{希哲16年11月14日の日記 K#F85E/E74C-87D0}
宇田川浩行GAFAM の停滞,Twitter の混迷,中間選挙にも表れた米国政治・世界情勢の膠着。世界の行き詰まりは誰の目にも明らかとなり,その突破口である希哲館事業とデライトにとってはこれ以上ない舞台が整いつつある。
デライトの現状からすると,完全な成功はデライト3周年の来年2月13日までに果せるかどうかだろう,と考えてみて,まだ正式離立から3年も経っていないことに愕然とした。6,7年は経っているような気分だった。意識が先走り過ぎていたのかもしれない。
大輪郭整備では初期ツイストの見直しも始めたが,ちょうどデライト構想が出来たばかりの頃のツイスト群で,何かと感慨深かった。当時はデライトの離立が全てだった。当然,それでは何も終わらなかった。結局,「完全な成功」も通過点の一つに過ぎず,また新しい課題が立ちはだかるのだろう。これからもずっと,それが私の日常なのだと思うとかえって気が楽になった。
最近,輪郭整備を意識しなくても自然と丁寧な描出が出来るようになり,良い傾向だと感じている。
輪郭整備は無計画にやっているとキリがなく,迷子になりやすいので副日記に専用記録を加えることにした。「輪郭整備記録」というのも煩わしいので,「整輪」を造語し「整輪記録」とした。傾向や進捗の把握,中断・再開も容易になり,開発との釣り合いも取りやすくなるだろう。
最近,輪郭整備を強く意識するようになった現実的な理由の一つに,SEE による検索流入の伸び悩みがある。検索流入は極めて緩やかに増え続けているが,デライト市場戦略を補完する役割を十分に果せていない。
デルン/デライト自体が前例のない司組である上に変化が激しかったため,SEO 効果の測定も難しかったが,9月までの開発で司組上の課題がほぼ全て解消したことで,献典不足という問題に向き合わざるをえなくなった。特に,9月の輪郭情報取得改良による高速化,サイトマップ改良後は検索流入にも顕著な好影響が見られたものの,10月中旬頃からまた停滞してしまっている。こうなると,ページ数に対する献典不足以外に問題が考えられない。
{希哲紀元とは何か K#F85E/E74C-DC33}
宇田川浩行私はよく「希哲〜年」と書いている。例えば今年(2021年)なら希哲15年となる。これは「希哲紀元」という希哲館独自の紀年法だ。希哲館事業発足の2007年を希哲元年とし,そこから希哲2年,希哲3年と数えていく。
この希哲紀元を私的に使い始めたのが希哲8(2014)年頃だから,もう7年ほど経つ。
希哲館訳語からも分かる通り,希哲館では日本語を最重要視している。日本語の力を活かして知識産業革命を成し遂げ,日本語を世界中に広めたいと思っている。
ところがここで一つの問題があった。日本語で使える普遍的かつ合理的な紀年法が無かったのだ。
我々日本人は元号に慣れているし,愛着を持つ人も多いだろうが,元号はあくまでも天皇の権威に由来するものであり,外国人に押し付けられるものではない。紀年法としての分かりやすさを犠牲にする代わりに時代感を共有しやすいなどと言われるが,それも国内の問題に過ぎない。
それでも日本人は元号を使うんだ,と言えるほど元号にこだわりがあるのかと言えば,実態はそうでもない。西暦も当たり前のように使われており,面倒だから西暦だけにしてくれという人もまた多い。ではその西暦に問題が無いのかと言えば,キリスト教の価値観に基く紀年法が中立なわけはない。
キリスト教徒の少ない日本で,元号を捨てて西暦だけを使うようになった日本人というのも奇妙だろう。かといって,元号のみを使うのも皇紀を使うのも現実的ではない。併用している現状が良いのかと言うと,やはり面倒なことが多々ある。
残念ながら,日本語の現状として,気持ち良く使える紀年法は無い。この気持ち悪さに自分なりに決着を付けたかった。希哲紀元を使い始めた動機はそんなところだ。