希哲館を中核機関とした新近代化事業。希哲元年(2007年),宇田川浩行が創始した。
日本初の工業化推進事業であった幕末の集成館事業に似ている。
昨日,脳爆発気味だったせいか,少しぼーっとしてしまった。それなりに収穫も大きかったので仕方ない。
ここ一週間ほど,また少し心境の変化を感じている。やはり「デライトの歩み」のせいだろう。あの文章を書きながら,これまでの達成の重みをより強く感じるようになった。それは良いが,これからの達成もより重く感じるようになった。
サービス経営の観点から言えば,デライトの問題はいま,用者数が伸びないことだけに絞られている。それ以外は限りなく理想に近い状態にある。つい先日まで,この問題は新生デライトの完成が解決するだろうとほぼ確信していた。つまり,新生デライトの完成がデライトの完全な成功そのものだと思っていた。そしてそれは,希哲館事業が未曾有の成功を収めることを意味している。
ただ,これまでの歩みを振り返っているうちに,少し不安になってきた。わずか15年の事業で,そんな成功がありうるのだろうか。事の大きさを考えると非現実的な早さだ。成功の大きさに苦労が見合っている気も全くしない。作り話のようなとんとん拍子だ。
書きかけではあるが,あの文章で書いたことが,思いがけず自分を動揺させている。
理論や技術として完成させられるかどうかは時間の問題だと考えていた。本当の問題はその先にあった。地動説にせよ進化論にせよ,世界の見方を大きく変える考えには無理解や反発が付き物だ。常識を越えた考えであればあるほど,その壁は大きくなる。(後略)
確かに,最初の葛藤に陥いった原因は,輪郭法を理論や技術として完成させることの難しさではなかった。常識を変えることの難しさだ。これを現状に当てはめれば,新生デライトの完成を過信してはいけない,ということになる。
だからといって,やることが大きく変わるわけではない。一日一文に想定以上の時間を割いたのも,この理屈でいえば正しかったことになる。ただ,心構えは少し変える必要があるのかもしれない。
昨日何気なく「デライトの歩み」と題して閃きからの歩みを振り返る文章を書き始めてしまい,希哲館事業に関する輪郭整備も進んでいる。希哲館事業に関する輪郭は古いものほど雑に放置している現状があったが,「輪郭整備兼一日一文」が推進力になりつつある。
デライトから見た希哲館事業は,サービスの大きな展望を表現する手段でもあると考えあえて強調することがある。ドメイン名 dlt.kitetu.com
はその好例だ。その割に,利用者が希哲館事業について知るための情報は整理されておらず,ただの怪しげな要素になっていた。新生デライトの完成までに,好材料にはならなくとも,せめて悪材料にならない程度には整理しておくべきなのだろう。昨年から意識していた「希哲館累新」の過程とも言える。
今日は家族で出掛ける用事があったのであまり作業は出来なかったが,かなり精神力を使うので脳過熱の抑制には良かった。心身ともに心地良い疲労感があるため早めに寝ることにした。
今朝,自分の不注意により赤ん坊を殺しかけてしまう悪夢で目覚めた(睡眠記録)。かなり強烈な夢だったので,一日中,何か考えざるをえなかった。しいて教訓を見出すとすれば,状況をよく見て,大事なものを見失うな,ということか。
物質的にも人間的にも恵まれた環境も,希哲館事業とこのデライトの恵まれた状況も,やっていることのとんでもなさを考えれば,全て奇跡中の奇跡だ。本物の赤ん坊はもちろん,デライトも大きな可能性を秘めた赤ん坊みたいなものだろう。焦らず弛まず,粘り強く,大事に守り育てていかなくてはならない。
体験してはいけないことを夢の中で体験して自分を見つめ直すことが出来たのだから,幸運だったのかもしれない。
ここで少し最近の状況を考えると,「平常心で行く」と考えていた割に,黄金週間前半は力み過ぎた。そのおかげで書けなかった一日一文が書けたりもしたが,なまじ勢いのある文章が書けてしまったことで気持ちが前のめりになっていた。この間に得たものを余裕に換え,そろそろ平常心を取り戻したい。
黄金週間はあくまでも世間が年度始めの慌しさから落ち着く節目として重要なのであって,特にデライト宣伝に適した期間というわけではない。無理に詰め込む必要はない。昨年の今頃も全く同じことを考えていたのを思い出した。