{一日一文}{希哲15年6月の一日一文}{勝てない}{バグだらけ}{乗り心地}{高い品質}{大きな価値}{日本の衰退}{日本の繁栄}{離れ業}...=}(157)

{日本はなぜ繁栄し,なぜ衰退したのか K#F85E/A-E74C-C2D6}

昨日の一日一文では,日本人独自性オリジナリティなどについて書いた。その中では,日本人の性格における負の側面強調してしまったが,もちろん,日本人にも良い面はたくさんある。

私が「ジパング計画」などと言って日本最重要視しているのも,その日本人の性格を活かし,アメリカ中国大逆転勝ちする道があると思っているからだ。

ある程度定常的存在している事物には全て,進化論的な存在理由がある。つまり,この世界のいつかのどこかに適応しやすかったから存在しているわけだ。これは人間の性格についても言えることだ。

ある場面では勇敢で大きな功績をあげた人が,別の場面では無謀な行動で身を滅ぼすことがある。ある場面では臆病で役に立たなかった人が,別の場面では慎重さ成功することもある。性格というのは,状況環境で良くも悪くも見えるものだ。

日本の盛衰

1980年代頃には,日本世界最強工業国だった。人口規模などの問題で「超大国」にこそならなかったが,超大国アメリカを凌ぐ富豪企業輩出し,金持ちといえば日本人だという時代が確かにあった。工業の時代がずっと続いていれば,日本がアメリカを凌ぐ超大国になるのは時間の問題だったはずだ。

ところがこの1980年代というのは,すでに「脱工業化社会」の到来が広く議論されるようになっていた時代であり,アメリカでは水面下脱工業化に向けた産業転換が始まっていた。言うまでもなく,その中心は情技(IT)産業だった。

シリコンバレー」が注目されるようになったのは70年代からだ。90年代になると,クリントン政権によって情技を中心とした産業改革が推し進められていく。「工業では日本人に勝てない」と悟った80年代のアメリカ人には,脱工業化という,あえて進むべき茨の道が見えていたわけだ。

日本はといえば,90年代初めにバブル崩壊という憂き目を見て,「失われた三十年」とも言われる長期停滞が現在にいたるまで続いている。

情技産業牽引された中国が日本の GDP を抜いてからもう10年以上経つが,昨年には,GAFAMGoogleAmazonFacebookAppleMicrosoftなどと呼ばれるアメリカ情技企業数社の時価総額が,二千社を越える東証一部上場企業全体の時価総額を上回った。

日本人らしさ

かつての日本の繁栄も今の衰退も,やはり日本人の性格によるところが大きいと私は思っている。

工業では,日本人的な,勤勉でよく協調する労働者には大きな価値がある。ありきたりだろうが模倣だろうが,価格に対して高い品質提供出来る者が勝つ

例えば,どんなに斬新独自性オリジナリティに溢れる設計でも,まともにブレーキが効かない自動車には価値が無い。つまらなくても,乗り心地がよく信頼出来る車は必ず売れる。こういったもの作らせれば,いまだに日本人の右に出る集団は無いだろう。

しかし,情技産業,特に柔品ソフトウェアの世界ではこれが逆転してしまうことが多い。バグだらけであちこちがあっても,何か斬新体験提供してくれるものは飛ぶように売れる。

面白いもので,そういう荒削りアメリカ製品流行ると,日本人技術者達はこぞって「粗探し」を始める。ここが危ない,ここが汚い,などとみんなで言い合って,熱心に“改良”しようとする。そうして確かに丁寧心地良い模倣品が出来たと思ったら,また新しい波に押し流されてしまう。日本の情技業界賽の河原だ。

同じ柔品でも,間違いの許されない厳密動作が要求されるような分野では,実は日本製のものが少なくない。私はいつもそんなところに日本人らしさを感じている。ただ,その手の「縁の下の力持ち」はどうしても知名度が上がらず,利益も上げにくかったりする。

