希哲館創立10周年を迎える年。
デルンを世に出すため本格的な準備を始める。
自分の容姿にも変化を感じ始めた頃。生活習慣改善を始めた。
/is/
}{希哲15年12月18日の開発}{相応しい}{考えれば}{最初の知番譜台}{適当な場所}{化石化}{重要譜類}...私の自我台録(~/K#/
)を /kn/K#F85E/
から分割格納方式の /kn/K#F8+/5E/
へ切り替え。司組台録は移動済み。
既存の「単純格納方式」(ここで命名)知番譜台を分割格納方式に移行する前に,/kn/is/
にある is/
を分割格納方式で知番台録化しておいた。希哲11年の /kn/
への移行後は,1つの重要譜類をたまに参照するくらいで化石化しているため,今後の整理作業のため root から hiro へ全所有権を移し,重要譜類のみ適当な場所に複製しておいた。様子を見てそのうち書庫化する。
/kn/
の前身であったことを考えれば,分割格納方式最初の知番譜台に最も相応しいだろう。
一昨日考えた関宿町までの日帰り自転車旅行の小手調べに,河原のあたりまで走ってきた。昔,こんな河川敷に母が連れてきてくれた記憶が微かにあったが,それが江戸川河川敷緑地だったと分かってすっきりした。
道中,黒い影が映り込む不具合のある Galaxy S8 のカメラでも撮りたくなる素晴らしい景色が色々あったので,少し撮っておいた。
昨日カメラについて色々考えて久しぶりにカメラ熱が上がっていたところだが,いずれにせよスマホカメラをこの状態にしておくわけにはいかないと撮りながら感じていた。経験上,コンデジでも常に持ち歩くのは辛い。ふらっと外出した時など,スマホカメラに頼らざるをえない場面は多々ある。
ここで,「カメラのための機種変更」という選択肢が急浮上した。
Galaxy S8 も一応希哲11年(2017年)当時の高級機種なので悪いカメラではないが,まだおまけの域を出ない印象だった。特に夜景はまるで駄目で,希行の寸写用カメラとしては頼れない性能だった。複眼化などでスマホカメラの高性能化が目立つようになってきたのが S8 発売の翌年頃からで,高級コンデジや一眼レフに劣らない存在感が出てきたのはここ2年くらいのことだ。
その雰囲気だけはなんとなく感じ取っていたが,実際,高級コンデジの購入を検討した後で同価格帯の最新スマホをカメラとして見ると,携帯性はもちろん,ネット・GPS 連携,補正・編集機能などを含めた総合力で全く見劣りしない。それどころか,寸写用カメラとしては理想的ですらあるように思えてくる。
機種変更については,Galaxy S8 が電池膨張を起こしてから検討したが,決め手がなく保留状態だった。元々携帯電話嫌い・スマホ嫌いで,S8 から渋々スマホを使い始めてからも性能に依存するようなことはほとんどしていない。S8 をリフレッシュ品に交換してからカメラの不具合はあったが,大して使っていなかったので相変わらず機種変更への意欲は湧かなかった。カメラも含めてあらゆる面で中途半端で,好きでもなく期待もせず使うもの,というのがこれまでの私のスマホ観だった。
そんなスマホに関する最大の不満は,性能ではなくスマホケース(3192GS8)が寿命を迎えつつあることだった。見た目はともかく,ホルダーの劣化で角度によって簡単に外れるようになったし,留め具もちぎれそうだった。扱う時に気を使うようになってしまった。しかし,スマホケースを買い替えるなら機種変更だろう,というところで止まっていた。
ここに最新のスマホカメラという新たな動機が加わってからは自分でも驚くほど早かった。待ってもいいと思っていた S22 も,日本で発売される見通しの来年春まではとても待てない。海外では2月頃とされているがそれも辛い。その間,撮れたはずの写真が撮れないことになる。待てないなら出来るだけ急ぐべきだろうと思った。サイクリングから帰った正午頃から再検討を始めて16時前には Galaxy S21 5G の注文を済ませていた。これで歯痒かった“スマホ問題”も一気に解決に向かうこととなった。
移行先の機種は,店頭で実機を触ってみた感じで最有力候補だった Galaxy S21 5G にした(10月5日の整清記録)。
S21 Ultra 5G はドコモでしか扱っていないため以前検討した時は気付かなかった。カメラ性能には惹かれたが,大き過ぎると感じた S21+ 5G よりも更に大きいという点で考えにくい選択肢だった。そのうちカメラ専用機と併用すると考えた時,役割分担の観点から携帯性は落としたくない要素だった。
昨日は開発環境整備の一環として消極的に考えていた SLFS 開発の再開だが,献典整備としての可能性もあることに気付き,新生デライト開発とともに再開することを決めた。
当然ながら無駄に新生デライト開発を圧迫するわけにはいかないので,相乗効果を生み出すようにやっていきたい。
SLFS は希哲11年に実用化してから,あえて深追いすることを避けてきた。ほとんどは実用上の問題が生じた時に設定やパッケージの引装などを行うくらいで,それも SLFS 開発というよりは用者として使っているという感覚であり,事実上の開発停止状態に近かった。
直接収益化に結び付けるのは極めて困難と予想されたため,パッケージの下信や引装,手定めにかかる時間を最小化するための極力良いネット環境と高性能な開発機,そして十分な時間を用意する必要があると考えていた。
SLFS は希哲社にとっても大きな財産だったが,自分で使っているだけということに「死蔵」というべきもったいなさを常々感じていた。時間の経過とともに忘れていることも増え,保守性も落ちていた。これを改めて実感したのが昨日の核脳周りの調査だった。
SLFS 開発から遠ざかるようになっておよそ一年後,デライト開発に入り,デラングも含めて描出環境も描出手法も飛躍的な発展を遂げ今にいたる。希哲11年に比べ,技術記録もはるかに描き出しやすくなっている。金風によって多少の時間的余裕も出来た。
こうした環境の変化によって,気付けば十分な時間対効果が見込めるようになっている。SLFS にもようやく世に出せる時が来たということだろう。新生デライト開発の再開前に何かが引っかかっていたが,この時を待っていたのかもしれない。それなら遅らせた意義もある。
昨日に続き5時前起床は出来たが,短時間睡眠続きなので早く寝ることにした。
希哲11年の終わりごろから希哲12年現在にかけての虎哲開発の停滞。問題が増えすぎたか。
希哲12年2月18日,「大渋滞」という仮称で概念化,問題を整理する。
特に実感しはじめたのは,希哲11年末に予定していた捌き手増強作業の遅れ。出振るい環境を整理しないまま SLFS に移行したため,開発環境・運用環境間での整合性が取れなくなっている。また,SLFS 移行から考えられることが急激に増えたため,全体として気が散る環境になっている。希哲館事業全体としては進展が多く,停滞しているわけではない。
また,希哲12年11月1日以降,生活環境も多少変わっているため単純に使える時間が減っているということもある。
課題を絞り込むとしたら出振るい環境の整理。イチの開発を進められる環境を整えること。さらにこのためには,コマを整える必要もある。パッケージ管理などの問題もある……と芋蔓式に課題がある。全般的な作業効率改善のためにコマの整理に焦点を定める。
デライト離立を目前にした希哲12年12月1日頃から急速に捗り始め,希哲12年12月10日に解消を認定した。それと同時にこの概念を「開発渋滞」(development jam)として一般化,この事象は「大渋滞」から「希哲11年開発渋滞」と呼ぶことにした。