{一日一文}{希哲15年6月の一日一文}{霞んで見える}{大きな画期}{新しい社会}{人間社会の縮図}{宗教指導者}{そぐわない}{知の可能性}{知の不可能性}...=}(95)

{超人を越えた凡人への旅 K#F85E/A-E74C-CC47}

私の人生観希哲館事業を貫く「凡人思想」については時々断片的言及してきたが,そろそろしっかり書いておきたい。

私の凡人思想は,ニーチェ超人思想を“克服”するように形成された。

19世紀後半活動現代思想大きな影響を与えた哲学者フリードリヒ・ニーチェが言う「超人」とは,「孤独虚無をも楽しめる創造力を持った人間」のことだ。

私が言う「凡人」とは,「自らの創造力によって“新しい普通の人間”であり続ける人間」のことだ。これを私は「まだ見ぬ凡人」などとも呼んできた。この凡人は,超人を越えたところにいる。“新しい普通の人間”になるということは,万人のためのを創るということでもある。

17歳輪郭法閃きを得た私は,この発明が“知の不可能性”を前提としてきた現代思想を終わらせるものであることにも気付いた知能増幅によって“知の可能性”が異次元に広がり,知識産業隆盛と結び付いて世界あり方を変えうる。この可能性が「新しい物語」の原点だった。

それは同時に,気の遠くなるような,超人を越えた凡人への旅予感させる出来事でもあった。


凡人思想について哲学的なことをあれこれ語り出すと一日一文にはそぐわない内容になりそうなので,具体的に考えてみよう。ちょうど良いがここにある。他でもない,デライトだ。

デライトは,輪郭法に基いた世界初知能増幅メモサービスだ。私は,これを KNS(knowledge networking service)として SNS対峙している。SNS はいわば人間社会の縮図だ。各国首脳宗教指導者,各界の権威著名人を含めた数十億人ともいう人々がひしめき合う世界だ。それでも,たった一人で始めた KNS には,SNS に勝る価値があると私は思っている。

実際の所,私は希哲館事業を始める時に,「全てのと自分以外の全人類を敵に回してもこの事業に尽くせるか」と自問自答した。その決意が出来たから今こうしている。これは超人以外の何者でもない,ニーチェもびっくり精神性だ。

しかし,この程度のことなら私にとって難しいことではなかった。「三つ子の魂百まで」というのは本当で,私のこういう性格は幼い頃からほとんど変わっていない。普通ならどこかで破滅していると思うが,環境のおかげで生きてこれてしまった「超人ネイティブ」なのだ。

本当に難しいのはここからだ。このデライトを多くの人に使ってもらうためには,単なる“超人”でいてはいけない。自分自身が,万人共鳴してもらえる模体モデルとならなければ,新しい技術に基く新しい人間新しい社会を創ることなど出来ない。これ以上に人間としての器量を試されることなどなかった。

新しい凡人」になること。これこそが,17歳の私を絶望させた重圧であり,超人が霞んで見えるほどの価値だった。


たまに,デライト思想臭くてとっつきにくいなどと言われることがある。

ただ,人類知のあり方を変えようという技術新しい思想を伴なわないわけもなく,全て必然であり自然なことなのだろうと思う。

もともと希哲館事業は「テクノロジーとフィロソフィーの結合」を掲げている。デライトの成功は,技術史のみならず,思想史にとっても大きな画期となるだろう。

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