バブルジェット経済」の時代

いまだに平成バブル日本経済破壊したかのように語られることが多いが,それは原因ではない。

そもそも「バブル」というのは,弾けて,経済停滞した時に初めて認識されるものだ。バブル自体が問題なのではなく,バブルが弾けた時に底が抜けてしまうような実体経済であったことが問題なのだ。そしてその問題の根は,日本人工業に“適応”出来過ぎてしまったばかりに脱工業化に遅れたことにある。これも今となっては明らかだ。

アメリカ経済は,日本が「失われた三十年」にあえいでいる間も概ね右肩上がりを続けてきた。株価高下するたびに「これはバブルなのではないか?」という経済学者達がいる。ところが,アメリカの場合,一つのバブルが弾けたかと思うと,またすぐ次のバブルが膨らんでくる。むしろ,次から次にバブルを作ってそれを推進力にしているかのようですらある。

そんな「バブルジェット経済」とでもいうべき離れ業が可能なのも,情技産業を中心として実際に社会のあちこちで革新を起こし,世界席巻するような製品サービス生み出し続けているからだ。

日本にはそれが出来なかった。ならば,今からでもやればいいのだ。出来なければ,どうせこのままゆっくり衰退を続けるしかないのだから。

一日一文という日課で書くには長くなり過ぎたので,具体的にどうすべきか,という話はまた明日にでも書こう。

{一日一文}{希哲15年6月の一日一文}{SNS 嫌い}{社交辞令}{社会的行為}{腑に落ちた}{最高の誉め言葉}{容姿が良い}{喧嘩が強い}{学校の勉強}...=}(113)

{誉められて嬉しかったこと K#F85E/A-E74C-5C5B}

私には,誉められ嬉しいと思った記憶がほとんど無い。誉められるのは,どちらかといえば苦手なくらいだ。先日の一日一文では私の独特な金銭欲について書いたが,これは私の独特な名誉欲かもしれない。

なぜ誉められても嬉しくないのかと考えてみると,そもそも幼い頃に自尊心完成されてしまっていた気がする。自尊心に欠けているところが無いので,いわゆる承認欲求的な感情も無い。

誉め言葉をもらっても,すでに満杯に余計なものを注がれているような感覚で,こぼれたのを拭くのが面倒になる。それが社会的行為である以上,例えば,謙遜して見せなければならないとか,こちらも社交辞令で返さなければならないとか,新しく得たものも無いのに“対応”を求められるわけだ。

私の SNS 嫌いもこんなところから来ている気がする。好意的反応をもらうことはもちろん「ありがたい」と思うし,仕事であれば必要なことでもあるが,個人的心情としては嬉しさより面倒臭さを感じてしまうことが多い。

誉められて嬉しくないのだから,貶され悲しいこともない。むしろ,他人が顔をしかめるようなことをしていた方が,自由を感じることが出来て面白いとすら思っていた。

子供の頃からこんな性格だが,大人になってからも,名誉ある地位に就きたいとか,ナントカが欲しいとか,テレビネット有名になりたいとか,そういう感情を抱いたことが無い。

日ごろ私の活動を見ている人なら納得出来るのではないかと思う。希哲館事業は,誰の肯定神託必要とせずに自分のやることに絶対確信を頂き,この上ない充実感を得て生きる人間がここにいる証拠なのだ。

私には,自分で作った「初代希哲館執務長」が,どこの国の君主首脳肩書きよりも,ノーベル賞よりも名誉に感じられる。だからこれ以上の名誉は一切不要だ。

これも病気といえばそうかもしれないが,SNS などの発達で,名誉欲承認欲求に人生を狂わされる者が無数にいることを考えると,「健全」とは何か,考えずにはいられない。


そんな私にも,人生で一つだけ,誉められて嬉しかったことがある。

恐らく4歳5歳頃だ。保育園で,はさみを使って工作のようなことをしていた。何か工夫をして,上手いこと出来たな,と思った時,保母さんが「ひろくんはアイデアマンだね」と言った。この時のことがなぜかずっと,鮮明記憶としてある。そして定期的に思い出す

