる出来ではなかった。公開はしていたものの宣伝ほとんどせず,改良続けてなんとか最低限品質になったと判断出来たのは同年8月13日のことだった。これを「実質リリース」と呼んでいる私は35歳だ。

不完全な形での公開踏み切ったのは,ソフトウェア開発において「完璧主義」が仇となりやすいからだ。不完全でも早く世に出して修正繰り返した方が良い。そしてこれは正しかったソフトウェア開発では常識に近いことで,私も頭では分かっていたが,実は半信半疑だった。

実際デライト多大な貢献をしてくれている常連利用者2名は,名目リリースから実質リリースの間に使い始めている内心誰も使わないだろうな,と思いながら一応公開していたわけだが,予測良い意味で裏切られた

そして

デライト公開からは,本当に本当に色々なことがあったあまりに色々なことあり過ぎて,時間の感覚おかしくなっているわずか2年前大昔のようだ。とてもではないが,ここには書き切れないし,今はこれ以上書く気にもなれない。そもそも読み切れないだろう。

ただ,確かなことは,奇跡のよう素晴らしい時間だった,ということだ。理解ある利用者達とともに,夢と希望満たされて,デライト開発快調に進んできた。“デライター”達への感謝はまた別の機会しっかり綴るつもりだが,本当に皆のおかげだ。

近頃私はデライトの完全な成功」という表現よく使っている。「デライトの成功」と目標表現することに違和感を覚えるようになったからだ。成功していないと言うには,あまりに上手く行き過ぎているのだ。

今のデライトは,利用者十分に集まっておらず,それゆえに十分な利益上がっていない。ただ,それを除けばソフトウェア開発プロジェクトとしてほとんど理想的な状態にあると言っていい。ことインターネット サービスというのは,どれだけ人気があっても売上があっても,それぞれに様々な問題抱えているものだ。デライトには,集客面以外で問題という問題がない。

本格的に集客出来るようになれば,鬼に金棒完全無欠,つまり「完全な成功」というわけだ。その最後の課題である集客面でも,最近は改善の兆しがある。デライトは,“世界史上最大の成功”に王手をかけている

生きている内日の目を見ることはないかもしれない,などと考えていた出発点思えばやはり奇跡としか言いようがない

何より私はまだ37歳だ。それも,この技術20年時間費した経験を持つ37歳だ。事故病気でもない限り,あと50年持ち堪えられるだろう。駄目で元々命ある限り私が諦めることはない

終わりに

デライト4月29日から四度目の宣伝攻勢入っている。この「一日一文」もその一環だ。

本来一日一文は,その名の通り毎日一編文章書こうという日課なのだが,たまに何気なく重い題材んでしまい,筆が進まなくなることがある。今回も,5月半ばに何気なく書き始め書き上げるのに2ヶ月以上かかってしまった

20年歴史ちょっとした文章まとめるのには,流石に精神力必要だった無数の想い出行間押し込んで,無理矢理まとめた

デライト開発正念場迎えているので,今後も頻度には波があるだろう。気長に待っていてほしい。


{overflow: hidden}{進捗記録}{希哲16年3月2日の開発}{希哲16年3月2日の進捗}{希哲16年3月2日}{position: relative}{overflow: clip}{調整していく}{揃わなくなる}{縦位置}...=}(83)

{希哲16年3月2日10歩 K#F85E/E74C-FDA9}

=}
{行間}{Emacs}=}(2)
{HTML – 旧輪郭}{行間}{素描}=}(3)

{HTML における行間 K#F85E/EC32}

本文の line-height は 1.8em が最適か。2em では間延びしすぎる。

ルビの行間を上手く調節する方法がないため,行間を詰めすぎるとルビのある行の余白が目立ちすぎる。可読性を損わない程度に誤差を縮めるしかない。

{行間}

{}