当時の私に「アイデアマン」という言葉の意味が分かったとも思えないが,自分は何か工夫をすることが得意なんだな,ということくらいは体験として分かっただろう。もしかしたら,言葉が分からなかったから印象的だったのかもしれない。これもカセット効果という奴だろうか。

その後,私は,トーマス・エジソン憧れたり,信長でも家康でもなく秀吉好き少年に育っていく。子供ながら,発明とか発想価値を感じていたのだろう。

そして17歳の頃に輪郭法き,デルンデライト開発して今にいたる。確かに,これ以上価値あるものが今の私には想像出来ない。

頭が良いと誉められて学校の勉強を極めても,運動が出来ると誉められてスポーツの世界に行っても,容姿が良いと誉められて見た目を売りにするような世界に行っても,もちろん,喧嘩が強いと誉められてヤクザな道に入っても,今の私にはならなかっただろう。

私にとって最高の誉め言葉があるとすれば,やはり「アイデアマン」以外考えられない。この文章を書きながら,三十年来,心のどこかに引っかかっていたものがようやく腑に落ちた

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{一日一文}{希哲15年6月の一日一文}{霞んで見える}{大きな画期}{新しい社会}{人間社会の縮図}{宗教指導者}{そぐわない}{知の可能性}{知の不可能性}...=}(95)

{超人を越えた凡人への旅 K#F85E/A-E74C-CC47}

私の人生観希哲館事業を貫く「凡人思想」については時々断片的言及してきたが,そろそろしっかり書いておきたい。

私の凡人思想は,ニーチェ超人思想を“克服”するように形成された。

19世紀後半活動現代思想大きな影響を与えた哲学者フリードリヒ・ニーチェが言う「超人」とは,「孤独虚無をも楽しめる創造力を持った人間」のことだ。

私が言う「凡人」とは,「自らの創造力によって“新しい普通の人間”であり続ける人間」のことだ。これを私は「まだ見ぬ凡人」などとも呼んできた。この凡人は,超人を越えたところにいる。“新しい普通の人間”になるということは,万人のためのを創るということでもある。

17歳輪郭法閃きを得た私は,この発明が“知の不可能性”を前提としてきた現代思想を終わらせるものであることにも気付いた知能増幅によって“知の可能性”が異次元に広がり,知識産業隆盛と結び付いて世界あり方を変えうる。この可能性が「新しい物語」の原点だった。

それは同時に,気の遠くなるような,超人を越えた凡人への旅予感させる出来事でもあった。


凡人思想について哲学的なことをあれこれ語り出すと一日一文にはそぐわない内容になりそうなので,具体的に考えてみよう。ちょうど良いがここにある。他でもない,デライトだ。

デライトは,輪郭法に基いた世界初知能増幅メモサービスだ。私は,これを KNS(knowledge networking service)として SNS対峙している。SNS はいわば人間社会の縮図だ。各国首脳宗教指導者,各界の権威著名人を含めた数十億人ともいう人々がひしめき合う世界だ。それでも,たった一人で始めた KNS には,SNS に勝る価値があると私は思っている。

実際の所,私は希哲館事業を始める時に,「全てのと自分以外の全人類を敵に回してもこの事業に尽くせるか」と自問自答した。その決意が出来たから今こうしている。これは超人以外の何者でもない,ニーチェもびっくり精神性だ。

しかし,この程度のことなら私にとって難しいことではなかった。「三つ子の魂百まで」というのは本当で,私のこういう性格は幼い頃からほとんど変わっていない。普通ならどこかで破滅していると思うが,環境のおかげで生きてこれてしまった「超人ネイティブ」なのだ。

本当に難しいのはここからだ。このデライトを多くの人に使ってもらうためには,単なる“超人”でいてはいけない。自分自身が,万人共鳴してもらえる模体モデルとならなければ,新しい技術に基く新しい人間新しい社会を創ることなど出来ない。これ以上に人間としての器量を試されることなどなかった。

新しい凡人」になること。これこそが,17歳の私を絶望させた重圧であり,超人が霞んで見えるほどの価値だった。


たまに,デライト思想臭くてとっつきにくいなどと言われることがある。

ただ,人類知のあり方を変えようという技術新しい思想を伴なわないわけもなく,全て必然であり自然なことなのだろうと思う。

もともと希哲館事業は「テクノロジーとフィロソフィーの結合」を掲げている。デライトの成功は,技術史のみならず,思想史にとっても大きな画期となるだろう。

{一日一文}{希哲15年5月の一日一文}{希哲15年5月9日の日記}{忘れられる}{つるん}{飲み込みやすい}{一筋縄}{流行っているもの}{売れているもの}{浅さ}...=}(72)

{市場活動マーケティングの難しさについて K#F85E/A-E74C-6B5E}

どんな世界であれ,作った物知ってもらう買ってもらう使ってもらう,というのは難しいものだ。

実は私も,こういう市場活動マーケティングについてよく勉強していた時期がある。効果的語体ロゴタイプ獲句キャッチコピー唱願スローガン作り方が知りたくて,片っ端から実例に目を通して考察を重ねたりした。「デライトの“掴み”の良さ」でも書いたように,デライトが一定の関心を得ることに成功しているのは,そんな勉強の成果かもしれない。

とはいえ,市場活動の実践はデライトが初めてで,それも正味半年足らずという経験浅さだ。まだまだ素人に毛が生えたようなものだろう。


世の中売れているもの流行っているもの観察してみれば,市場活動というものがいかに一筋縄ではいかないものか,よく分かる。

綺麗整ったものが売れるのかというとそうではない。引っかかりがなく,つるん飲み込みやすいだけのものは,またつるんと忘れられてしまう。完成度が高ければいいのかというとそうでもない。愛嬌必要だという。

いわゆる炎上商法は比較的確実知名度を上げられる方法だが,それはとてつもない汚名引き換えに手に入れるものだ。それでもその手を使う者が後を絶たないのは,認知されることがいかに難しく,価値あることかをよく示している。


デライトをどう売り込み,知ってもらうべきか,これは開発者である私自身も含めて,まだ誰にも確かなことは分からない。

よく頂く感想に,「風変わり過ぎてとっつきにくい」というものがある。これも,考えよう使いようで,実は強力武器になりうる特徴でもある。

印迫インパクトを残しつつ,どうやって多くの人に使ってもらえるものになるか。色々な反応を頂きながら毎日んでいる。しばらく試行錯誤が続きそうだが,これも幸せなことだと思う。

貴重勉強をさせて頂けていることに感謝したい。

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{新生デライト}{一日一文}{希哲15年4月の月記}{デライト高速化}{デライト高速化前の現状整理}{空振り}{悪い意味}{注目に値する}{大当たり}{サービス改善}...=}(81)

{希哲15年4月14日の日記 K#F85E/A-E74C-15D7}

今日は数歩程度の進捗時限を使いデライト高速化前の現状整理をしてから作業に入ろうと思っていたが,結局,現状整理丸一日かかった。

ここでの舵取り収益目標達成直結することは間違いないため,等閑には出来なかった。「デライト高速化前の現状整理」にモヤモヤしていたことを大体書き出してみれば,振り返る余裕も無かったここ2ヶ月ほどのまとめになっていた。これだけ複雑なことを考えていればモヤモヤもするはずだ。

時間をかけた甲斐あって,霧が晴れたように視界はっきりしてきた。迷いなく収益目標達成に邁進出来そうだ。これが丸一日で済んだと思えば安上がりだった。

当面,「黄金循環高速化」としてのデライト高速化中心臨機応変作業を進めていくことにした。理屈そこに書いた通りだが,簡単に言ってしまえば,この方針によってデライトの成功がずっと想像しやすくなった,ということだ。

新生デライト機能文書仕上げてから第三次宣伝攻勢に入り……というこれまでの目論見では,いくら完成度自信があっても,それが受け入れられる保証はどこにも無い。全くの空振りに終わる可能性も無くはない。そこに一抹の不安があった。

それに比べて,高速化はサービス改善施策として外れが無い。何らかの効果確実に見込め,努力が報われやすい。小理腑によって「速いデライト」の価値体感出来たことが決め手になった。

高速化そのものは大当たりを狙えるような付徴でもないが,デライトにはすでに輪郭法という最大の付徴がある。すでに注目に値するものをデライトは持っている。あとは,それをいかに良く見せるか,伝わりやすくするかだ。これが今回の整理で得た大きな気付きの一つだった。

もう一つの大きな気付きは,デライト高速化が黄金循環高速化でもある,ということだった。直感任せ悪い意味無軌道になりつつあると感じていたが,「快調期」に入る前によく考えていた黄金循環がここでになるとは思いもしなかった。これによって全てが繋がった感がある。

黄金循環の黄金週間現実のものにしたい。


デルンの実用化以後よく思うことだが,デルンデライトが無ければ今頃自分のはどうなっていたか分からないな,と今日は改めて思った。

私にとってのデライトは,もはや知能増幅装置というより生命維持装置に近いかもしれない。


これだけ書いた後で一日一文を書くのは流石に辛いので,今日は「デライト高速化前の現状整理」を一日一文代わりとしておいた。

{第一次デライト市場戦略}{一日一文}{希哲15年4月の月記}{重要な発見}{心の散歩}{環境の変化}{不採録}{書きたい}{驚いた}{一日一文『道草録』再開とデライト近状}...=}(73)

{希哲15年4月7日の日記 K#F85E/A-E74C-F014}

小理腑を通じて,自分が思っていた以上にデライト複雑化していることに気付かされる。単純性を保ってきたつもりではあったし,実際単純なようにも見えるが,この保守性を保っていることがいかに価値あることか実感出来る。

その複雑さの分だけ,小理腑によってデライト開発が大きく加速するという確信も出来,ますますデライト貴重なものに見えてきた。


『道草録』として一日一文の再開も出来た(「一日一文『道草録』再開とデライト近状」)。『道草録』と一日一文の関係をどうするか少し迷ったが,とりあえずは,『道草録』への採録を前提に一日一文を書き,一定水準に満たないものは不採録とすることにした。

ちょうど2歩分で,非常に楽しく書くことが出来た。この楽しさ新鮮感覚だったことに,自分で少し驚いた

振り返ってみると,過去の一日一文一日一章)は,あくまでも執務としての義務感の方が大きかった。一日八章なんて言っていた頃は,ほとんど「試練」として捉えていた。書き上げた時の達成感の大きさはよく覚えているが,それは書く苦労と引き換えだった。それは続かないわけだ。

今回も,デライトのため,希哲館事業のため,という理屈が無くはなかったが,どちらかというと後付けだった。むしろ,月内にデライト収益目標達成だと言っているのに,そんなことしている場合か,という思いもあった。第三次宣伝攻勢寄与するかもしれないが,単なる負担になるだけかもしれない。そんな懸念書きたい気持ち振り切った。

環境の変化も大きいだろう。今のデライトは,過去のどの時期デルン実装よりも洗練されている。数年前までの希哲館事業第一次市場戦略までのデライトには伏せたいことが多く,文章を書くにもいちいち神経を使っていた。全て開けっ広げに書けるようになったのはつい最近のことだ。ずいぶん開放的で,書きやすい環境になったものだ。

半信半疑でいざ書いてみると,一気に持ち辺が高まり,間違いなくデライト開発寄与するという確信に変わった。結局,継続近道楽しむことだ。もっと書くことを楽しめるようなデライトにしたい,という意欲も湧いてくる。これは嬉しい発見でもあり,重要な発見にもなりそうだ。

『道草録』希求主義文学実践にしようと少し気負っていたが,もっと気楽に,「心の散歩」みたいなものだと思うことにした。これを一つの趣味にしていきたい。

8日振り返り日記

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